「自分の体で試したい… 」
そんな究極の好奇心に駆られ、性病患者の膿(うみ)を自らのペニスに塗り込み、梅毒に感染した医者がいました。
18世紀イギリスの解剖医、ジョン・ハンター(1728〜1793)です。
彼は数多の遺体を解剖し、自らの目で確かめた観察結果にもとづくことで、医療を大幅に発展させた天才でした。
その一方で、解剖用の遺体を手に入れるために葬儀業者を買収するなど、暗い噂も後を絶ちません。
果たして、ジョン・ハンターは多くの人命を救った”英雄”だったのか、それとも遺体を集めるためには法も犯した”悪魔”だったのか。
これからする話をもとに、みなさん自身で判断してみてください…
目次
- 解剖の天才、ジョン・ハンターの登場
- ハンターの「悪魔」の素顔? 遺体集めで法を犯す
- 性病患者の膿を自分のペニスに塗りつける
解剖の天才、ジョン・ハンターの登場
18世紀イギリスの医者は主に、医薬に精通した内科医か、手術を行う外科医のどちらかに分かれていました。
しかしいずれも古くからの言い伝えや俗説にどっぷり浸かっており、今の基準ではまったく間違った治療をすることも少なくなかったのです。
例えば、血液を無理に抜き取る「瀉血(しゃけつ)」などがそう。
モーツァルトはリウマチ熱を治療するために何度も瀉血をされ、どんどん衰弱し、1791年に帰らぬ人となっています。
このように西洋医術は数百年の間ほとんど停滞したままでしたが、そこに現れたのがジョン・ハンターです。
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ジョンは1728年2月13日にスコットランドの農村に生まれました。
幼い頃から学校での勉強に興味をもたず、屋外で虫や動物を追いかけて集めることに夢中だったといいます。
おそらく、この頃から「生き物の体がどんな風に作られているのか」に興味を持っていたのでしょう。
彼はのちにロンドンで医師として成功していた10歳年上の兄ウィリアムの元で助手として働くようになります。
そこでジョンは兄ウィリアムが開いていた解剖講座に使う新鮮な遺体を集めるという、血生臭い仕事を一手に担当しました。
そうしてジョン自らも解剖に熱中する中で、兄ウィリアムを遥かに凌ぐ解剖の才能を発揮します。
その後、彼はセント・ジョージ病院の外科医となり、午前中は治療費を払える患者を診て、午後は貧しい人たちを無料で診察する日々を送るようになりました。
さらにジョンは「若い外科医たちをもっと育てなければ」と思い立ち、学生を相手に夜間講座を開きます。
ここでちょっと変わった奇人エピソードがあります。
ある晩、夜間講座に学生が一人しか出席していないことがありました。
するとジョンは骨格標本を一体引っ張り出して席に座らせ、いつものように「諸君」と呼びかけて講義を始めたのです。
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彼はその時点で1000体以上の解剖を経験しており、人体の内部について究めて詳しくなっていました。
そして学生たちには「解剖は外科医学の基礎であり、解剖こそが頭に知識を、手に技術を与え、さらに外科医に必要なある種の残酷さに心を慣れさせるのだ」と教えています。
ただ問題はジョンが何よりも解剖を重視したため、解剖の練習用に大量の遺体が必要になったことでした。
そこでジョンは過激な裏の一面を見せるようになります。
ハンターの「悪魔」の素顔? 遺体集めで法を犯す
人が亡くなるタイミングは予測できませんし、そう都合よく遺体は手に入りません。
そこでジョンが目をつけたのは死刑囚の遺体でした。
1752年の法律改正に伴い、死刑執行された囚人の遺体を解剖用に請求できるようになると、ジョンを含め多くの外科医たちが絞首台に群がり始めました。
できるかぎり新鮮な状態の遺体が必要だったからです。
今ではあり得ませんが、その際に囚人の親族との間で遺体の取り合いも起こったといいます。
また取り合いのあまりの激しさに、息を吹き返した死刑囚もいました。
これは嘘でもなんでもありません。
当時の処刑はまだ、囚人の足元の板が開き、勢いよく落下させて一気に頸椎(けいつい)を折る方法ではなく、絶命するまでジワジワ首を締め続ける方法がとられていました。
しかも医師による死亡確認がされない場合も多く、「実は意識を失ってるだけ」というケースが多々あったのです。
信じ難い話ですが、解剖医がメスを入れようとした瞬間に囚人が目を覚ますこともあったといいます。
なんという悪夢でしょうか…
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さらにジョンは遺体を手に入れるために、死体盗掘者たちと付き合うようになりました。
この頃までにはジョンを筆頭に遺体を高く買う外科医が増えていたため、死体盗掘者の数も非常に多くなっていたのです。
また意外にも墓の盗掘は犯罪行為にはなりませんでした。
法律上、遺体は誰かの所有物ではなく、窃盗罪の対象にならなかったからです。
ただ法律は許しても、民衆たちは遺体集めに奔走する外科医たちの狂気を許容できませんでした。
人々は「自分の体も盗まれるのではないか」と不安に駆られ、解剖医を糾弾する騒動も起きています。
しかし死体盗掘者の行動はどんどんエスカレートしていきました。
新鮮な遺体を手に入れるため、ついに一線を越え始めます。
そう、人を殺したのです。
当時、バークとヘアという死体盗掘者が16人を殺害し、その遺体をロバート・ノックスという外科医に売った事件が一大スキャンダルとなりました。
これを機に「解剖法」が1832年に制定され、救貧院と死体公示所の遺体のうち引き取り手が見つからないものは、すべて解剖医に回されることになります。
ジョンが殺人者たちから遺体を買ったかどうかは定かでありません。
ただ彼は葬儀業者に金をつかませて遺体を手に入れることをしていました。
これは当時の法律でも完全に違法です。
またジョンは標本のコレクターとしても有名であり、人や動物の臓器および骨格を世界中から集め、自室にはなんと1万4000点を超える標本が並んでいたといいます。
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さらにジョンの危うい一面を物語るエピソードをひとつ紹介しましょう。
当時ロンドンには「アイルランドの巨人」と呼ばれていた身長2メートル50センチのチャールズ・バーン(1761〜1783)という人物がいました。
ジョンはチャールズの骨格標本がどうしても欲しかったので、人を雇っていつ死ぬかを24時間体制で見張らせていたのです。
チャールズは自分が見張られていることに気づき、「私が死んでも標本にされないよう、棺桶に錘をつけて海に沈めてくれ」と遺言していました。
彼の遺言通り、チャールズの遺体は棺に収められて海に運ばれたのですが、そこに姿を現したのがジョンでした。
ジョンは葬儀業者に賄賂を渡して、棺の中のチャールズの遺体だけを盗み出し、特大の鍋で煮込んでついに骨格標本を手に入れたのです。
遺体に対するジョンの好奇心はもはや狂気の領域に達していました。
そしてその危険な好奇心はついに自分の体にまで向けられるのです。
性病患者の膿を自分のペニスに塗りつける
18世紀の後半、ロンドンではかつてないほど性病が大流行していました。
街のあらゆる場所で売春行為が蔓延っており、衛生状態も悪く、それによって性病にかかる人が続出していたのです。
ジョンが診察した患者の4分の1も性病で占められていたといいます。
当時の主な性病には「淋病」と「梅毒」の2種類がありました。
淋病は排尿痛および尿道口からの膿を引き起こし、最もありふれた性病でしたが、致死的な病気ではありません。
一方で、梅毒は淋病よりずっとタチの悪いものでした。
感染するとペニスに特有のしこりが生じ、リンパ節が腫れて、数カ月後には部分的な脱毛や発熱、瘤のような腫瘍ができたのです。
しかもこれが一生続くことがありました。
この2つの性病はそれぞれ異なる細菌によって発症する別々の病気ですが、18世紀はまだ細菌を見る方法がなかったため、病気は症状によって区別されるだけで、厳密にどう異なる病気であるかはわかっていませんでした。
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そんな中、ジョンは最初に淋病の症状を見せた患者が、後から梅毒の症状を見せるという症例に出会います。
そこでジョンはこの性病患者を診察する中で、ある仮説を立てました。
「淋病と梅毒は別々の病気ではなく、単に進行段階が違うだけの同一の疾患であるに違いない」
これを証明するため、ジョンは誰かに淋病を感染させ、正確な進行段階を観察する実験をしようと考えました。
それには淋病にも梅毒にも確実に感染しておらず、24時間体制で診察できる体が必要です。
この条件を満たすのは間違いなく、ジョン自身でした。
そうしてジョンは自らのペニスに傷をつけ、そこに淋病患者から採取した膿を塗り込んだのです。
数週間後、彼の体に異変が現れますが、それは淋病ではなく、梅毒に特有のしこりでした。
彼の予想では自分が見た患者と同様に、まず淋病の症状が現れ、その後期間を置いて梅毒の症状が現れるはずでした。
ジョンは患者が淋病と梅毒の両方に感染している可能性を見落としていたのです。
こうして彼は淋病と梅毒が異なる病気であることを確認しました。
しかしそのせいで彼自身は性行為もしていないのに、自らを梅毒に感染してしまい、その症状は彼を一生涯にわたって苦しめ続けたといいます。
英雄か、悪魔か
このようにジョンには奇怪で危うい一面がありましたが、ロンドンで最も腕の立つ外科医であることは確かでした。
彼は瀉血や水銀治療など、従来の間違った治療法を否定し、外科医としても安易に手術を行うことに慎重で、症例によっては自然治癒に任せる方法もとりました。
そのおかげで無理な切断手術をせずに、命が救われた患者もたくさんいたのです。
彼の名声に惹かれて、経済学者のアダム・スミスやベンジャミン・フランクリン、イギリス国王ジョージ三世などがジョンに往診を依頼したといいます。
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また彼は患者を使って数多の解剖や実験を行いましたが、決してモルモット扱いしたわけではありませんでした。
ジョンは生前に「もし自分が患者と同じ病気になったら、私は自分の体でも同じ実験をしただろうし、自分の体に対して行っただろうと思われる以上のことを他人の体で実験したことはない」と話しています。
実際彼は、他人を実験台にしても良さそうな病状の進行段階を見る実験で、自分自身を実験台にしています。
当時は遺体を切り刻む行為を狂気の沙汰と感じる人も多かったのでしょう。そのため、彼には名医と狂人のような異なる印象の記録が数多く残ってしまったのかもしれません。
ちなみに遺体を運び込むための搬入口を持っていた彼の邸宅は、「ジキル博士とハイド氏」の屋敷のモデルになったと言われています。
彼は違法な手段で無数の遺体を集めるという裏の顔を持っていましたが、その解剖研究のおかげで外科医術は大いに発展し、彼が残した知識と技術により何千、何万人もの命が救われることになるのです。
さて、皆さんはジョンのことを「英雄」だと思いますか、それとも「悪魔」だと思いますか?
参考文献
John Hunter
https://hunterianmuseum.org/about/john-hunter
世にも奇妙な人体実験の歴史
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC-%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3/dp/4167907399/ref=sr_1_1?crid=2R8FLJICANOGN&dib=eyJ2IjoiMSJ9.z1LUe5Dsn4_H3_Y24873uQWYGo8ES03Q1jA_-cmPCnGHFWP01OLZf2tv-OOagEjlQXtwxZICYLu-F-3EblF2hDicSw_FOLRJA1Bf0icxtylUFHspmwPeVhkhD4T3PV7gWN4IV6XoPasFhfmmMiymzYlaj6nQiKiSMTFNEt8xa9znYTP3BDaxaZEQ5ZPKOxncE3YS2PIvtaGlTbsZzI_VIaBz61AzQm5G2-QY8BgtxUo.p_KmCtMJEzfa0PKPP1OLuvtVqlL5ezaOGmewaBKSBvc&dib_tag=se&keywords=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&qid=1738023575&sprefix=%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%2Caps%2C551&sr=8-1
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部