「もういいかいこのお話読んで~」
「またこの話見たい~」
小さな子供は1度見聞きした物語を何度も繰り返してもらいたがります。
大人はそんな子供たちに対して「もうなんども読んだでしょ(見たでしょ)」と諭しますが、子供たちは納得しません。
そのため子供たちのお気に入りの絵本などは、時がたつにつれてどんどんボロボロになっていき、子供たちの中には内容のほとんどを「暗記」してしまうこともあります。
しかしそれでも子供たちは大人に「同じお話」をまたするようにお願いしてきます。
「なぜなのでしょうか?」
近年の研究では、この子供たちの不思議な習性が認知科学的に非常に理にかなっている行動であり「健全」な欲求であることが示されています。
今回は、多くの子供が(おそらくかつてのあたなも)なぜ物語の繰り返しを欲していたかを認知科学の観点から解き明かしていこうと思います
研究内容の詳細は『Topics in Cognitive Science』にて公開されています。
目次
- 繰り返しは幼児の脳内にパターン形成を促す
- 物語を繰り返し体験するもう1つの利点
繰り返しは幼児の脳内にパターン形成を促す
読み終わったばかりの絵本や見終わったばかりの映画。
そこそこの年齢に達した子供や大人ならば、次のアクションとして別の絵本や作品を見ようとします。
しかし幼い子供たちはしばしば、同じ絵本や同じ映画を、もう一度最初から見ようとします。
子供たちは「お気に入り」を作るのが得意です。
しかし大人たちの中には
「なぜさっき読み終えたはずの絵本をもう一度最初からみているのか?」
「なぜ同じ映画を毎日のように見ようとするのか?」
「子供たちは中毒になっているのではないか?」
と不安になる人もいるでしょう。
しかし大丈夫です。
多くの認知科学者たちによれば、幼い子供が同じお話の繰り返しを求めることは脳の発達においてマイナスどころか大きなプラスになると考えられています。
幼い子供にとって、この世界の見るもの触れるものの全てが「新しい」ものです。
一方、大人にとってはこの世の全てはありふれており、新作の絵本や映画に対しても「批評家」のように論じることも可能です。
大人たちは長い月日のなかで時間をかけて脳機能を高度化させており、あらゆるパターンを認識し、それらパターンをもとに自らの考えや判断を実行に移すことが可能だからです。
しかし幼い子供は違います。
「桃太郎」が「イヌ」「サル」「キジ」を仲間にするというパターン、仲間にするときにキビダンゴを使うというパターン、そして彼らが協力して鬼に立ち向かうというパターンは、幼い子供たちにとって初めて体験する予想もできない展開なのです。
そして鬼退治、鬼ヶ島といった名詞すら、全く新しい概念となり得ます。
そのため子供たちの多くは、物語の全てを1度の視聴では用意には把握できません。
面白いことはわかっているのに、物語の登場人物や設定も飲み込めない子も多いでしょう。
人間の認知能力は限界があり、1度の接触によって覚えたり理解できる範囲も限られています。
大人でも、昔読んだ本やみた物語を再び接したとき「あのシーンであのキャラクターが〇〇したのは、こういう意味があったんだ……」と新たな発見が起こります。
また動画サイトのようにコメントがあると、他人の意見や考察を聞いて「なるほど」と思ったりもします。
どちらも繰り返しが行われることによる、深い理解の進展です。
このような理解の深みが増す経験は、人間にとって独特の「快感」となります。
残念なことに大人の場合、そのような理解の深さが増すテンポは数十年単位です。
しかし急速に成長している子供たちののうではそれが毎日、毎時間のように起きています。
子供たちは初めての物語に接した時は、ほとんど何も理解できていないのでしょう。
しかし繰り返し接することで、ストーリーライン、キャラクターの行動の動機、キャラクター同士の関係性、重要なアイテム、重要な約束などの存在を記憶し、それらを脳内で連携して理解できるようになり、子供たちの脳内にこれまで存在しなかったパターン構造が形成されていきます。
やがて子供たちは物語の「細部」にも気付きはじめ、キャラクターやナレーションのセリフまで覚え、言葉や口調を真似たりするようにもなります。
理解が深まるにつれて末端の情報にまで気付きがおよび、物語の情報を抽出して自分のものとして使えるまで、脳の発展が進んだのです。
物語のキャラクターの言動を真似るというのは、大人がやると痛々しいものです。
しかし子供にとって真似る訓練は脳の発達において非常に重要です。
まずもって繰り返しの視聴により物語の趣旨やパターンを理解し、次いで台詞を覚え、感情をトレースし、声の調子をあわせ、さらに真似を行うべき場面(ごっこ遊び中)をみつけるといった複雑な手順が全てクリアされていなければなりません。
未発達な脳にとってこれを実行できるようにすることは、非常に大きな進歩と言えるでしょう。
もし身近な子供がヒーローごっこを初めて行い、ヒーローの真似がそれなりに行えていたのなら、是非とも褒めてあげてください。
その子供は自分の脳内に存在しなかったパターンや情報を物語から抽出し、自分の血肉とすることに成功したと言えるからです。
そして繰り返しだけが、この偉大な進歩を起こせます。
先に人間の認知能力には限界があると述べましたが、繰り返しを行うことで子供たちは既に掴んだ基本的な情報やパターンを無視して、気付かなかった情報やストーリーの背景の理解に認知力を注げるようになります。
次々に新しい物語に接することは脳に強い刺激となるのは間違いありません。
しかし繰り返しが行わなければ、子供たちは理解の深化を行う機会を逃してしまうでしょう。
幼い子供たちにとっては、単に触れる情報の量が多くなるよりも、往々にして脳内にある情報の深堀のほうが利益があるからです。
大人の世界でも「一芸に通じるものは多芸に通じる」ということわざがあります。
これはある分野を徹底的に深堀してエキスパートになること、他の分野の肝となる技術や概念をスムーズに理解でき、他の分野に進出しても比較的容易に上達できることを示しています。
子供たちの脳が繰り返しを求めるのもある種の本能であり、1つの物語を深堀することで、将来の人生において応用可能な複数のパターンを抽出しようとしているのでしょう。
物語を繰り返し体験するもう1つの利点
何十年も前にみたテレビシリーズを一緒に流れていたCMシリーズをみたとき、人々は不思議な心の安らぎを感じます。
特に視聴者に覚えてもらうことを目的に作ったCMなどは、何十年もの時を置いても記憶に深く刻まれており、心の中に暖かさのようなものも湧き出てきます。
動画サイトには70年代、80年代、90年代、10年代のCMがまとめられているものがありますが、その再生数は決して少なくなく、残されているコメントも回顧の念をつづったものに満ちています。
同様の心の安らぎは、お気に入りの物語を繰り返しみることでも発生します。
(※物語は最近のものでもかまいません)
また馴染みの喫茶店や散歩コースを歩いたり、昔からやっていた楽器の演奏やゲームをしたときにも、同じような心の温かさや安らぎを感じるでしょう。
そのような心の安らぎは、その行動を繰り返したいという欲求を強めます。
「飽きないのか?」という疑問はナンセンスです。
これらの行動に脳が魅力を感じるのは「新たな刺激を減らすため」「お決まりを見たいため」「同じ結末に安心したいため」だからです。
日々の暮らしはストレスが多く、人間の認知能力に大きな負荷を与えてきます。
新しい仕事、新しい人間関係、新しい上司、新しい部下、新しい取引先、新しい業務体制、あるいは恋人とのトラブル、友人とのトラブル、人間関係のストレスなど、人間は毎日の生活の中で認知能力を枯渇寸前まで使い切り、作業記憶も容量一杯に情報を詰め込みます。
そうしない人間を周りがみると、余裕を持っているという好意的な判断ではなく、サボっているとみなされる場合もあるからです。
結果として、プライベートな時間にたどりつくことろには、もう新しい刺激を求める力も失われてしまいます。
近年の研究では、このような精神的に疲れている生活を送る人々にも、同じ物語を繰り返し見たいという欲求が発生することが報告されています。
何度もみたアニメをまた視聴しても認知負荷がかからず、それどころかその先の展開が自分の予想や希望と一致することになります。
「1度みたアニメなんだから先を知っていてあたりまえだろ」
と思うかもしれませんが、人間の脳はそう簡単なものではありません。
先を知っていることと、目の前の物語がそこに終着することを、脳はかならずしも「=」では結ばないからです。
特に登場人物の感情やストーリーのすったもんだがあって予測不能な展開を続けていた場合、自分が知っている結末に辿り着くことは、脳に「優越感」を植え付けます。
また全てを知っており、自分が予期せぬ展開が発生しない世界に接し続けることは、脳に快適さを与えます。
人間社会は自分の力ではどうにもならない事態に満ち溢れており、自分の力の及ばない無数の出来事に圧倒されてしまいます。
一方で、予期せぬ展開が発生しない世界では、人間は自分の人生のコントロール感を取り戻すことが可能になります。
つまり何度もみた物語を繰り返しみることで、人間はすり減った心を癒したり、人生のコントロール感を取り戻したり、つらい現実から一時的に逃避することが可能になるのです。
さらに繰り返し物語を接することで、物語のキャラクターと本当の友達のようなつながりを持てるようになります。
「気持ち悪い」とは言わないでください。
これは誰もが多かれ少なかれ、もっている能力です。
そしてこうした架空のキャラクターとのつながりや仲間意識を感じる能力のことを認知科学では「ソーシャルスナック」つまりスナック感覚で感じられる社会的繋がりと呼ばれています。
ソーシャルスナックによるつながりは、本物の人間同士の交流に取って代わるものではありません。
しかしスナック感覚と言えど社会的つながりの一種であり、人間の心の疲れを癒す力があることが認められています。
そしてこのような現象は子供にも起こり得ます。
子供が何度も同じ物語を見たがる背景には、将来に備えて脳を発達させたいと願う攻めの姿勢に加えて、安らぎを得たいという心理も同時に含まれているのです。
子供は子供で日々の生活に疲れており、幼稚園や小学校では他の子供と比べられて劣等感や嫉妬を抱くことがあります。
そんな疲れ切った子供にとって、慣れ親しんだ物語を体験することは、自分の自尊心を回復しする手段であり、物語を視聴するという決断そのものも、人生のコントロール感を取り戻す手段となり得ます。
もしいまあなたが辛く苦しい状況にいるなら、昔のCMや慣れ親しんだ物語の世界にもう一度触れてみてください。
きっと安らぎが訪れることになるでしょう。
元論文
Acquiring Complex Communicative Systems: Statistical Learning of Language and Emotion
https://doi.org/10.1111/tops.12612
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部