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【生き残れば釈放】ある死刑囚が挑んだ「土食実験」とは?


1581年、ドイツのホーエンローエ領で若き死刑囚ヴェンデル・トゥンブラートは、土から作られた錠剤「テラシギラタ」を利用して命を賭けた大胆な実験を行いました。トゥンブラートは、領主ヴォルフガング二世に、毒を飲んだ後、テラシギラタを摂取して生き延びた場合は釈放してもらうという取引を持ちかけました。当時、テラシギラタは解毒剤として信じられており、最も強力な毒物とされる塩化第二水銀を摂取して一晩苦しんだ後、トゥンブラートは奇跡的に生き延びました。彼の命が助かった理由は不明ですが、結果として彼は釈放されました。この事件は、医薬品としてのテラシギラタの再評価をもたらしました。

刑の執行が決まった死刑囚にもはや生き残る術はありません。

しかし若き死刑囚、ヴェンデル・トゥンブラートはある大胆な賭けに出ました。

時は1581年、ドイツのホーエンローエ領でのこと。

トゥンブラートは領主に「どうせ俺を殺すのなら、ある解毒剤の効果を試してみないか?」と持ちかけたのです。

その解毒剤とは、土の錠剤「テラシギラタ」でした。

猛毒をあおった後にテラシギラタを飲んで「死ねばそのまま」「生き残れば釈放」という究極の勝負に出たのです。

さて、トゥンブラートの賭けはどっちに転んだのか?

テラシギラタの歴史も含めて見ていきましょう。

目次

  • 死刑囚、「土食実験」の賭けに出る!
  • 土の錠剤「テラシギラタ」とは?
  • 生きるか死ぬか、土食実験の結末は?

死刑囚、「土食実験」の賭けに出る!

ヴェンデル・トゥンブラートはホーエンローエ領での何件かの強盗の罪で、絞首刑を宣告されていました。

暗い牢獄に閉じ込められ、刑の執行日が迫る中で、ある秘策を思い付きます。

彼は過去、ドイツを放浪している際に「テラシギラタという名の強力な解毒剤がある」という話を小耳に挟んでいました。

そこでトゥンブラートはホーエンローエ領の領主・ヴォルフガング二世に「ただ絞首刑で殺すよりも、俺の体を使ってテラシギラタの人体実験をしてみてはどうか」と取引を持ちかけたのです。

ヴォルフガング二世はこれに対し、まったく相手にしないかと思いきや、予想外に食いつきました。

というのも当時は毒物が簡単に手に入る時代であり、領主たちはいつ何時毒を盛られて殺されるかわからない不安に苛まれていたからです。

そのため、ヴォルフガング二世も毒殺されるのを恐れて、優れた解毒剤を欲しがっていました。

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テラシギラタ/ Credit: commons.wikimedia

加えて、彼はほんの数日前に、アンドレアス・ベルトールドという男が街に現れて、テラシギラタを売り歩いていたことを思い出していました。

ベルトールドは鉱夫から巡業医師へと転身したドイツ人であり、「テラシギラタはどんな病も癒す万能薬であり、とりわけ解毒剤に優れているのです」と声高に喧伝していたのです。

そこでヴォルフガング二世は「いいだろう、テラシギラタを飲んで生き残れば、お前を釈放してやる」とトゥンブラートの賭けを受けたのです。

では、この「テラシギラタ」とはどのような代物なのでしょうか?

土の錠剤「テラシギラタ」とは?

意図的に土を食べる「土食文化(ジオファジー)」はかなり古くからありました。

古代人たちは土を食べることでミネラル補給になったり、寄生虫の感染予防になると考えたのです。

そんな中、地中海に浮かぶリムノス島のギリシャ人たちは紀元前500年頃に、毎年同じ日に同じ丘で、赤い粘土を採取する慣習を持っていました。

採取された赤土は水で洗って精製された後、丸みのある錠剤型に成形され、乾燥させることで保存可能な状態にされます。

その後、島の女祭司が儀式めいた祈祷を施したあと、土の錠剤に公式の印を刻みました。

この”押印された土”という意味から「テラ・シギラタ(Terra sigillata)」と呼ばれるようになったのです。

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女祭司が祈祷を施して「押印」をした/ Credit: commons.wikimedia

当時、リムノス島で採取される赤みを帯びた粘土には、解毒作用や消化不良の緩和などに効果があると信じられていました。

もう少し具体的にいうと、土が毒物を吸着し、体外に一緒に排出されることで、毒の吸収を抑えると考えられていたのです。

そうしてテラシギラタは島の薬局のような場所に送られ、医薬品として売られるようになりました。

テラシギラタは特にギリシャ・ローマ時代に人気を博し、国中に流通します。

テラシギラタの取引はギリシャ・ローマ時代の終わりと共に下火になりますが、ルネッサンス期になると、ヨーロッパ中で再び注目されるようになります。

このときにはテラシギラタは解毒剤としてだけでなく、赤痢、潰瘍、出血、淋病、発熱、腎臓病、眼病などあらゆる病気の治療に用いられました。

現代の科学的な観点から見ると、テラシギラタにはそのような治療効果はありませんが、当時は思い込みによるプラセボ効果によって確かに病気が治る患者もいたため、万能薬として持ち上げられたのです。

死刑囚のトゥンブラートはこの噂を耳にした訳ですが、では彼の賭けはどうなったのでしょう?

生きるか死ぬか、土食実験の結末は?

土食実験の当日。

劣悪な地下牢から引きずり出されたトゥンブラートには、事前の提案通り、「思いつく中で最も強烈な猛毒」が用意されました。

塩化第二水銀です。

これを摂取すると、体内の粘膜や胃壁が腐食して痛みでのたうち回り、組織障害や腎不全、虚脱が発生して、最終的には死に至る危険性があります。

トゥンブラートは意を決し、ジャムと混ぜた塩化第二水銀、約5.5グラムを口にしました。

彼は致死量の3倍もの水銀を飲み込んだのです。

その後すぐに彼は4グラムのテラシギラタを溶かしてワインを一気に飲み干しました。

果たして、結果は… ?

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テラシギラタとラテン語の記載された包装紙/ Credit: commons.wikimedia

予想通り、トゥンブラートは毒物による強烈な痛みに襲われ、もがき苦しみました。

彼は一晩の間、体の痛みにのたうち回りましたが、奇跡的に生きて翌日を迎えることに成功したのです。

これを目にしたヴォルフガング二世は「もう窃盗の罪は償った」と判断し、トゥンブラートを釈放して治療を受けさせました。

死刑囚は生きるか死ぬかの究極の賭けに勝ったのです。

その後、彼がどんな人生を送ったのかはわかっていませんが、ヴォルフガング二世の方は巡業医師のベルトールドから一生分のテラシギラタを買い取り、ベルトールドは富と名声を手に入れたといいます。

なぜトゥンブラートは生き残ることができたのか、本当にテラシギラタのおかげだったのか、それは不明です。

今日の科学的見地からすると、ある種の土には確かにミネラル成分が豊富に含まれており、これが薬物の吸着作用を発揮したと説明することも不可能ではありません。

ただそれ以上にトゥンブラートは悪運が強かったのだと言えるでしょう。

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参考文献

世にも危険な医療の世界史
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B1-6-1-%E3%83%AA%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3/dp/4167921057/ref=sr_1_1

元論文

Terra Sigillata–a remedy used through millenniums
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19831289/

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

ナゾロジー 編集部

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