はじめに

コロナ禍と言われて1年以上が経ち、旅との接点が薄くなってしまったという人もいるかもしれません。そんな中「旅をやめるという選択肢は一切ない」と語るのは写真家の石川直樹さん。世界、はたまた地球をフィールドに登山家として、作家としてさまざまな表現方法で私たちに未知の世界を伝えてくれている石川さんに、コロナ禍での体験と、これからの旅について伺いました。

Photo:村上未知

コロナ禍の1年

――――昨年はどんな風に過ごされていましたか。

今まで20年間ずっと旅をしてきたので、時間を持て余すことも当然ありました。でも時間がある分本を読んで未知の世界に触れることはできていましたし、国内のいろんな場所に出かけたので、そこまで心境に変化はなかったですね。生活様式が変わっていく流れはあるけれど、それによって鬱屈したり、ストレスを感じたりは実はあまりないです。制限の中でやれることをやるだけです。


――――この1年の間に2冊本を出されていますよね。

『地上に星座をつくる』は、「新潮」に連載していた7年間の原稿をまとめたもので、肉体的な旅ばかりでなく、精神的な営みについても書いています。単行本にできる量はすでにあったんですが、なかなか出すタイミングがなかった。コロナ禍で時間ができたので、一気に本にしてしまおうと。『東京 ぼくが生まれた街』は、Errand Pressの編集者・九龍ジョーさんから「東京の写真をまとめるなら2020年内がいい」と提案されたのがきっかけです。 ――――2020年はいろんな意味で東京が注目されたから?

東京はぼくにとって出身地であり、生活圏でもあります。そんな慣れ親しんだ場所が東京オリンピックが延期になって、コロナという時代の変わり目があったので、確かに今かなと。最近撮影したものだけじゃなく、昔撮った写真も掘り返して入れています。


――――日常生活に変化を感じることはありましたか。

今ブラジルで写真展をやっているんですが、打ち合わせがすべてリモートでしたね。ブラジルといえば日本の真裏ですけど、やれるもんだなという感覚はありました。

旅を記憶するということ

――――石川さんは文章と、写真と、両方で旅を表現されていますが、方法は切り分けて考えていらっしゃるんですか。

キャプションや文章があるとどうしてもそちらに導かれてしまうので、写真は写真だけにするのがぼくは好きです。写真と文章半々、というのはほとんどしたことないですね。


――――シャッターを切るのはどんなときに?

視覚を通じて体が反応したものをそのまま撮っています。大げさに見せようとか、画作りしようとは考えないです。その時その場所で出会ったものを、自分の反応に従って素直に撮る。そうして積み重なっていった反応の軌跡が、自分には大切なんです。あとは、撮らないと忘れてしまうでしょ。
(外の景色を見ながら)空が夕景になってきたなとか、飛行機が飛んでいるなとか、今ぼくは確かに見たけど、たぶん明後日くらいになったら忘れてる。「写真に残すよりも心に記憶する」と言う人もいるけど、それってぼくにはピンとこないんです。人間は忘れていく生き物だし、写真に撮っておけば、そこからまた別のことを思い出して新しい思考が生まれる。それが面白いなあ、と。


――――写真集にすることにこだわりはありますか。

展覧会は現地に足を運ばないと見れないけれど、本なら不特定多数の人に見てもらえるし、30年後、50年後、自分がいなくなったあとも残るものですから、本にはしておきたい気持ちがありますね。

渋谷のネズミを追いかける

――――最近は何を撮られていますか?

渋谷のネズミをずっと撮っていて、今年写真集にできたらと思っています。


――――なんでまたネズミを?

コロナが流行りはじめたころに、アルベール・カミュの『ペスト』(※)が再読されましたよね。冒頭、ペストに侵されて死んだネズミに医師がつまづくところからはじまります。ネズミが物語のなかで炭鉱のカナリアのような役割を果たしている。時を同じくして、人が消えた渋谷のセンター街でネズミが増えているというニュースを見て、これは撮りにいこうと。最初は普通のカメラで撮っていたんですが、動きが速すぎてピントが合わなかったり、夜だとストロボを焚かなきゃいけないんだけど追いつかない。いろいろ試した結果、レンズ付きフィルムの「写ルンです」が一番安定して撮影できた。いつもポケットにカメラを入れて追いかけているうちに、3カ所くらいネズミの住処を特定しました。もうこの1年でフィルム100本分くらい撮ったかな。

※『ペスト』:フランスの作家アルベール・カミュによる小説。治療法のない疫病に襲われ封鎖された都市が舞台。

――――追いかけていると違いがあるものですか?

人気のない夜に出てくるんですけど、ストローでタピオカドリンクの残りを飲んでいたり、酎ハイの残りを飲んで酔っ払っていたり、レッドブルを飲んでものすごい勢いで走っていたり。 Photo:石川直樹

――――人間みたいですね。

そうですね。渋谷のネズミは本当にきたなくて(笑)。銀座のネズミは毛並みがいいのに、食べてるものが違うんでしょうけど、渋谷はきったなくて、たくましい。鳩のほうが全然強いのに喧嘩していたりして。

そう。だから身近な街にだって、未知の世界が広がってるんですよ。ネズミにはネズミの縄張り、というか社会みたいなものがあるんです。

――――そんなことが夜起きているなんて想像したこともなかったです。

未知のものに出会う旅

――――「未知のもの」って、未だ知らないものですよね。どうやって見つけるんでしょう。

いろいろアンテナを張っておいて、気になるものは調べる。それでもわからないものは探しに行く、というスタンス。ネズミに関しては、ちょっと行ってみただけでは見つからなくて、深夜に歩いて、見つけたらずっと追跡していましたね。


――――探求心がすごい! …ネズミ以外に、最近の旅体験についても伺いたいのですが。興味を持った旅はありましたか?

最近は移動型の旅というよりも、滞在型の旅に興味を持っています。この1ヵ月間は「アーティストの冬眠@信州」(※)というプログラムに参加して長野県内を転々としていました。

※アーティストの冬眠@信州:2021年1月~3月初めにかけて信州に滞在してみたいアーティストに交通費や宿泊場所の提供を行うプログラム。長野県内のアーティスト・イン・レジデンスの環境を整えていくことを目的として、長野出身の野村政之さんが企画。

――――今まで1つのエリアに長くいらっしゃることは少なかったですか。

そうですね。長野に関しては、山に登る目的で行って、市街は通り過ぎてしまうことが多かった。上田町、木曽、辰野……今までなら目的地にならなかったような場所も、深く掘り下げていくと興味が湧いて、行った先で人と出会って、また新しいことが開けていく感覚がありました。今まで世界中いろんな場所に行ってきましたけど、まだまだ日本にも未知の風景がたくさんあるんだと、特にこのコロナ禍で実感しましたね。


――――特に興味深かった出会いはありますか。

無数にあるんだけど、例えば木曽地域では、三十数頭の木曽馬に出会う日がありました。日本固有の在来馬なんですが、その地域では昔から農耕馬として使われたり、軍馬として戦争に駆り出されたり、歴史ともつながりが深い。
Photo:石川直樹

そこから過去に出会った在来馬のことを思い出しました。鹿児島・トカラ列島のトカラ馬、与那国馬、宮古馬、北海道の道産子馬…木曽馬に会ったことで過去に在来馬と出会ったときの環境なんかと記憶が結びついて、相対的に日本を見ることができますよね。


――――旅の経験が豊富な石川さんならではの視点ですね。

あとは、長野は博物館や美術館の数が全国的にも多いんです。「諏訪市博物館」には考古学者の藤森栄一さんの展示コーナーがあって、それが面白かった。『となりのトトロ』のメイやサツキのお父さんのモデルになった方ですね。ほかにも、富士見町にある「井戸尻考古館」は縄文時代の出土品が展示されているんですが、すごい攻めた展示をしていて面白い。ぜひ行ってみてほしいです。


――――考古学にも興味が?

考古学も、人類学も、民俗学も、なんでも興味があります。旅をしていると遺跡を見ることも多いですから。

不安や迷いは新しいものに出会うプロセス

――――探求心に驚かされっぱなしです。そんな石川さんでも、旅に不安や迷いを感じることはあるんでしょうか。

長い遠征の前は、パッキングが大変でめんどくさいなあと思ったりはしますけど。不安や迷いは、そこに出会ったことがないものがあるからですよね。新しいものに出会うプロセスのひとつだと思います。


――――不安があるのは当然だと。

今はコロナ禍でいろんな制限がありますが、むしろ制限があったほうがその枠を最大限まで使って、ときには飛び出してしまうことだってあるかもしれない。たぶん、こんなことでもなかったらネズミを追いかけたりしなかっただろうし。見知らぬ場所に行くと、何かしら出会いがあるとわかっているので「もっと行きたい」「あれも見たい」という気持ちがむくむく湧いてきます。自分の足で歩いて、目で見て、自分の体で感じたいという気持ちが強いので、不安だから旅をやめるっていう選択肢は一切ないですね。

これからの旅

――――これから先、旅の予定はありますか?

4月の中旬にネパールに行く予定です。まだ入国できるかどうか確認中ではあるんですが。


――――ネパールでは何を?

夏にパキスタンのK2(※)に登るかもしれなくて、その前の体ならしとして標高6000mくらいの山に登ろうかな、と。もう1年以上、海外の高い山には登っていないので。

※K2:ヒマラヤ山脈西端に位置する、世界で2番目に高い標高8,611mの山。世界一危険な山とも言われている。石川さんは今までに2回登頂を目指しているが、雪崩などにより断念している。


――――それこそ不安はないですか? 3度目の挑戦となると力が入ったり。

いやいや、ハチマキしばってがんばるぞーってやっても、山には簡単に説き伏せられてしまうから、あまり意味ないんです。危ない山なのでもちろん不安はありますが、それって知らないものとの出会いが待っていることなので、楽しみですよ。


――――実現したら、また新しい風景を私たちも見られると思うと楽しみです。 ◆石川直樹(いしかわ なおき)
1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表しつづけている。2020年日本写真協会賞作家賞受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。2020年11月に過去7年間の旅の連載をまとめた『地上に星座をつくる』(新潮社)、そして12月に自らの足元を見つめなおした写真集『東京 ぼくの生まれた街』(エランド・プレス)を発売。 『地上に星座をつくる』
1,750円/新潮社 『東京 ぼくの生まれた街』
2,500円/エランド・プレス

おわりに

長野のアートプロジェクトのほかに、三重県・伊勢市のレジデンスプログラムにも応募して2週間ほど滞在したという石川さん。どこにいても仕事できますから、と言いながら何にでもまっすぐ興味を持って行動する姿は旅人そのもの。「不安とか怖いっていうのは、知らないものに出会うことなので。楽しみです」とさらりと言ってのける姿が印象的でした。石川直樹さんという冒険家の目には、世界一登頂が困難といわれるK2も、はたまた渋谷でたくましく生きるネズミも、未知のものであふれる世界としてその探求心の標的になってしまうよう。コロナ禍で息苦しさを感じている人も多い今の時代、こんな風に軽やかに旅を楽しめたらどんなにいいだろう。これから先また新しい景色を見つけ、私たちに伝えてくれるときを待ち遠しく思いながら、自分の探求心の矛先はどこにあるのか見つめ直したくなりました。
情報提供元: 旅色プラス