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津波の被害が大きかった仙台空港の近く、宮城県岩沼市沿岸に整備された【千年希望の丘】。通常時は公園のような場所として、この日も、たくさんの人々が思い思いに過ごしていました。7年前に大きな津波災害があった事実を千年先の未来まで伝え、再び津波が襲来したときの一時避難場所として、また、津波被害を減衰する森林の防潮堤としてなど、たくさんの希望が込められて整備が進められています。
●7年前の記憶
3月11日、毎年この日が近づくと、7年前の記憶と当時感じた様々な感情を思い出します。ただ、年月が経過するとともに、思い出す記憶も感情も徐々に少なくなっていますが、防災上、お役に立てることもあるかと思いますので、少し書き記します。
3月11日14時46分、私は宮城県仙台市の図書館にいました。前日に比較的大きな地震があり、「今週はずいぶん揺れるなあ」と思ったのも束の間、最初の小さな縦揺れが大きめの横揺れになり、そろそろ収まるかと思った瞬間、、、、さらに大きく激しい揺れになりました。身の危険を感じ、近くにあったカウンターの下に頭を隠し、カウンターを必死につかみながら、それでも振り落とされるような強い力に、長い時間、必死に抵抗しました。
激しい揺れが収まって、あたりを見回して唖然としました。図書室の床から天井まである大きなガラス窓が割れ、床にはガラス片が散乱し、常に整然と並んでいる本棚の本が床に山積みになっていました。ロビーには多くの人々が集まっていました。携帯電話を持ち連絡をとろうとするものの繋がらず、何度もかけ直している姿があちこちで見られました。幸いにも、周りに大きな怪我をしている人はいませんでした。
しばらくすると、自宅に戻らなければと、外に出ましたが、電車や地下鉄はストップ、道路は車で大渋滞。歩道も歩く人々と、なかなか来ないバスやタクシーを待つ人々で大混雑になっていました。今日中に、【確実に帰宅する手段は徒歩しかない】と、自宅にたどり着くまで何時間かかるかも予想できないまま、雪が降る中、自宅に向かって歩き始めました。地震の激しい揺れの影響で、歩道はデコボコで、建物の破片やガラス片が散乱して歩きにくく危険でした。そして時折ゴーッという地鳴りとともに地面が揺れ、その度に道沿いの建物から外壁片やガラス片などが落下してきました。【頭上を確認】しながら建物から離れ、時には車道を歩きました。
●津波
帰宅途中の仙台市の中心部付近で、「津波警報」を伝える声が聞こえてきましたが、津波の状況はこの時点では全く分かりませんでした。
家にたどり着いた時には夜20時くらいでした。携帯電話のライトを頼りに、ガラス片が散乱している玄関を通過しました。外靴を枕元に置き、その日は着替えもせずにそのまま就寝しました。翌日、停電の影響で役目を果たしていない冷凍庫から出した食パンをかじり、近所の給水所で【水を確保】、そして駐車場に停めてある車で【ラジオ】を聞きました。この時初めて、津波が事実であること、沿岸部では大きな被害が出ていることが分かりました。
●電気の復旧とともに見えた沿岸地域の被害
大地震から一週間以上かかり、電気が復旧しました。
電気の復旧とともに見えた、想像を超えた沿岸地域の津波被害の現実に、しばらくテレビの前から離れられませんでした。そして被害が広範囲であることを知り、日常の生活に戻るにはしばらく時間がかかることを覚悟しました。
●確認しておきたいこと
大きな災害が起きたとき、必要なものは人によって、季節によって違ってきます。また、非常食や水も大量に保管できる場所がない場合もあるかと思います。この機会にぜひ確認してみてください。ライフラインが切れた場合を想像して生活することを考えてみると、災害時に自分に必要なものが見えてくると思います。大切な人との連絡はどうするか、食料や水はどう確保するか、ガソリンや日用品はどうするのか、避難経路や待ち合わせ場所など、考えればきりがなくなりますが、大切な人と一緒に考えてみてください。一人ひとりが考えることで、災害に遭ってしまった時の不安やストレスが少しでも軽減できれば幸いです。
●【千年希望の丘】震災からの復興
あれから7年が経過しようとしています。
福島県、宮城県、岩手県では、高台移転や災害公営住宅などのインフラ整備はだいぶ進みました。ただ、農産物や水産物については震災前の水準に回復してない地域もあります。そして、今後も大きな地震や津波は避けることはできないでしょう。一方で、この震災を教訓にして被害は最小限に抑えることはできるかもしれません。この【千年希望の丘】は、今後の東北地方の復興の象徴とたくさんの人々の希望として、たくさんの人々に親しまれる場所として、千年先の未来まで引き継がれていくことでしょう。