どの時代の人も多かれ少なかれ「病気を治して長生きしたい」という考えを持っており、それが医療の発展に繋がっていきました。
しかし昔は現在では一般的に毒として考えられており、摂取することによってかえって健康を害すると考えられているものがしばしば薬として扱われており、それを使った治療法も行われていたのです。
この記事ではかつて行われていたトンデモ治療法について取り上げていきます。
なおこの研究は、リディア・ケイン,ネイト・ピーダーセン著・福井久美子訳(2019)『世にも危険な医療の世界史』文藝春秋に詳細が書かれています。
目次
- 梅毒を治すために水銀風呂に入っていたかつてのヨーロッパ人
- 万能薬として考えられていた金
- ヒ素に浸したパンを万能薬として食べていた
梅毒を治すために水銀風呂に入っていたかつてのヨーロッパ人

古代から中世にかけ、世界各地の医療界では水銀が神秘的な治癒力を持つと信じられていました。
中国やヨーロッパの古文書には、水銀が体内の邪気を払う「清浄剤」として記され、特に難病や感染症に対する秘薬として重宝される例が見受けられます。
当時の医師たちは、水銀の独特な光沢や常温で液体になる常軌を逸した物性に、不老長寿や霊的回復の力が宿ると解釈していたのです。
また16世紀のヨーロッパでは、パラケルススが「銀、塩、硫黄の三原質は生理学的かつ占星学的な性質を持つ物質であり、これらの物質を取ることによって体の状態をよくすることができる」と主張したこともあり、水銀がますます治療に使われるようになりました。
具体的には当時ヨーロッパにて流行していた梅毒の治療に使われており、梅毒の患者は水銀を熱して蒸発させてそれを吸い込むことによって体内に取り込む蒸し風呂療法や、水銀に油を混ぜてクリームを作ってそれを皮膚に塗る治療法が取られていました。
また水銀入りの釜に入って釜の下から火を付けて水銀を蒸発させる水銀風呂といった方法も取られていたのです。
このような治療は梅毒が治るまで続き、「ビーナスとの一夜、水銀との一生」ということわざができたくらいです。
こういった治療が本当に梅毒に対して効果があったのかについては未知数ですが、梅毒患者の多くがこのような治療法によって水銀中毒になり、梅毒ではなく水銀中毒で命を落とすことになったことは確実と言えるでしょう。
万能薬として考えられていた金

また中世以前の各文明において、金はその希少性と輝かしい美しさから、ただの装飾品に留まらず、医療や錬金術の領域でも至高の薬として扱われていました。
とりわけ中国において金の可能性について注目されており、錬丹術師が「錬丹術師は金を食べて長生きしている」と書き残したりしています。
また中国の薬学の百科事典的存在である「本草綱目」に「水に金を入れて煮込んで黄金水を作り、それでうがいをすれば歯の痛みが無くなる」と記されていたのです。
中世に入るとヨーロッパでも金の薬としての可能性を希求する動きが生まれ、塩化金(王水で金を溶かすと生まれる物資)を水に溶かして飲む人もいました。
また先述したパラケルススは「飲用金は万能薬である」と主張して宣伝して回っていたのです。
特に、病苦に悩む貴族層の間では、金製の調剤や、金箔を施した薬剤が贅沢な治療法として好まれたのです。
しかしながら、金そのものの生理活性は極めて限定的であったことが後の科学的検証で明らかとなり、その薬効はむしろ象徴的な意味合いに留まると判断されるようになりました。
現在でも一部の店舗ではソフトクリームや寿司に金箔をかけて提供しており、金を食べること自体は行われています。
しかしこれはあくまでゴージャスさを演出するためであり、決して万能薬として摂取されているわけではありません。
ヒ素に浸したパンを万能薬として食べていた

さらに近世ヨーロッパを中心に、ヒ素はその不可解な性質ゆえに、治療薬として一時代を風靡しました。
なおヒ素は先述した水銀や金と異なり、当時の人々も毒として認識しており、しばしば暗殺の道具としても使われました。
にもかかわらず、ヒ素は適量であれば人体のバランスを整え、様々な病状に対して効果があると信じられていたのです。
とりわけ皮膚によく効く薬であると考えられており、湿疹をはじめとするありとあらゆる皮膚トラブルにヒ素は使われていました。
特に18世紀末期になると、ヒ素はファウラー溶液などとして具体的な治療プロトコルに採用され、一定の効果が確認される事例も報告されたのです。
またヒ素はファウラー溶液に限らず様々な薬に使われるようになり、先述した塗り薬以外にも浣腸薬に混ぜて使われることやパンにつけてそれを食べることさえありました。
さらに19世紀中ごろのオーストリアのある村では「ヒ素を食べると忍耐力と性欲が向上し、体がたくましくなる」と信じられており、ヒ素を料理にかけて大量に食べていたという記録も残っています。
このように医療の歴史においては今では考えられないようなものが薬として使われることもありましたが、意外なことにこれらの物質は今でも細々と薬として使われていることもあるのです。
たとえば金は金ナノ粒子ががん細胞に取り込まれやすいという性質を治療に活かす方法が模索されており、ヒ素の化合物である三酸化二ヒ素は急性前骨髄球性白血病 の治療薬として現在でも多くの患者を助けています。
このように医学・薬学の世界において毒と薬の境界は今もなお曖昧ですが、パラケルススの格言をもって、この記事を締めさせていただきます。
「すべてのものは毒であり、毒でないものはない。 用量だけが毒か薬かを決める。」
参考文献
世にも危険な医療の世界史 | ケイン,リディア, ピーダーセン,ネイト, 久美子, 福井 |本 | 通販 | Amazon
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2-%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2-%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4163910174
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部