「無駄な卵」を産むクシイモリの謎に、科学の最新研究が光を当てます。
毎年、クシイモリは何百もの卵を産みますが、その半数が孵化せず、その理由は長い間未解明でした。
しかしオランダのライデン大学(LEI)で行われた新たな研究によって、その原因が「超遺伝子」の存在と、それがもたらす恩恵と代償による可能性が示されました。
超遺伝子は獲得した生命に短期的な利益を与えてくれますが、時に修正不可能な長期の不利益という恐ろしい結果をもたらしていたのです。
クシイモリと超遺伝子との間に、いったいどんな悪魔的契約が結ばれていたのでしょうか?
研究内容の詳細は『Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences』にて公開されています。
目次
- なぜクシイモリは孵化しない卵を産むのか?
- クシイモリの卵の半分が死んでしまう理由
- 欲張りな「超遺伝子」の存在が組み換えを妨害していた
なぜクシイモリは孵化しない卵を産むのか?
クシイモリの繁殖は非常に不合理です。
毎年、繁殖期が終わると、メスは数百個の卵を産み、そのひとつひとつを池の水草の葉にくくりつけ、安全に孵化する機会を増やします。
しかしメスの産んだ卵の半分は、決して孵化することはありません。
自然界の生存競争は激しく、同じ条件にある種ならば、より多くの卵を産んだものが子孫を残せます。
たとえばウミガメの場合、卵から大人になれる確率はわずか1000分の1くらいと言われています。(※過去には5000分の1や1万分の1とも言われていました)
クシイモリの持つ産んだ卵の半分が死ぬという特性は控えめに言っても極めて生存に不利であり、そのような不利な性質は通常、進化の過程で修正されます。
しかし、この奇妙な現象が最初に確認された1821年から現在に至るまでクシイモリが「無駄な卵」を相変わらず産み続けています。
多くの生物学者がこの不思議な現象に何らかのメリットを見出そうと多くの仮説を提唱しましたが、どの仮説もデメリットを補うメリットを見つけられませんでした。
ただ、なぜ半分の卵が死んでしまうのか、その死をもたらす仕組みは解明できています。
クシイモリの卵の半分が死んでしまう理由
クシイモリの半分の卵が死んでしまう原因は、遺伝子に刻まれた致命的欠陥にあります。
これまでの研究により、死んでしまった卵では第1染色体が異常に長くなっていたことがわかりました。
この長い染色体は「1A」と呼ばれるようになります。
またその後の分析により、長い染色体1Aは生存に必要な遺伝子に致命的な欠陥を含んでいることが判明します。
クシイモリのゲノムは人間と同じく2セットあるため、細胞の中には2本の第1染色体が詰め込まれることになります。
このとき運悪く2本とも欠陥を抱えた長い第1染色体「1A」だった場合、卵は生存することができずに死んでしまいます。
この状況を例えるならば、上の図のような橋を支える丸太となります。
端を支える2本の丸太のうち両方の丸太が同じ場所に切れ目があれば、前後が縄で結ばれていても橋は落ちてしまいます。
しかしもう一方の丸太が完全ならば、切れ目部分を補って橋として機能できます。
しかし驚くべきことに、クシイモリのもう一本の短いほうの第1染色体(1Bと呼ばれる)にも1Aとはまた異なる部位に致命的な欠陥が含まれていることが判明します。
そのため2本とも短い第1染色体「1B」であった場合にも、卵は生存できずに死んでしまいます。
さきほどと同様に丸太でできた橋に例えるならば、1Aとは異なる位置で切れ目がある状態にあると言えるでしょう。
2本ある第1染色体のどちらも壊れているならば、どうやっても生命を維持できないように思えますが、幸いなことに長い染色体と短い染色体の故障部位は異なっています。
そのため上の図のように長い第1染色体(1A)と短い第1染色体(1B)を組合わせることで、お互いの故障している部分を補うことが可能になります。
ただ1つの細胞に第1染色体が詰め込まれるパターンはランダムなため、運よく1Aと1Bという組み合わせになるのは全体の2分の1だけになります。
この仕組みを中学生の頃に習うメンデルの遺伝図で表現すれば、上の図のようになります。
しかしメンデルの遺伝図を
覚えているならば、染色体には組み換えが起こることも知っているでしょう。
組み換えとは染色体の一部が、もう一方のペアとなる染色体とパーツを交換し合う現象です。
この組み換えが起これば、1Aの故障している部分と1Bの正常な部分を取り換え、完璧な第1染色体を作り直すことが可能になります。
また組み換えは決して珍しい現象ではないため、数世代もあれば故障部分を抱えた染色体は駆逐され、完璧な第1染色体を備えた子孫が主流派になるはずです。
染色体の組み換えは遺伝病の原因にもなりますが、壊れかけた染色体を相互に修復するイベントでもあるのです。
しかしクシイモリの場合、何世代が経過しても組み替えによる第1染色体の修理イベントは起こりませんでした。
なぜクシイモリの第1染色体では組み換えが起こらないのでしょうか?
欲張りな「超遺伝子」の存在が組み換えを妨害していた
なぜクシイモリの第1染色体では組み換えが起こらないのか?
その理由は「超遺伝子」という幾つもの遺伝子がセットになって遺伝する仕組みにありました。
超遺伝子に内包される複数の遺伝子はレストランのコース料理やハンバーガー屋のセットメニューのようにグループ化されており、まとまって1つの遺伝子のように動きます。
重用な遺伝子を超遺伝子としてまとめることは生存にとって大きな利点になります。
発見当初こそ超遺伝子は珍しい存在でしたが、現在では動物植物を問わず複数の種に存在することが明らかになっています。
また超遺伝子がまとまって動くのは、染色体の一部に大規模な順序の逆転が起こっているからであることがわかってきました。
染色体同士の間で組み換えが起こるには、切り離された部位が相手に接着できるように、両方の染色体のDNA配列が同じでなければなりません。
しかし逆位が起きて染色体の一部に大規模なDNAの違いがうまれると、その部分では正常な組み換えが不可能になってしまいます。
たとえるならば、超遺伝子はジッパーの一部が逆向きにつけて、わざと相手とかみ合わなくしている状態とも言えるでしょう。
これはセット内容を維持するための、一種のチートに近いものです。
しかしチートには副作用が伴います。
超遺伝子は組み換えを防ぎ遺伝子セットを保存できますが、ランダムに発生する変異までは防げません。
ランダムに発生する変異は組み換えによって修正することが可能ですが、超遺伝子は組み換えをできなくしているため、発生した変異を治す手段が縛られてしまいます。
結果、超遺伝子内部は継続的に突然変異を蓄積し続けることなってしまいます。
そのため超遺伝子を持つ種では、種内でも個体ごとの差が大きくなっていきます。
その代表的な例が、エリマキシギです。
エリマキシギの遺伝子は380万年前に発生した超遺伝子のせいで同じ種であっても差が大きくなり、同じエリマキシギのオスでも3種類の異なる外見を持つに至りました。
さらに3種類のオスは発情期の行動も、それぞれ異なったものになっています。
簡単に言えば超遺伝子は1つの種に3種類のオスがいる状況を作り出したのです。
生命の存続において遺伝子の多様性は極めて重要です。
そのため種内多様性の創出は超遺伝子による副作用が有利に働く例と言えるでしょう。
しかし変異の蓄積は常にいいものになるとは限りません。
超遺伝子の中で起こった変異が、生命の維持に必須な遺伝子の破壊という形で起きてしまった場合、修復困難な致死性遺伝子を持ち続けることに繋がるからです。
クシイモリの超遺伝子部分に起きた変異がまさにソレでした。
クシイモリは超遺伝子による遺伝子の囲い込みという短期的な利益の罠にはまったせいで、産んだ卵の半分が常に死ぬという長期的な不利益を被ることになったのです。
同様の悲劇はクシイモリ以外の種でも起きています。
これまでクシイモリのような致死的システムを持つ生物がいくつか発見されてきましたが、その全てが超遺伝子の存在が原因となっていました。
研究者たちクシイモリのような生物は、進化上の短期的な利益を得るために後戻りできない長期的な不利益がもたらされる「進化の罠」にはまっている、と述べています。
ネズミとりの罠や食虫植物では、エサや蜜という短期的な利益のために、ネズミや虫たちに生命の損失という不利益がもたらされますが、同じような仕組みが遺伝子の世界にも存在しているのは、非常に興味深いと言えるでしょう。
参考文献
One way to evolve a balanced lethal system https://benwielstra.wordpress.com/2022/06/13/one-way-to-evolve-a-balanced-lethal-system/元論文
Mutation accumulation opposes polymorphism: supergenes and the curious case of balanced lethals https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rstb.2021.0199