「言語は生き物である」と言われることもあるように、基本的に一度使われなくなって絶滅した言語は、生物と同様に甦ることはありません。
しかしイスラエルで使われているヘブライ語は、一度は日常言語としては死を迎えたものの、後にキリストのように華麗な復活を遂げます。
果たしてヘブライ語はいかにして復活を遂げたのでしょうか?また古のヘブライ語と現代のヘブライ語はどのように異なっているのでしょうか?
本記事ではヘブライ語の復活の軌跡について紹介していきます。
なおこの研究は基督教研究 第71巻 第1号に詳細が書かれています。
目次
- 聖典の中でしか生きていなかったヘブライ語
- 約2000年ぶりのヘブライ語母語者
- 「ざくろ石」が「拳銃」、「格子縞」が「クロスワードパズル」
聖典の中でしか生きていなかったヘブライ語
ヘブライ語は大きく分けると、太古の時代に使われていた聖書ヘブライ語と、現代のイスラエルで使われている現代ヘブライ語に分類できます。
聖書ヘブライ語は紀元前のイスラエルの地で使われており、名前の通り旧約聖書にも使われていました。
しかし紀元前4世紀から前2世紀にかけて、イスラエルの住民は主にアラム語とギリシャ語を使い始めるようになり、ヘブライ語は紀元前2世紀ごろには日常語として使われることは無くなったのです。
それでもヘブライ語は聖典の言葉としては引き続き使われており、学者や祈りの言葉として使われていました。
やがて時代が下ると、地中海地域はイスラム世界とキリスト教世界に分かれることとなりました。
そのうちヘブライ語が進化を遂げることになったのはイスラム世界です。
イスラム支配下でアラビア語が主流となり、スペイン(当時はイスラム支配下だった)のラビ(ユダヤ教の指導者のこと)・イェフーダー・ハイユージュ(Yehuda Hayyuj)の手によって最初のヘブライ語文法書をアラビア語で著しました。
ハイユージュはアラビア語の文法の専門家でもあり、アラビア語の文法研究で使われていた理論をヘブライ語にも適応することによって、はじめて組織的なヘブライ語の文法書を完成させたのです。
当時はイスラム世界がキリスト教世界よりも発展しており、アラビア語の文献を持ち込んで技術や知識を向上させようという動きがあり、ハイユージュの文法書もその動きの一環としてキリスト教世界に持ち込まれました。
またハイユージュのいたスペインに至ってはヘブライ文学や詩などが発展したのです。
これらの歴史的な段階を通じて、ヘブライ語は滅びず、ユダヤ人は1900年以上にわたり、ヘブライ語を守り続けてきました。
約2000年ぶりのヘブライ語母語者
やがて時代は下り18世紀に入ると、今度はヨーロッパでヘブライ語は大きな変化を経験しました。
この時代はヘブライ文学のルネサンス期にあたり、新しい近代小説や詩がヘブライ語で書かれるなどの動きがあったのです。
それ以前のユダヤ人はイディッシュ語などを日常生活で使っていましたが、この動きでは民族的なアイデンティティを守るために、日常生活でヘブライ語を復活させることを目指していたのです。
また1783年には最初のヘブライ語新聞「Ha-Ma’assef」が発行されました。
この時期の作家たちは、美しい聖書様式のヘブライ語を用いながらも、新しい語彙を導入していったのです。
しかしこの動きで復活できたのは文学言語としてのヘブライ語であり、話し言葉としてのヘブライ語はまだまだ復活できませんでした。
19世紀に入ると、ユダヤ人の知識人たちはヨーロッパ中で新しい政治的野心と民族主義の台頭を目撃し、シオニズム運動が始まりました。
シオニズムは、イスラエルへの帰還とユダヤ人国家の再建を目指しており、その一環としてヘブライ語を文化的な中心として復活させる重要性を認識していたのです。
その中で大きな役割を果たしたのが、エリエゼル・ベン・イェフダです。
彼は、日常生活でヘブライ語を使うことがイスラエルでのユダヤ人の独立した生活に不可欠であると信じ、ヘブライ語の文法や構文の発展を促進する言語委員会を設立しました。
このヘブライ語委員会はヘブライ語の統制機関として機能し続け、イスラエル建国後に設立されたヘブライ語アカデミーの前身となったのです。
また彼は自分の息子のベン・ツィオンを、生まれて数年間ヘブライ語のみで教育し、ヘブライ語を母語として話す人物として育てました。
さらにベン・イェフダは普及活動だけでなく、自らヘブライ語で教育をする小学校の教員を務めたりしており、そこで使われるヘブライ語で書かれた教科書の執筆にも携わっていました。
ベン・イェフダらの尽力もあり、現在ではイスラエルを中心にヘブライ語の話者の数は900万人にまで増加したのです。
「ざくろ石」が「拳銃」、「格子縞」が「クロスワードパズル」
このように華麗なる復活を遂げたヘブライ語ですが、復活への道筋はかなり険しいものでした。
というのもヘブライ語は途中で新しい語彙が流入したりしたものの、基本的には2世紀で進展を止めた言語です。
当然19世紀の社会で生活する上で必要な語彙は全く足りておらず、それが復活の大きな足枷となっていました。
また発音のずれや語順の混乱があり、日常言語として使うのには支障がありました。
さらに当時ヘブライ語は神の言葉であると捉えられており、それを日常生活に使うということは神への冒涜であると考える人も多くいました。
実際にベン・イェフダは14歳の時にヘブライ語で書かれた普通の本を読んでいることが発覚し、叔父から勘当を言い渡されるという苦境を味わったことさえあります。
そこでベン・イェフダらはヘブライ聖書をはじめとする古の文献から様々な単語を探し、古代とは違った語義を与えて現代に復活させました。
例としては古代では「ざくろ石(ケイ酸塩鉱物のグループ、ガーネットという宝石で有名)」という意味で使われていた単語に「拳銃」、古代では「格子縞( 碁盤の目のように縦横に筋を現わした模様)」という意味で使われていた単語に「クロスワードパズル」という語義を与えるなど、意味の拡充に努めました。
またこうした作業でも語彙は足りないため、その穴はベン・イェフダらが自ら考案して新しい単語を作ったのです。
さらに発音や語順の整備を行い、言語体系を整えました。
そのこともあって「ヘブライ語は復活したのではなく、人工言語としてリメイクされた」という人もいます。
参考文献
同志社大学学術リポジトリ (nii.ac.jp)
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/records/21381
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。