いろいろな事情で子供を育てられない親がいる。一方でその子供たちを迎え入れてくれる新しい家族がいる。アメリカでは養子を迎えることはとても身近なことで、例えば自分の子供がいたとしても養子を迎える家族もいる。しかし、今回のケースはそんなアメリカでもちょっと「特別」なケース。ある夫婦が養子にした88人の子供には特別な共通点があった!
何十もの靴と綺麗に折りたたんで積み重ねられた洋服、いくつもの鍋を使って夕食を作り、そこには食事を楽しみにしている20人余りの子供たちが集まる。ジョージア州に住むカミールとその夫。彼らが養子にした子供たちはすべて障害を持つ子供たちだった。なんと40年に渡り88人の障害を持つ子供たちを赤ちゃんの時に養子として迎え入れ、育ててきた。
「私が連れてきた子供たちはみんなすぐ死んでしまうといわれていたんです」現在68歳のカミールは言った。「でも、多くの子供たちがその言葉とは反対に元気に生きています」
子供たちは知的障害やダウン症、自閉症の他、顔や体に障害を持っていた。「1人の子供は脳幹だけしかなくて生まれました。私たちが彼の世話をして、25歳まで生きたんです」
マイアミの病院で看護婦として働いていたカミールは独身時代3人の子供を養子に迎えていた。そして小児科医だったマイクに出会った。「マイクが私にプロポーズしてくれた時、私は障害を持つ子供を育てる家を作りたいと彼に話したの。彼は私の夢を応援するって言ってくれたわ」
大きな心と不屈の精神を持つ2人の夫婦。32人もの子供の死を乗り越え、それでもなお養子を迎え続けた。
カミールは子供たちに家の手伝いをすることを教えた。カミールは普通の家庭環境を子供たちに与えることを常に忘れず、家の手伝いもその1つだったのだ。
「子供たちはどの下着がどの子の物か、ちゃんとわかっています。私たちはできるだけ彼らが独立して生きていけるように努力しているんです」
現在、夫婦の養子の中で一番の年上は32歳のダーレンで、現在彼女はフロリダのグループホームで暮らしている。一番小さい子は8歳のイザベラ。麻薬中毒として生まれ、赤ちゃんの時は耳が聞こえず、目も見えなかった。そんな彼女は、今は学校の成績が優秀な女の子に育った。
実は夫婦の間には実の娘が2人いる。2人の内、1人はジャクリーンで、未熟児で生まれた彼女は脳に大きな障害が残ると医師に言われた。しかし、現在40歳のジャクリーン。立派な看護婦となり母親でもある。
ビッグママ、カミールは文字通り休む暇がなかった。1992年にはハリケーンが家を襲い、子供たちは無事だったが、家を失い引っ越しを余儀なくされた。2011年には家族がキャンプで家を空けている間に雷が家を直撃し、火事になってすべてを失った。
そして新しい家を求めてやって来たのがジョージア州だった。養子を迎え続けた夫婦の子供は何人かは亡くなり、何人かはすくすくと育った。大きくなって家にいる者もいるが、独立していった子供たちもいた。
火事から3年。カミールは子供たちとオーランドへ旅行へ行った。しかしその旅行はすぐに切り上げられてしまった。夫のマイクが病気になったのがわかったからだ。子供たちは彼のベットの傍で徹夜で看病したが、昨年癌で亡くなった。「私は泣かないし、子供たちも手放したりしない」カミールは力強く言った。
夫を亡くし、金銭面では厳しくなったが、家族の絆は相変わらず強かった。彼らが設立した"Possible Dream Foundation"という基金の運営で日々の生活の資金を賄っている。
最近友人がカミールに7日間のクルーズをプレゼントしてくれた。「私は船の上で7日間寝てばっかりいたわ。きっと疲れてたのね」夫を失った彼女はたぶん相当疲れている、でも同時にまだ家族を愛し、守る強い心を持っている。
・ こんなこと、きっと自分ではできない。もしも自分の子供に障害があったらって思うと…。・ 素晴らしい人達。もしも生まれ変わりがあるなら、彼らは特別な人間になっていい。・ 私は自閉症の子供を持つ親です。だからこそわかる。彼らはすごい。・ すごい。もしも宝くじにあたったら、同じ事をしたい。・ 自己中心的な人達ばっかりの世の中でこういう人を見ると気持ちがいい。・ たった一人の子供を育てるのにも苦戦しているというのに、すごい人達だ。・ 88人も育てるなんて!・ いや、一度に88人ではない。たぶん、多くても20から30人だと思う。お金は寄付とか政府とかからもらっていると思うけど、それでも厳しいだろうね。・ うちの近くにもそういう夫婦がいる。正直いって子供たちは収入源なんだよ。いろんなお金をもらってる。この夫婦がそういう夫婦じゃないことを祈る。・ 2人の娘のうち一人だけ説明されてなんか、可哀想。・ いや、1人の娘はプライバシーのために名前を出さないでって言ったんじゃない?・ 彼女が看護婦だったから、できたことなのかも。・ 私は養護学校の先生で、来年幼稚園の先生と結婚します。私たちも障害のある子ども達のための施設を運営しているから大変さはわかる。彼女達は私の将来の目標です。
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