文化庁が定める「日本遺産」に横須賀市と呉市、佐世保市、舞鶴市の旧軍港4市が認定されたことに関連して過日、自分は広島県呉市に行ってこました。


大日本帝国と日本国における文化の継承ならびに断絶についての考察は某週刊誌に、呉市の見どころについては某男性ファッション誌に書く予定ゆえ、エンジンオイルの香りがよく似合うここCLでは「のりもの」を軸に、呉の旧軍港にて筆者が感じたモロモロを記しておきたい。


こんな近くで現役の潜水艦が見られるのは呉だけ



賢明なるCL読者諸兄には今さら説明必要だろうが、呉とは言うまでもなく「海軍の町」である。


1890年(明治23年)に大日本帝国(当時)の第二海軍区を所轄する鎮守府として開庁され、呉海軍工廠も設置。あまりに有名な巨大戦艦「大和」もそこで建造された。そして帝国の敗戦後は進駐した英連邦軍が呉鎮守府の各施設を占領使用したが、それが割とソッコーで撤収したのちは日本国の海上自衛隊が継承。現在も「(ある意味)海軍の町」として成り立っている。


それゆえというのか何というのか、とにかく呉の港は誇張抜きで「すぐそこに護衛艦や潜水艦がうじゃうじゃいる」という状況だ。防衛機密保持の観点でどうなんだ? と心配になってしまうほどの激なる近さで、各種の戦闘艦ならびに訓練用の艦を見ることができるのだ。


この状況に対して、軍事アレルギーが強い人はいろいろ文句もあるのかもしれない。しかしこちとら単なる「のりもの好き」で、そして世界中の多くの男子に共通する「軽度のミリヲタ」でしかないため、自分は状況を大いに堪能した。


ミリ物好き=好戦的というわけではない



余談というか私事ではあるが、自分は「伊達軍曹」なる物騒な筆名を名乗っているものの、政治心情的に右派ではない。むしろ恒久的な世界平和の実現を願いながら、心の中の新宿西口で毎晩フォークゲリラを行っているほどだ。ただただ、のりものとしての戦闘機や戦闘艦艇などに、男子としてありがちな憧憬を抱いているだけである。


それゆえ、呉湾内に停泊中の海自護衛艦や潜水艦を間近に見ることができる「呉艦船めぐり」に参加した際も、チャーター船上では基本的に冷静そのもののアティテュードであった。むらさめ型護衛艦を見ても、そうりゅう型潜水艦を間近で目にしても、特に興奮することはなかった。


【全文を読む】

あわせて読みたいオススメ記事

情報提供元: CL
記事名:「 「のりもの」の魅力を感じられる…呉艦船めぐりをして思ったこと