微妙な動機付けの違いによって、学習や記憶の認知能力が変わる可能性があるかもしれません。
アメリカのデューク大学のアリッサ・シンクレア氏(Alyssa Sinclair)らの研究チームは、動機付けと学習・記憶力の関係性を明らかにしました。
彼らの研究によると絵画を観察する際、自分が強盗を計画中の泥棒だと思うと、絵の詳細や価格の記憶が長期的に強化され、自分が現在強盗をしている最中の泥棒だと思うと、価値の高い絵画の情報を素早く記憶できるというのです。
研究チームは、「戦略的なモードの選択により、特定の状況に合わせて利益を最大化できるかもしれない」と述べています。
たとえば、ワクチン接種の推進や気候変動の対策に取り組む際には、「緊急性」を強調する代わりに、関係者の「好奇心」を刺激すると、課題の重要性を長期間にわたって記憶に留めることができるかもしれません。
研究の詳細は、学術誌『米国科学アカデミー紀要 (PNAS)』にて2023年7月25日に掲載されました。
目次
- 微妙な動機付けの違いによって促進される認知機能が異なる
- 動機づけの種類によって高まる認知機能が違う
- 「緊急性」を取り除き、「好奇心」を抱かせる
微妙な動機付けの違いによって促進される認知機能が異なる
人は何らかの課題に取り組む際、どのような動機を与えられるかによって、注意力や記憶力などの認知機能に変化を起こす可能性があります。
例えば、「何が重要だと思いますか」などの疑問形の動機付けが与えられれば、興味や探索、長期的な記憶の形成を助ける可能性があります。
一方で「すぐ終わらせなさい」など命令形で動機付けを与えると緊急性を促し解決への注意力を高める反面、長期的な記憶形成は阻害される恐れがあります。
しかし、同じ課題に対して異なる動機を与えた場合に、意思決定や記憶、およびこれらの認知プロセスにどのような違いが出るかは不明でした。
今回、アメリカのデューク大学のアリサ氏らの研究チームは、異なるカバーストーリーを用いて動機付けに違いを設け、同じ課題に取り組んだ際、認知機能にどのような変化が起こるか調査しました。
この研究の非常に面白い点は、この調査において参加者たちに「美術品泥棒になったつもりで、絵画とその価格を記憶してください」という一風変わった課題を与えているところです。
実験に参加したのは、オンラインで募集した一般人420名です。そして参加者たちを「強盗即実行」グループと、「強盗計画中」グループの2つに分け、それぞれに異なるカバーストーリーを与えました。
「強盗即実行」グループ:「あなたは大泥棒で、現在絵画を強盗するために美術館に忍び込んでいるとイメージしてください」
「強盗計画中」グループ:「あなたは絵画を強盗するために美術館を偵察中だとイメージしてください」
こうした異なるカバーストーリー(動機)を与えた上で、実験では参加者たちに、次の2つの課題を受けてもらいました。
強化学習課題
参加者に4つのドアの1つを選び、高額な絵画を集めるゲームをプレイしてもらいます。ドアの選択は全部で100回行い、参加者は100枚の絵画とその価格を観察しました。
それぞれの部屋には、高額な絵画と低額な絵画が複数収められており、クリックするとその中の一枚だけが表示されます。また、あるドアは試行回数が増えるにつれて、表示される絵画の価格は下がる仕組みとなっています。
この実験では、ゲーム内で高額な絵画を入手できれば、実験への参加報酬が実際に増額されました。
そのためより多くの報酬を獲得するためには、高額な絵画が表示されやすい扉を、常時分析し最適な選択を繰り返していく必要があります。
記憶力テスト
ゲームプレイの翌日、参加者たちが報酬を受け取りに来た際、今回の実験では予告なしの記憶力テストも行いました。
記憶力テストでは、ゲーム内で使用された絵画100枚と前日の実験では見ていない新しい絵画75枚を見せられ、前日の実験で見たかを判断してもらいました。
もし絵画に見覚えが合った場合、彼らは記憶の確信度と、絵画の価格、そしてどの扉の中で見たかを回答します。
今回の実験で重要なのは、「強盗即実行」と「強盗計画中」グループの間でカバーストーリーだけが異なっていた点です。
参加者は、ゲームでは参加報酬が増やすため高額の絵画を探索し、記憶テストでは絵画を思い出す、同一の課題をこなしました。
さて、「強盗即実行」グループと「強盗計画中」グループの動機づけの違いによって記憶・学習に差は生じたのでしょうか。
動機づけの種類によって高まる認知機能が違う
実験の結果、「強盗即実行」グループは、「強盗計画中」グループと比較して、1日目のPCゲームでは高い価値のある絵画が出やすい扉を適切に選んで、「計画中」のグループよりも約230ドル高い報酬を獲得しました。
この結果から「強盗即実行」グループは、高額と低額の絵画の出現率をより効率的に学習・記憶し、最適な判断を行えたことが分かります。
一方で「強盗計画中」グループは、「強盗即実行」グループと比較して、2日目の記憶力テストで、より多くの絵画と価値、関連づいた扉の色を正確に覚えていました。
これらの結果は、強盗の実行中を意識した場合、より高価な絵画を選ぶための分析能力が向上する一方、将来のために強盗計画中だと意識した場合には、より多くの絵画と価値を正確に長く記憶できることを示しています。
これはそれぞれの事前の動機づけによって、学習・記憶形成のための認知能力がそれぞれ異なる方向へ変化した可能性を示唆しています。
「緊急性」を取り除き、「好奇心」を抱かせる
今回の研究結果は、学習・記憶前の微妙な動機付けの違いで、認知機能が変化する可能性を示唆しました。
論文では「強盗計画中」の動機づけでは「好奇心」を、「強盗実行中」の動機づけでは「緊急性」を感じることで今回の結果が生じたのではと考察されています。
今回の研究の面白い点は、無意識の内に動機づけに合った認知処理が促進された点です。
どちらのグループも高額の絵画を見つめて高い報酬を受け取るといゲームの目的は一致していました。
しかし「強盗実行中」グループは、「強盗実行中」という動機付けが、より高額な絵画の出現に強い注意力をもたらし、高額な絵画の出やすい扉がどれか正確に分析できるようになっていました。
課題は同じだったため「強盗計画中」グループも、同様にただ高額な絵画のみに注意を払い、高い絵画が出やすい最適なドアを選択できたはずです。
しかし無意識のうちに彼らは「強盗計画中」の動機づけに合うよう、絵画の種類と価値、そしてどの扉にそれが収められているかの長期的な記憶に認知機能のリソースが割れていたと考えられます。
そのため彼らは報酬は低下してしまいましたが、引き換えに翌日の記憶テストでは優れた成績を収めることができたのです。
今回の結果で忘れてはいけない点は、この動機付けによる好奇心や緊急性の高さがもたらした認知能力の向上の違いには優劣がないことです。
これは状況に応じて、どちらも有利に働く能力です。
そのため自分自身の状況に応じて最適なモードを考え、戦略的に利用することが大事なのです。
研究結果を踏まえて、教育現場への応用を考えるなら以下のようなアプローチがあるでしょう。
もし内容を長期的な記憶に留め、重要性を考え欲しい場合には「好奇心」を抱かせるアプローチが必要になってくるでしょう。
一方で、注意深い分析能力を期待したい場合には、時間の締め切りを設けるなど「緊急性」を強調するとより効果的になるかもしれません。
参考文献
Stealing a Brain Hack: Exploration vs Urgency Shapes Memory and Learning https://neurosciencenews.com/stealing-imagination-memory-23705/元論文
Instructed motivational states bias reinforcement learning and memory formation https://psyarxiv.com/z2rwf/