人々に広く知られた船として、タイタニック号ほど有名なものはありません。
タイタニック号は1912年の処女航海中に氷山と衝突し、海の底に沈没したことで知られています。
1997年には『タイタニック』として映画化もされ、世界中の人の涙を誘いました。
そんな中で最近、ある一枚の写真がイギリスのオークションに出品されたことで話題になっています。
その一枚とは「タイタニック号を沈没させたとされる氷山」が写されたものです。
しかし、そんな写真を一体誰がどんな経緯で撮影したのでしょうか?
タイタニック号沈没の背景とともに、その物語に迫ります。
目次
- 20世紀最大の海難事故「タイタニック号の沈没」
- 遺体回収時に撮影された一枚
20世紀最大の海難事故「タイタニック号の沈没」
1912年4月10日、タイタニック号はエドワード・ジョン・スミス船長の指揮のもと、英サウサンプトン港から米ニューヨーク行きの処女航海に出発しました。
タイタニック号(RMS Titanic)は、イギリスの海運企業ホワイト・スター・ライン社が保有する豪華客船で、全長269メートル、全幅28.2メートルに達します。
そこには乗員乗客を合わせて2200人以上が乗船しており、客層も一等客の富裕層から三等客の庶民層まで様々でした。
映画「タイタニック」ではまさに、ケイト・ウィンスレット演じるアメリカの名家の一人娘のローズが一等客として、レオナルド・ディカプリオ演じる貧しい青年ジャックが三等客として乗り合わせ、2人による身分違いの恋が描かれていました。
タイタニック号はニューヨークに向かって北大西洋を順調に航海していましたが、4月14日の23時40分に悲劇は起こります。
見張り番の船員が前方450メートルあたりに高さ20メートルほどの氷山を目視したのです。
ちょうどタイタニック号が差し掛かっていた海域は暖流と寒流がぶつかる場所で、海霧が発生しやすくなっており、当時も海面に白いもやがかかっていました。
船員が氷山を確認した時点ではもはや手遅れだったと考えられます。
氷山までは数百メートルの距離がありましたが、22.5ノット(秒速11.6メートル)で航行するタイタニック号が停止するには最低でも1200メートルの距離が必要でした。
また「氷山の一角」ということわざもある通り、氷山は全体の10%程度しか海面に姿を出していないため、直前で舵を切って回避しても水面下でぶつかってしまいます。
ただ当時、タイタニック号は絶対に沈むことのない不沈艦であると豪語されていました。そのためこのような氷山との衝突が起きても、沈没はしないと考えられていたのです。
その理由は、タイタニック号の綿密な設計にあります。タイタニック号は15枚の水密隔壁が設けられていて、船底が16の区画に区切られていました。そして、この区画の4つが浸水してしまっても、船は浮き続けることが可能な設計になっていたのです。
このようなタイタニック号の設計を見ると、不沈艦と豪語していたことにも納得がいきます。
これだけ細かく分けた区画の5つ以上が浸水する状況というのは想定しづらいものかもしれません。
しかし、実際はこの隔壁の高さが十分ではありませんでした。
複数のブロックの浸水に対して、この水密隔壁は高さが足りておらず、結局は浸水を止めらなかったのです。
こうしてタイタニック号は氷山に衝突し、船の損傷による浸水が原因となって翌15日未明に海の底へと沈没しました。
劇中でも描かれていたように、船員たちは実際に女性や子供を優先して救助用ボートに移しましたが、被害は甚大でした。
乗員乗客の多くが溺死または低体温症でなくなり、最終的な犠牲者数は1500人以上に上ったのです。
無事に生還したのは710名ほどでしたが、彼らも事故の恐怖や家族、友人を亡くした悲しみを生涯にわたって背負うこととなったでしょう。
これは戦時中に沈没した事故を除いて、20世紀最大の海難事故となりました。
そして「タイタニック号を沈没させたとされる氷山」の写真は、この数日後にある男性によって撮影されることとなります。
遺体回収時に撮影された一枚
タイタニック号が沈没したとの連絡を受けて、事故から2時間半後に最初の救助船カルパチア号が到着しました。
なんとか海に浮かんでいた2人の生存者の救助に成功したものの、不幸なことに、海底に沈んでしまった者たちを救うことは叶いませんでした。
そこで今度は海底に沈んでしまった遺体を回収するための船が出されます。
その中で最も早く現場に到着した一人が、葬儀会社を経営していたジョン・スノー・ジュニア(John Snow Jr)という男性でした。
彼はマッケイ=ベネット号という船に、遺体を収める棺を100基と遺体を保存するための氷100トンを積んで現場に向かい、全体で306名の遺体を水中から回収しました。
また遺体回収については一般にあまり知られていない暗い話があります。
なんと遺体の回収は一等客の富裕層が優先され、三等客の庶民や貧困層の遺体はそのまま海に残されたというのです。
オランダ・エラスムス大学ロッテルダム校(EUR)で都市社会学を専門とするジェス・ビア(Jess Bier)氏によると、「どの遺体を回収するかは犠牲者の経済的な階級に応じて決定され、一等客は防腐処理されて棺に収められ、二等客は帆布に包まれ、三等客と乗員は海に残された」といいます。
その最中、ジョン・スノー・ジュニアは沈没場所のすぐ側にあった巨大な氷山を写真に撮影し、「Titanic」というキャプションを付けて後世に残しました。
実際の写真がこちらです。
この写真は1990年代初めに個人コレクターの手に渡るまで、スノー家に代々受け継がれていたといいます。
しかしこのほど、イングランドの競売会社であるヘンリー・アルドリッジ&サン(Henry Aldridge &Son)によりオークションに出品されることとなりました。
競売人のアンドリュー・アルドリッジ(Andrew Aldridge)氏はこのように話します。
「この写真がタイタニック号を沈没させた氷山だと断言できる人はいません。
しかし私たちに言えるのは、救助船カルパチア号の後に、事故現場に最初に到着したのがマッケイ=ベネット号であり、そこに乗っていた葬儀屋がこの氷山の写真を撮影したという事実です」
実際に、タイタニック号を沈没させたとされる氷山の写真はこの他にもあります。
こちらがその一枚で、窪みの部分にはタイタニック号の破片と同じ赤い塗料のようなものがこびりついていると言われています。
一体どちらの氷山がタイタニック号を沈没させたのかはもはや分かりませんが、どちらも事故現場にあったことは確かですし、タイタニック号が沈みゆく様を間近で見ていたのでしょう。
またこうした氷山の写真や目的証言は、タイタニック号が衝突した氷山がどのような規模のものであったかに対する洞察を与えてくれます。
当時目撃者の証言によると、写真の氷山のサイズは高さ17m近くあったと考えられています。この数値に基づいて、当時の事故調査では氷山全体の大きさが、高さ30 m、長さ 120mだったと推定されました。
しかし当時のこの予想はおそらく間違っていたと考えられます。
上図のような予想は、氷山がテーブルのような平面型だった場合の推定サイズです。しかし、写真に残るタイタニック号が衝突したとされる氷山は側面が解けて切り立った山のような形状をしています。
氷山は側面が解けていくと、通常バランスを崩して転倒してしまいます。
この事実を踏まえ、水面上に高さ17メートルを超える細長い氷山が突き立っていたことを考えると、タイタニック号が衝突した氷山の水面下のサイズは、少なくとも深さ90~185メートル、長さは約125メートルあったと予想されるのです。
水面上の写真だけでは想像できない巨大な氷塊が、海中に潜んでいたことになるのです。
アルドリッジ氏は「いずれにせよ、これは珍しい写真であり、多くの人の関心を集めることは間違いない」と話しました。
出品された氷山の写真は約4000〜7000米国ドル(約77万〜135万)で落札されると見られています。
※ オークションのページはこちら
その後、海に沈んだタイタニック号は1985年9月1日に、ウッズホール海洋研究所とフランス国立海洋開発研究所により、海底3650メートル付近で残骸が発見されました。
また2004年6月には、アメリカ海洋大気庁(NOAA)がタイタニック号の損傷状態を調査し、上の写真を撮影しています。
現在では「タイタニック国際保護条約」が制定されており、タイタニック号を未来に残すべき遺物として、残骸の劣化防止や違法な遺品回収の取り締まりが行われています。
参考文献
Iceberg That Sank The Titanic May Be Shown In Unearthed Photo From 1912
https://www.iflscience.com/iceberg-that-sank-the-titanic-may-be-shown-in-unearthed-photo-from-1912-73865
110 Years Later, a Stunning New Photo May Finally Show the Iceberg That Sank the Titanic
https://www.popularmechanics.com/science/a60482308/titanic-iceberg-new-photo/
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。