この間からふと、なんとなくぼんやりと思っていることなのですが、いじめ問題やパワハラも、妙な全体主義の現況ではないでしょうか。そして「クルマ選び」でも、少し目線を変えてみるのいいヒントになるのではないか、そんな気がしたものです。少しこのことについて書き留めておきたいと思います。


マーフィーの法則



ものごとを見るとき、共通点を探していませんか?自分との共通点、自分の現状との共通点、自分の生活との共通点。調和するというのは和やかなものです。決して悪いことではないでしょう。しかしそれは、望めども望めども、そんなにたやすいことではないのではでしょうか。マーフィーの法則ではないですが「そういう時に限って…」ということも少なくないのではないかと思うのです。



一方、一見すると到底ご縁などないかもしれない、和すことなど金輪際ないだろうということは、徹頭徹尾ありえない選択肢なのでしょうか?そのくらい縁遠そうなことかもしれませんが、見方を変えてみると、一点だけ妥協すると思いがけず魅力的、そんなことってないでしょうか?


マニアックなクルマなんかなくてよかった…?



どうしてこんなことを言い出したかと申しますと、日々楽しくは過ごしてはおりますが、自分の身の上をふと振り返ると、まあ意図しないことばかりで強烈に引くレベルなのです。今頃は平和な家庭でかわいい子供に囲まれ、他愛ない会話にあふれているはずでした。幼少のころから厳に自動車メディアのライターなんていうものにはなってはいかん!と思っておりました。自分の見込みが甘かったのでしょうが、まあ会社なんか登記するんじゃなかった。背負い込むことは増えるし、さまざまな動きを制限するものばかり。身動きが取れないので、まじめな話どうにかしないと。



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情報提供元: CL
記事名:「 違いを愛でることの大切さ。マセラティは来るべくして私のもとにやってきた