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まぁとにかく今回は、15年前に超五流出版社を辞めて独立してから今日に至るまでの、わたくしの仕事遍歴およびクルマ遍歴についてである。
日時は覚えていないが、場所はよく覚えている。東京・下北沢の某居酒屋で、わたしは永福参謀長こと清水草一さんと酒を飲んでいた。そしてわたしが「来月いっぱいで会社を辞めることにしました。つきましては、恐縮ですが清水さんの連載も、次が最終回ということにさせてください」と告げると、のちの永福参謀長はしばしの黙考ののち、「……では軍曹くん、一緒に“会社”をやらないか?」と言った。
編集プロダクション「有限会社フォッケウルフ」誕生の瞬間である。
直接尋ねたわけではないので「おそらく」だが、ちょうとその頃、清水草一さんも「何か新しいこと」を始めてみたい気分だったのだろう。
資本金を折半して拠出し(や、清水さんのほうが多かったのかな?)、清水さんが「プレジデント」を名乗り、わたしが「エディトリアルプレジデント」なる肩書の名刺を作り、とにもかくにも有限会社フォッケウルフは船出をした。2005年11月のことだった。
ちなみに、現在の筆名である「伊達軍曹」というのはこの頃、永福町駅前の焼鳥店「串善」にて決定した。
わたしはライターではなく編集者であったため、筆名を使って前面に出るつもりはいっさいなかったのだが、清水プレジデントは「何か筆名を作ったほうがいい」と言う。
そのため、「そうですねぇ……わたしは東京出身ですが、先祖が宮城県なので、たとえば『伊達』でどうでしょうか? そして、伊達……軍曹? 意味わかんないですけど」。「うむ、軍曹というのはいいな! なんかこう威張ってない感じがあってイイと思う。では『伊達軍曹』で行こうじゃないか!」みたいな会話が、永福町駅前の「串善」で行われたのだ。
しかしその後6年間ほど、結局わたしはライターではなくエディターとしての仕事を中心に行ったため、「伊達軍曹」という筆名を使う機会はほとんどなかったのだが。