かつて、牛乳の生産には必ず牛が必要とされていました。
しかし、急速に発展する分子農業技術のおかげで、牛に頼らずとも乳タンパク質を作り出す新たな可能性が現れています。
イスラエル発のスタートアップ『Finally Foods』は、AI駆動型の遺伝子工学を活用し、ジャガイモを生体工場として改変。
従来、牛乳の主要タンパク質であるカゼインを、ジャガイモ内で生成することに成功しました。
この革新的なアプローチは、従来の酪農がもたらす温室効果ガスの大量排出や莫大な資源消費といった環境問題の解決、さらにはコスト効率の向上に大きく貢献する可能性があります。
果たして、ジャガイモから抽出されるカゼインは、従来の乳製品が持つ味わいや機能性を再現し、次世代のチーズやヨーグルトへと進化するのでしょうか。
本記事では、ジャガイモを利用した乳タンパク質生産の背景、技術的な詳細、そしてその経済面・環境面でのメリットについてわかりやすく解説します。
目次
- 植物にミルクを作らせる分子農業
- AIが設計し人間が作る「ジャガイモミルク」
植物にミルクを作らせる分子農業
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伝統的な乳製品は、何世紀にもわたり人々の食生活に欠かせない存在でした。
しかし、その生産は牛の飼育に大きく依存しており、広大な土地や水資源を必要とするだけでなく、大量の温室効果ガスを排出するなど、環境面で多くの課題を抱えています。
実際、酪農業は世界全体の温室効果ガス排出の一因となっており、持続可能な社会の実現にとって大きな障壁となっています。
一方、現代の消費者は健康志向や環境意識の高まりとともに、従来の生産方法に代わる新たな技術への期待を強めています。
精密発酵や微生物発酵など、動物に依存しないタンパク質生産技術が次々と提案される中、完全な代替手段としてはまだ確立されていないのが現状です。
たとえば、精密発酵は高品質な製品を生み出す一方で、設備投資やエネルギーコストが高く、規模拡大のハードルとなっています。
また、微生物発酵では、複数のタンパク質を同時かつ効率的に生産することが技術的に難しいという課題も指摘されています。
こうした背景のもと、近年注目を集めているのが「分子農業」と呼ばれるアプローチです。
分子農業は、従来の微生物や精密発酵とは異なり、植物を工場として活用する技術。
植物は広大な農地で栽培できるため、大量生産が可能であり、設備投資や運用コストを抑えながら、持続可能な生産体制を実現できる点が大きな魅力となっています。
今回、イスラエル発のスタートアップ『Finally Foods』は、従来の動物由来タンパク質生産に替わる新たな手法として、ジャガイモを利用した乳タンパク質、特に牛乳の主要成分であるカゼインの生産技術を開発しました。
AIが設計し人間が作る「ジャガイモミルク」
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乳タンパク質の中でも、カゼインはその機能性と栄養価から極めて重要な役割を担っています。
牛乳中の約80%を占めるカゼインは、チーズやヨーグルトなどの乳製品の製造において、凝固やテクスチャー形成の要となる成分です。
今回の革新的な開発では、まずAI駆動型の遺伝子工学技術を活用し、動物由来のDNA配列をジャガイモの細胞内に正確に組み込むことから始めました。
このDNA配列には、牛乳に含まれるカゼインというタンパク質を作るための「部品」(サブユニットのアルファ1、アルファ2、ベータ、カッパと呼ばれる部分)の情報が含まれています。
この情報のおかげで、ジャガイモの細胞は、牛乳のタンパク質を構成するこれらの部品を正しく作り出すことができるようになっています。
従来、牛を必要とする酪農と比べ、ジャガイモは栽培が容易で収量も安定しており、低コストで大量生産が可能なため、理想的な「バイオ工場」として選ばれました。
ジャガイモは成長過程で、細胞内に組み込まれた遺伝子が適切な環境条件下で発現し、カゼインタンパク質が生成されます。
収穫後は、効率的な抽出プロセスを経て、純度の高いカゼインが分離・精製されます。
従来の微生物発酵と比較して、ジャガイモからの抽出プロセスはシンプルで、タンパク質の損失や不純物の混入を最小限に抑えながら、大量生産を実現できる点が大きなメリットです。
また、これまで精密発酵や微生物発酵では、複数のタンパク質を同時に効率良く生成することが技術的に難しいとされていましたが、Finally FoodsはAIを駆使してジャガイモを生体工場(バイオリアクター)として改変することに成功しました。
さらに、ジャガイモを選定した理由として、世界中で広く生産されるため既存の農業インフラを活用でき、低コストで大量生産が可能な点が挙げられます。
加えて、ジャガイモからのタンパク質抽出は、大豆など他の作物に比べプロセスがシンプルであるため、製造工程全体の効率性が大幅に向上します。
注目すべきは、Finally Foodsが最終製品に混入する他の植物由来タンパク質を徹底的に排除し、クリーンなカゼインのみを抽出する仕組みを確立している点です。
つまり、遺伝子組み換え技術はあくまで内部プロセスに限定され、最終的な乳タンパク質はDNAを含まない「ピュア」な形で提供されるため、消費者が安心して利用できる製品づくりを目指しています。
ジャガイモ由来のカゼインは、従来牛乳から抽出される乳タンパク質と同等の機能性を持つため、チーズやヨーグルトなど従来の乳製品における食感や風味を十分に再現できる可能性があります。
たとえば、カゼインが持つ凝固特性やミセル形成能力を活かして、「ポテトチーズ」と呼ばれる新たな乳製品の開発も視野に入っています。
健康志向や環境意識が高まる中、従来の酪農製品に代わる持続可能な代替品として、ジャガイモ由来乳タンパク質は市場で大きな差別化要素となるでしょう。
さらに、この技術はカゼイン生産に留まらず、卵タンパク質やヘモグロビンなど、他の動物由来タンパク質の製造にも応用可能です。
これにより、従来の畜産業に依存しない多様なタンパク質供給源の確立が期待されます。
また、Finally FoodsはB2B向けの原料供給企業として、食品メーカーとの連携やライセンスビジネスを通じて市場拡大を目指しており、この革新的技術が食品産業全体に波及し、持続可能な食糧生産体制への転換を加速させると予測されます。
もしかしたら、未来のスーパーでは「ジャガイモミルク」や「ジャガイモ卵」、さらには病院で「ジャガイモ輸血液」といった製品が当たり前になっている日も遠くないかもしれません。
参考文献
Molecular Farming Startup Finally Foods Emerges From Stealth with Pre-Seed Funding to Develop Casein Proteins
https://www.greenqueen.com.hk/molecular-farming-finally-foods-casein-protein-the-kitchen-hub/
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部