今夏東京代表の関東第一、日大三のメンバーの名前が入った記念ボールを手にする夕立荘の島田昭一社長(撮影・北村健龍)

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島田昭一さん(83)は、甲子園のアルプス席にいた。19日の準々決勝、関東第一(東東京)VS日大三(西東京)。「東京の学校は礼儀正しく、いい学校で。指導者の方々も立派な方ばかり」と笑顔で振り返った。

島田さんは「甲子園ホテル夕立荘」の社長。高校野球ファンならピンとくるだろう。球場から道路を1本挟んですぐの宿は、多くの球児や関係者に親しまれてきた。初めて球児を受け入れたのは1951年(昭26)春。地元の鳴尾(兵庫)がやってきた。決勝まで進むも、逆転サヨナラで敗れ準優勝。「(選手が)泣きじゃくって帰ってくるのを見ていました」と、当時小学3年生だった島田さんは今でも覚えている。

以降、各地区の代表校が夕立荘を利用した。85年からは、東西の東京代表を交互に受け入れる形になった。試合へ向かう朝は、従業員全員で見送り、温かく声をかけてきた。チームに合わせた食事提供や、勝敗による宿泊日程の変動など負担は決して小さくない。それでも70年以上、球児たちを支えてきた。「泊めがいがある。高校野球が好きなので、楽しく仕事をさせてもらった」。01年、11年と夏に2度優勝した日大三も送り出した。日本一には「跳び上がるほどうれしかった」。今夏は関東第一が宿泊。日大三との対戦を見届けた。

そんな島田さんと夕立荘だが、この夏を最後に代表校の受け入れを終えた。「体力的にもだんだん厳しくなってきた。無理をして何かが起きる前に」という決断だった。“最後の夏”に東京対決が実現したのも、何かの巡り合わせだった。【北村健龍】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 70年以上、球児支えた「甲子園ホテル夕立荘」社長 “最後の夏”に東京対決が実現