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【50カ所以上の損傷】テムズ川の遺体は”公開処刑された”30代女性だった


テムズ川の河岸で発見された中世初期の女性遺体が、カナダのトロント大学の研究によって公開処刑の犠牲者であったことが明らかになった。この女性は、680年から810年の間に死亡したとされ、地元で生まれ育ち、28歳から40歳の間で命を落としたと推定されている。観察された遺体の損傷から、この女性は鞭打ちや拳による暴行を受け、最終的には頭部への一撃で死亡したと考えられている。遺体は河岸に配置され、満潮時にも群衆に見えるように晒されていた。この配置は、見せしめとする意図がある社会的制裁の一環だったと研究者たちは結論づけている。この遺体の分析は、中世の司法制裁と処刑に関する貴重な手がかりを提供している。

ロンドンと北海をつなぐテムズ川は、数多くの小説や映画、ドラマにも登場する歴史的かつ象徴的な川です。

そんなテムズ川の河岸で発見された1体の女性の遺体には、残酷で悲しい過去が刻まれていました。

この遺体の正体を解き明かしたのは、カナダのトロント大学(UofT)の研究チームです。

彼らは20年以上前に発見されていた人骨を分析し、この女性が公開処刑の被害者であった可能性を突き止めました。

今回の研究成果は、2025年5月12日付の『World Archaeology』誌に掲載されました。

目次

  • テムズ川で発見された中世初期の遺骨は「女性が激しい殴打で死亡した」ことを示す
  • 女性は処刑され「見せしめ」にされていた

テムズ川で発見された中世初期の遺骨は「女性が激しい殴打で死亡した」ことを示す

この衝撃的な発見の発端は、1991年にさかのぼります。

テムズ川の河岸で、女性の遺骨が発見されたのです。

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現代のテムズ川 / Credit:Canva

頭部から足元にかけて、遺体の下にはアシのマットが敷かれ、体の上と下を木の樹皮で覆うように配置されていました。

さらに、顔、骨盤、膝には苔のパッドが置かれており、死体を「展示するように」整えた形跡が明確に残っていました。

この遺体は、そのままロンドン博物館に移送・保管されましたが、分析が行われることはなく、20年以上も放置されていました。

それがようやく、トロント大学の研究チームによって、包括的な法医学・考古学的分析が行われたのです。

分析の結果、女性は西暦680年から810年の間に死亡したと分かりました。

死亡時の年齢は28歳から40歳の間と推定されます。

歯や骨の同位体分析により、彼女はロンドン周辺で生まれ育った「地元の女性」であったことも明らかになりました。

また、幼少期に一度、食生活の変化あるいは飢餓状態を経験したことが示唆されています。

5歳以降、骨に含まれる窒素同位体の値が増加していたのです。

これは、肉の摂取が増えた、あるいは極端な飢餓で体内のタンパク質を代謝した結果と解釈されます。

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遺骨には壮絶な暴力の後が見られた / Credit:Madeleine Mant(UofT)et al., World Archaeology(2025)

しかし最も注目されたのは、死の直前に彼女が受けた壮絶な暴力の痕跡でした。

研究チームは、遺体全体に50ヶ所以上の損傷を確認。

まず死の約2週間前に、左右の肩甲骨にひびが入りました。

これほどの衝撃は、現代では交通事故に匹敵するほどの力によるもので、当時の鞭打ちや打撃による処罰と推定されています。

そして死の直前には、胴体と頭部に激しい打撃を受けていました。

拳や足、もしくは鈍器による殴打が疑われ、まるで拷問のような暴行です。

最終的に彼女は、頭部の左側に正確な一撃を受け、命を落としたのです。

では、明らかに殺された中世初期の女性から、当時の出来事についてどんなことを理解できるでしょうか。

女性は処刑され「見せしめ」にされていた

分析結果をもとに、研究者たちはこの女性が単なる殺人の被害者ではなく、処罰され、処刑され、晒された存在であったと結論づけています。

注目すべきは、遺体が埋葬ではなく「配置」されていた点です。

通常の埋葬のように穴に埋められることはなく、河岸に置かれて満潮時でも人々から見えるようにしていたのです。

これはまさに、死体を晒すことで見せしめとする意図的な演出であり、社会的制裁の一環と考えられます。

研究チームも「遺体が景観にさらされるように配置されたという事実は、周囲への警告を意味する可能性がある」と述べています。

遺体の処理からも、一般的な埋葬とは異なる「異常で社会的に意図された死」であったことは明確です。

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女性は見せしめとして公開処刑された / Credit:Canva

では、女性はなぜこのような扱いを受けたのでしょうか?

答えは明確ではありませんが、当時の法典の変遷からいくつかの可能性が浮かび上がっています。

7世紀初頭の法典では、犯罪に対して主に罰金による賠償が定められていました。

しかし、690年頃の法典では、罰金を支払えない者に対して鞭打ち刑が合法化され、さらに9世紀のアルフレッド大王の治世では、窃盗、反逆、魔術などに死刑が科されるようになります。

死刑の手段としては石打ち、絞首、溺死がありました。

この女性が受けた暴行と処刑の方法は、これらの時代背景と一致しており、重大な罪によって死刑に至ったケースの一つだった可能性があります。

また、考古学的には処刑者の遺体は珍しく、男女比は4.5対1とも言われています。

女性でありながらこのような処刑を受けた例は非常に少なく、この遺体は女性に対する中世の司法制度を理解する上で非常に重要な手がかりとされています。

今後の研究では、同様の未分析遺骨の再調査や、他地域との比較研究が進められることでしょう。

およそ1300年前に公開処刑された女性の遺体は、今もなお社会の深層を照らし出す鏡となっているのです。

全ての画像を見る

参考文献

New study uncovers brutal punishment and public display of medieval woman on Thames foreshore
https://phys.org/news/2025-06-uncovers-brutal-display-medieval-woman.html

元論文

Evidence for punishment and execution on the foreshore: a unique early medieval burial (680–810 AD) from London
https://doi.org/10.1080/00438243.2025.2488739

ライター

矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。

編集者

ナゾロジー 編集部

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