一つの光の粒子が、同じ瞬間に離れた二つの場所に存在するとしたら──まるでSFのような話ですが、量子の世界ではこれが現実です。
日本の広島大学(HU)で行われた研究によって、たった1個の光子が“同時に二つの経路に存在した痕跡を観測技術を駆使して可視化することに成功しました。
この発見は、量子力学で人気の仮説である「多世界解釈」に新たな議論を投げかけるものとなりました。
あなたは観測の瞬間が粒子の「過去」を書き換えるかもしれない量子の世界観に、どこまで踏み込む準備ができていますか?
研究内容の詳細は2025年5月1日に『arXiv』にて発表されました。
目次
- 多世界か単一世界か:決着の舞台裏
- 1つの光子が1つの世界で2つの経路にある
- 多世界解釈は死んだのか?
多世界か単一世界か:決着の舞台裏

量子力学の奇妙さを物語る有名な例に「二重スリット実験」があります。
これは1粒の電子や光子を2つのスリットに向けて放つと、粒子1個にもかかわらずあたかも同時に両方のスリットを通過したかのように干渉縞と呼ばれる明暗のパターンがスクリーン上に現れる現象です。
発射される粒子は1個だけ、検出されるときも1個だけなのに、途中では「自分自身と干渉する」ように振る舞う──すなわち一つの粒子が複数の場所に存在する状態になっていると考えられます。
量子力学ではこれを「重ね合わせ(スーパーポジション)」と呼び、粒子が取りうる複数の状態が同時に存在している状態だと説明します。
しかし、どのスリットを通ったかを観測すると状況は一変します。
観測した瞬間に干渉縞は消え、粒子は必ずどちらか一方のスリットを通ったことになってしまいます。
この「観測すると振る舞いが変わる」という謎をめぐり、量子力学では長年さまざまな解釈が議論されてきました。
伝統的なコペンハーゲン解釈では「粒子が観測されるまではどの経路を通ったかは意味をなさない」とし、観測によって粒子の状態がひとつに確定する(波動関数の収縮)と考えます。
一方で多世界解釈(MWI)と呼ばれる仮説では「量子の重ね合わせに含まれるあらゆる可能性が現実に実現しており、観測のたびに宇宙がその結果ごとに分岐する」と想定します。
言い換えれば、観測によって波動関数の収縮は起こらず、生じうる全ての結果を包含する無数の並行世界が存在するという大胆な世界観です。
例えばシュレディンガーの猫の思考実験では、生きた猫と死んだ猫がそれぞれ別の世界に実在するとし、干渉実験では光子が両方のスリットを通る可能性も、それぞれの経路を通る可能性も全て起こっている(ただし我々の世界ではその中の1つだけが現れる)と説明します。
これらの解釈はいずれも魅力的ですが、長らく実験的に区別する方法はありませんでした。
なぜなら、どの解釈を採用しても観測される現象自体は同じであり、その背後に何が起こっているかは直接検証できないと考えられてきたからです。
例えば多世界解釈を信じる研究者もコペンハーゲン解釈を信じる研究者も、二重スリット実験で干渉縞が出現する事実自体は等しく認めます。
違うのは、その裏側で粒子に何が起きているかに対する解釈だけでした。
そこで近年、一部の研究者たちは「観測しても量子干渉を壊さない絶妙な測定方法」がないか模索してきました。
ごく微弱な相互作用を利用して粒子の情報をそっと盗み見る「弱測定」と呼ばれるアプローチです。
今回紹介する研究もまさにその一つで、光子が二重スリットを通過するときに起きるごくわずかな変化を捉えることで、各光子がどのように振る舞ったかを探ろうとする試みでした。
具体的には、スリットごとに光子の偏光(波の振動方向)をわずかに回転させる細工を施し、その影響を統計的に測定するという工夫です。
こうすることで、一見すると平均効果が打ち消し合って観測不能な微かな手がかりを蓄積し、干渉パターンを壊さずに光子の経路情報を引き出すことを目指しました。
1つの光子が1つの世界で2つの経路にある

1つの光子が2カ所にあるケース
研究チームは単一光子(一度に1個ずつ放出される光の粒子)を用いた干渉実験装置を構築しました。
原理的には二重スリット実験と同様ですが、2つの経路にそれぞれごく小さい偏光回転を与える仕組みが組み込まれています。
たとえるならば、二重スリットの右側の穴を通る場合は光が右回転し、左側の穴を通る場合には左回転するような仕組みを穴にあたる部分に仕込んだのです。
(※片方の経路を通る光子には偏光がわずかに右回りに回転し、もう一方の経路では左回りに回転するように設定しました。)
もし光子が2つの場所に同時に存在する場合、経路ごとに反対向きに回転させている2つの偏光操作が打ち消し合って、平均的には偏光に変化が生じないよう調整されています。ただこの操作が強すぎると「観測」とよばれる状況になり重ね合わせが崩れてしまいます。
そのため実験では途中の光子がどちらの経路を通ったか直接暴露するような強い観測は行われません。
光の回転操作はごく控えめに行われ重ね合わせを壊さない「弱い観測」と呼ばれるものに留まりました。
その後、光子は干渉パターンを形成するスクリーン(あるいは検出器)に一つずつ検出され、光の回転が調べられました。
「偏光反転」が起きる頻度を統計的に解析することで、光子が経路上で受けたわずかな偏光回転のゆらぎを測定したのです。
直感的には、光子がどちらか一方の経路しか通らなかった場合は偏光にプラス方向かマイナス方向の回転が確実に生じるため偏光の揺らぎが大きくなり、逆に両経路に分かれて通れば回転は打ち消し合って揺らぎが小さくなる、と予想できます。
実際のデータは後者の傾向、すなわち干渉縞の明るい部分(高い確率で光子が検出される場所)に現れた光子では、偏光反転がほとんど起きず、偏光の揺らぎが極めて抑えられていることが示されました。
これは、1つの光子がきっちり二カ所の経路を通過していたことを意味します。
言い換えれば、一つの光子が二方向に「分身」し、両方の経路を同時に進んで合流したと考えれば、観測された結果と矛盾なく説明できるのです。
多世界解釈は1つの粒子が2つの場所に存在するのではなく1つの粒子が2つの並行世界にわかれて存在し観測によって世界線が収束するというもののはずです。
しかし今回の研究は弱い観測と統計処理を通じて、1つの粒子が1つの世界に2カ所同時にあるということを示し多世界解釈に対する1つの疑念を提示することになりました。
(※ただ多世界解釈が完全に否定されたわけではありません。多世界解釈的には「弱い観測では世界線がほとんど分岐せず、後の検出(強い測定)で“結果”が確定するときに枝分かれが顕在化する」と説明することもできるからです。多世界解釈も盛んに研究が続けられており、その結果、多少の不利な証拠では否定されなくなる「耐性」を身に着けています)
1つの光子が同じ場所に1個以上存在するケース
一方、干渉縞の暗い部分(本来ほとんど光子が到達しないはずの場所)でまれに検出された光子でも非常に興味深い結果が明らかになりました。
暗いはずの領域(破壊的干渉によって光子がほとんど到達しないはずの場所)でも、ごくまれに光子が検出されることがあります。
研究チームがそこでの光子の偏光変化を調べたところ、「ほぼ片方の経路だけを通った」と推定できるほど大きな偏りが観測されました。
これは、光子が両方の経路を等分に広がっていたわけではなく、ほとんど一方の経路に集中していたことを意味します。
ですがこれは、どちらかの経路のみを100%たどるという単純なものではありませんでした。
実験では、このように「一方の経路に強く偏り、もう片方にはわずかどころか“負の値”で存在する」という極端な振る舞いを「スーパーローカライズ(超局在化)」と呼んでいます。
数学的な言い方をすると、光子が通り道として占める“存在量”の合計は変わらないのですが、その内訳が「片方に1を超える分だけ集中し、もう片方はマイナスの寄与を持つ」形になるというわけです。
1個しか発射していない光子が一方の経路(穴)で1個を超える量が存在するという結果は奇妙に聞こえます。
しかしこれは量子力学の“弱測定”から導かれる有効量(弱値)の特徴であり、“負の存在”があることで両経路の干渉を打ち消し、結果的に暗い領域にも光子が現れる”と解釈できます。
現象としては「暗いはずの場所に現れた光子は、ほぼ完全に片方の経路を通った」という理解で差し支えありません。逆に、明るい領域(光が強め合って多数検出される場所)で見つかった光子は、二つの経路をバランスよく重ね合わせて進んできたと考えられます。
こちらはどちらか一方に偏るのではなく、両方の経路に等しく存在し、それぞれの位相や振幅がちょうど重なり合って強い干渉を生み出す状態です。
つまり、同じ実験条件下で発射された光子であっても、最終的にどこに検出されるかによって、「片方だけ通った」か「二つの道をほぼ同時に通った」かという過去の分布が大きく変わるのです。
このように、光子が最終的に現れた検出位置(明るいか暗いか)によって、その光子が過去にどう存在したかが異なって見えるというのが今回の実験で示唆された主要なポイントです。
あえて逆因果的な表現を使えば、「光子が二つのスリットをどう通り抜けるかは、じつは後になって私たちが「どの出口でその光子を受け取ったか」を測定することで決まる」と言えます。
言い換えれば、スクリーンで光子を検出した瞬間の結果――未来の出来事――が、光子がその前にどちらの道を進んだかという“過去の行動”を後から確定させるように働く、というわけです。
研究チームも、この結果が量子力学独特の“不思議”を端的に示していると強調しており、観測(つまり最終的な検出)という“文脈”が、粒子の在り方に決定的な影響を与えるという重要な事例だと位置づけています。
これまで「観測すると粒子の状態が決まる」と漠然と言われてきたことが、単なる比喩ではなく文字通り起きていると示したのが今回の実験と言えます。
多世界解釈は死んだのか?

この研究により、量子の波動関数が示す重ね合わせが単なる計算上の概念ではなく、個々の粒子レベルで物理的現実として存在していることが実証されました。
「二重スリット実験で干渉縞が生じるとき、各光子は正確に2つの等しい“ハーフ”に分かれて両方のスリットを通過している」ことを示す証拠が得られたのです。
研究チームは「今回の結果は、将来の測定によって定まる文脈に物理的現実が依存していることを示すものだ」と強調しています。
この成果は、量子力学の解釈論に大きなインパクトを与えています。
中でも、多世界解釈に対する挑戦という点が注目されます。
多世界解釈では、観測による波動関数の収縮を認めず、あらゆる結果を包含する無数の世界が並行して存在すると考えます。
しかし今回、一つの世界の中で光子が二経路に存在したことが確認されたため、わざわざ「別の世界で別の経路を通った光子がいる」と仮定しなくても現象を説明できるのではないか、という議論を呼んでいます。
言い換えれば、「光子は観測まで両方の経路に存在し、観測によって一つの現実に収まる」というこれまでの理解に対し、「光子は最終的な行き先によって過去の存在の仕方が異なる」という新たな視点が提示されたのです。
多世界解釈の支持者からすれば、各結果はそれぞれの世界で起きたにすぎず今回も整合的に説明できるかもしれません。
しかし、少なくとも本研究は「一つの世界内で粒子の現実が文脈によって変わりうる」ことを示し、多世界解釈では当初触れられていなかった時間的な文脈依存の問題を突きつけたと言えます。
では、多世界解釈以外でこの結果をどう理解すればよいのでしょうか。
研究チームは「異なる測定が量子系の過去を形作る様子」をもっと深く理解する必要があると述べています。
このような考え方は、一見すると「未来が過去に影響を与える」ようにも思えます。
実際、一部の物理学者は量子論にレトロカウザリティ(逆因果性)と呼ばれる要素(未来の測定結果が過去の状態に影響するという考え方)を導入することで、この種の不思議な現象を説明しようともしています。
他にも、量子系の性質は測定行為に依存して初めて定まるとする文脈的実在論や測定の文脈依存性(コンテクスチュアリティ)の議論もあります。
今回の実験結果は、こうした「観測によって左右される現実観」を支持する実証的な例と言えるでしょう。
言い換えれば、量子力学の奇妙さの正体が「文脈依存(測定のしかた次第で性質が変わる)」という性質にあることを裏付けているのかもしれません。
今後、この手法を用いれば、量子力学の基本原理に関する他のパラドックス(例えば有名なシュレディンガーの猫や量子ゼノン効果などの思考実験)についても検証が進む可能性があります。
研究チームも現在、今回の方法を発展させ、他の一見逆説的な量子効果を次々に検証する計画とのことです。
最終的な目標は、「なぜ観測によって量子系が変化するのか」を包括的に理解し、量子力学が常識と食い違う理由を解き明かすことにあります。
その過程で得られる知見は、量子コンピュータや量子暗号などにおける量子の優位性の本質を理解する手助けにもなるでしょう。
コンテクスチュアリティ(文脈依存性)は量子が古典にはない計算能力や通信能力を発揮する場面と深く関わっているためです。
1個の光子が二か所に同時に存在しうる――かつては奇想天外に聞こえたこの主張が、いよいよ実験で裏付けられました。
多世界解釈を含む量子論の世界観に今、新たな視点と議論が生まれています。
私たちの現実は一体どのように決まっているのか。
量子の振る舞いを突き詰める研究は、日常の「現実」の概念さえも揺るがす可能性を秘めています。
元論文
Experimental evidence for the physical delocalization of individual photons in an interferometer
https://doi.org/10.48550/arXiv.2505.00336
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部