「人と話すのがしんどい」「会話中は平気なのに、あとでどっと疲れる」
そんな感覚を抱いたことがある人は多いのではないでしょうか。特に、初対面の人との会話や集団での雑談のあと、「家に帰ると何もする気が起きない」「一人になってようやくほっとする」と感じることがあるかもしれません。
こうした“対人コミュニケーションの疲れ”は、いわゆる内向的な性格や、人間関係に気を遣う性格の一部とされてきました。けれども、近年の研究では、この感覚の背後に、より深い発達特性が隠れている可能性が指摘されつつあります。
特に注目されているのが、「自閉スペクトラム症(ASD:Autism Spectrum Disorder)」という発達特性との関係です。中でも、ASDの女性が社会に適応するためにとる「カモフラージュ行動(camouflaging)」は、本人さえも気づかないうちに強い疲労やストレスを招いていることがあり、専門家の間で警鐘が鳴らされています。
この行動は一見、誰にでもある人付き合いでの“気疲れ”と似ています。しかし人によっては、ASDであることに気づかず「無理をして普通に見せようと努力」しているために、本人に非常に大きな精神的負荷を掛けてしまっている事例も報告されています。
当たり前の生活をしているように見えても、人と話すことに極端に疲れるという人は、この問題にが関連しているかもしれません。
本記事では、最近発表された国際的な研究成果をもとに、ASDの「見えにくさ」と「カモフラージュ行動」の実態を解説していきます。
目次
- 「ASDは男性に多い」は本当か?——幼少期には見られない性差
- 「普通に見せる」という無意識の努力——カモフラージュ行動とは
- 誰でも少しはASD的?——疲れやすさの背後にある「特性のグラデーション」
「ASDは男性に多い」は本当か?——幼少期には見られない性差
自閉スペクトラム症(ASD)は、社会的なコミュニケーションの困難さや興味・行動の偏りを特徴とする発達特性です。
診断基準は米国精神医学会の「DSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition)」に基づいており、かつては「アスペルガー症候群」や「高機能自閉症」と呼ばれていた比較的軽度のタイプも、現在ではASDに含まれます。
ASDは長らく、「男性に多く見られる」とされてきました。実際、診断比率はおよそ4対1で、男性に比べて女性の診断数が大幅に少ないという統計が広く知られています。
しかしこの「男女差」は、実際男性の方が発症しやすいことを示すのでしょうか? それとも、女性の症状が見えにくく診断されにくいことを示しているのでしょうか?
こうした疑問に対して、2025年にカナダのトロント大学、ケンブリッジ大学、カンブリッジ行動科学研究所などの国際共同研究チームは、「ASDの性差がどの発達段階でどのように出るのか?」を調べるための大規模な調査を行いました。
研究チームは、北米・欧州での複数のスクリーニングプログラムに基づき、合計2,618人の子どもを対象に調査を行いました。うち1,539人がASDの診断を受けた子どもで、平均年齢は約27か月。つまり、まだ会話も十分に発達していない、ごく初期の幼児期の段階です。

評価には、標準化された行動評価スケール(Vineland適応行動尺度、MSEL発達評価、ADOS観察診断など)に加え、親からの聞き取り報告や、視線の動きを使って社会的注意力を測定する「GeoPref視線追跡テスト」といった先進的な方法が用いられています。
これらの手法で、研究者たちはASDの症状や行動の特徴を多角的に比較しました。すると意外なことにこの調査の結果では、ASDの診断を受けた子どもたちの間では、男児と女児の間にほとんど行動特性の差が見られなかったのです。
唯一、小さな差として見られたのは「日常生活スキル(たとえば服を着る、身の回りの整理をするなど)」において女児の方がやや高い傾向にあったという点でした。しかしこれは臨床的に意味のある差ではなく、ASDの中核的な症状、すなわち「社会性」や「興味・行動の偏り」に関しては男女差がないことが明らかになったのです。
これまでの研究から、ASDの診断比率は男性が女性の4倍も多いことが示されていることを考えると、幼少期にまったく性差が見られないというのは意外に思えます。
しかし、この結果はASD症状が、女性だけ成長とともに見られなくなる(あるいは見つけづらくなる)ことを示唆しています。
ではなぜそのようなことが起こるのでしょうか? この「女性は成長とともにASD診断比率が下がる」理由には、いくつかの原因が考えられます。
ひとつは、生物学的な発達の違いが年齢とともに影響を及ぼすという仮説です。これはたとえば、思春期に分泌されるホルモンの違い、男性ホルモン(テストステロン)や女性ホルモン(エストロゲン)が、脳の社会的機能の発達に異なる影響を与えることで、性差が次第に現れてくるという可能性です。
また、重要なのは、診断そのものに用いられる評価基準が、過去の研究や診断事例の蓄積をもとに設計されているため、単に男性を中心に確立された「ASDらしさ」の基準が、女性の特性を正確に捉えきれていない可能性もあります。
ただ、こうした傾向と結びつく興味深い報告が近年注目されています。
それがASDの子どもや大人が社会の中で“普通に見せる”ためにとる、ある種の適応行動です。これは「カモフラージュ行動(camouflaging)」と呼ばれるものであり、特に女性のASDにおいて強く見られる傾向があることが報告されています。
これは、ASDは男性で発症しやすいというより、成長するにつれて、女性の方が隠すのが上手くなる可能性を示唆しています。
「普通に見せる」という無意識の努力——カモフラージュ行動とは
ASDの症状に男女差がほとんど見られない幼児期に対し、成長するにつれて女性のASDだけが“見えにくく”なる理由として、気になるのが「カモフラージュ行動(camouflaging)」です。
この言葉は、ASDの人が周囲に「普通に見せる」ために、症状を隠したり、振る舞いを修正したりする行動を指します。
2017年、ロンドン大学とケンブリッジ大学の研究チームが発表した論文(Hull et al., 2017)では、特にASDを持つ女性がこのカモフラージュ行動を頻繁に行っていることが明らかにされました。
研究では、成人のASD当事者たちへのインタビューを通して、彼らがどのように社会に適応しようとしてきたかが詳しく調査されました。その結果、多くの人が日常的に以下のような行動を取っていたことが報告されています。
たとえば、視線を合わせるのが苦手な人は、相手の眉間や鼻筋を見ることで“目を合わせているように見せる”技術を身につけています。ある女性のASD当事者は、「本当は人の目をじっと見るのが怖い。でも“ちゃんと目を見ろ”と言われてきたので、眉間のあたりを見るようにしてきた」と語っています。
また、会話が始まる前に「どんな話題が来そうか」「どのように返せば自然か」を想定し、会話の内容を台本のようにあらかじめ準備しておく人もいます。Hullらの研究では、「毎朝バス停で顔を合わせるママ友に、今日は『寒いですね』って言おうと前日から決めていた」という声も紹介されています。
他人の感情を自然に理解することが難しいため、「悲しいときはこういう顔をする」「驚いたらこう反応する」といった社会的ルールを意識的に学び、状況に合わせてそれを模倣する人も少なくありません。ある当事者は、「表情はテレビドラマから学んだ。嬉しいときの笑顔、悲しいときの沈んだ顔、それを思い出して再現している」と述べています。
さらに2020年に同じ研究チームが発表したレビュー論文では、これらの行動が「マスキング(masking)」「補償(compensation)」「模倣(assimilation)」という3つのカテゴリに分類され、非常に戦略的かつ継続的に行われていることが示されました。
ASDの人は、人との距離感がつかめなかったり、会話のタイミングがうまく読めなかったり、表情の意味が理解できなかったりといった悩みを日常的に抱えています。しかし、それは知能の低さを意味するわけではなく、知的能力は十分に高い人がほとんどです。
そのため、ASDの人の中にはそれを外部に悟られないために、普通にコミュニケーションが取れているよう“演じる”ことができる人たちも多いのです。

このような努力は、一見「社会適応力が高い」と受け取られがちです。
しかし、実際には本人に大きな負担を強いる行動でもあり、常に意識して演技を続けなければならないことから、次第に自分が何者であるのか分からなくなる「自己喪失感」や、慢性的な疲労感、不安、うつといった二次的なメンタルヘルスの問題につながることが報告されています。
では、なぜこのカモフラージュ行動は女性に多く見られるのでしょうか?
その背景には、文化的・社会的なジェンダー規範の影響があると考えられています。特に女の子は、幼い頃から「相手の気持ちを考えて行動すること」や「周囲に気を配ること」が大切だと教えられる傾向があります。そうした期待が、幼い頃から無意識に刷り込まれることで、ASDの傾向を持つ女の子も周囲に合わせようと努力を始めるのです。
また、女児は言語発達や模倣能力が男児より早い傾向があることも、カモフラージュをしやすくする一因と考えられています。つまり、社会的に“普通”を装うための手段を早くから身につけやすいのです。
こうして、“普通に見せる力”を持ったASDの女性は、ASDと診断されにくく、支援を受けにくいという大きなリスクを抱えることになります。
ただ、ここまで見てきたカモフラージュ行動は、誰もが多かれ少なかれ集団生活の中で実行しているものであり、「対人関係の気疲れ」に似た印象を受けます。
では、多くの人が感じる“コミュニケーション疲れ”と、ASDのカモフラージュ行動には、どのような違いがあるのでしょうか?
ここからは、その類似点と決定的な違い、そして「ASD的特性」は誰もが少しずつ持ちうる可能性について考えていきます。
誰でも少しはASD的?——疲れやすさの背後にある「特性のグラデーション」
ここまで紹介してきたように、ASDの人の中には「普通に見える」ようにカモフラージュ行動という努力をしているケースがあります。
しかし一方で、「自分にも心当たりがある」「私も人と話すとものすごく疲れる」と感じた読者も多いかもしれません。
実際、こうした“対人疲れ”や“ひとりの時間の必要性”は、ASDの診断を受けていない人にも広く見られる傾向です。
では、これは誰にでもある性格の一部にすぎないのでしょうか? それとも、自分でも気づかない軽度のASD的傾向なのでしょうか?
この疑問に対して、近年の研究では「ASDは“有る”か“無い”かで分けられるものではなく、誰もがある程度その特性を持っている」とする考え方が広まりつつあります。実際、多くの研究で「ASD特性は連続的(スペクトラム)に存在する」とされています。
たとえば、日常生活の中で次のような傾向を持つ人は少なくありません。
人と雑談するのが苦手(無理に笑う、気を遣って会話を合わせる、本音を言えずに建前で対応する、周囲の空気に気を配りすぎて疲れる)
決まったルールやスケジュールが崩れると強いストレスを感じる
他人の感情の変化に気づきにくい
興味が偏っていて、他の話題に注意を向けるのが難しい
これらはそれだけで診断に至るものではありませんが、ASDの中核的な特徴と重なる部分を含んでいます。そして、その程度が強くなったとき、あるいはそれによって日常生活や人間関係に支障が出てくるようになったとき、発達障害としての特性が浮き彫りになるのです。
特に注意すべきなのは、「うまく適応しているように見えている人ほど、深く苦しんでいる場合がある」ということです。
実際、ASDの女性に多く見られるカモフラージュ行動は、周囲からは“問題のない人”に見せる一方で、本人が深刻な疲労や不安、うつ状態を抱えていることが少なくありません。
また、ASDの傾向を持ちながらも診断を受けていない人が、周囲の期待に無理をして応えようとするあまり、知らず知らずのうちに自分の限界を超えてしまうケースも報告されています。
「なんとなくしんどい」「人と関わると極端に疲れる」「誰かといると自分らしくいられない」そんな感覚が長く続いているとしたら、それは単なる性格の問題ではなく、もっと深い発達的な特性によるものかもしれません。
その場合は無理をせずに、適切な診断を受けたり、専門家に相談した方が良いかもしれません。
参考文献
No Sex Differences in Autistic Toddlers at Time of First Diagnosis, Study Finds
https://today.ucsd.edu/story/no-sex-differences-in-autistic-toddlers-at-time-of-first-diagnosis-study-finds
元論文
Large-scale examination of early-age sex differences in neurotypical toddlers and those with autism spectrum disorder or other developmental conditions
https://doi.org/10.1038/s41562-025-02132-6
“Putting on My Best Normal”: Social Camouflaging in Adults with Autism Spectrum Conditions
https://doi.org/10.1007/s10803-017-3166-5
The Female Autism Phenotype and Camouflaging: a Narrative Review
https://doi.org/10.1007/s40489-020-00197-9
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部