沖縄尚学対日大三 ナインの動きを見る沖縄尚学の比嘉監督(撮影・加藤哉)

<全国高校野球選手権:沖縄尚学3-1日大三>◇23日◇決勝◇甲子園

沖縄尚学が初めて夏の頂点に立った。決勝戦で日大三(西東京)を3-1で破り、同校99年春、08年春に続いて春夏通算3度目の日本一を成し遂げた。背番号10の右腕・新垣有絃(ゆいと)とエース左腕・末吉良丞の2年生リレーで強力打線を1失点に抑えた。打線も4番・宜野座恵夢(えいむ)捕手(3年)が決勝打を含む3安打2打点と引っ張った。戦後80年の節目の年に、沖縄県勢では10年興南以来2度目の夏制覇。深紅の大旗が15年ぶりに沖縄に渡る。

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1発が出れば逆転サヨナラ負けの場面。遊ゴロ併殺で逃げ切ると、沖縄尚学ナインがマウンド付近に駆け寄った。戦後80年、「うちなんちゅ」が夏の頂点に立った。比嘉公也監督(44)は「巡り合わせの年に出場させていただいた。こういう大会があること自体、平和だからできている。とにかく沖縄が高校野球を通じて盛り上がってくれたら一番いい」と心から喜んだ。

先発の新垣有が流れを作った。初回に先制を許したが、2回以降は追加点を許さない。1-1の4回には1死満塁から後続を断った。8回途中1失点の好投に打線も援護。4番・宜野座が同点の6回に勝ち越しの左前打を放つと、8回には適時二塁打でリードを広げた。「決勝という特別な舞台で後悔することのないように振れたのが良かった」と勝利を決定づけた。

1894年(明27)、沖縄中(現首里)が修学旅行先の京都から沖縄に持ち帰ったのが野球伝来の原点とされる。娯楽が少ない中、人とのつながりを強める野球に人々は興味を引かれた。テレビで流れる高校野球に島民の目はくぎ付け。「島の子ども」が頑張る姿をわが子のように応援した。

戦時中の沖縄では地上戦で多くの市民が犠牲になった。戦後の46~51年は米国統治下のため、選手権大会に参加できず。58年夏に県勢で初めて甲子園に出場した首里は本州への渡航にパスポートが必須で、持ち帰った甲子園の土は植物検疫法のため海に捨てられた。

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現役選手の祖父母にも戦後生まれがいるほど年月が経過。それでも今なお、戦争の悲惨さや平和の尊さは語り継がれている。県内の小中学校は必ず平和祈念公園を訪れ、学校行事で学び、魂を受け継ぐ。沖縄尚学野球部は6月23日「慰霊の日」に毎年黙とうをささげる。選手はその日、比嘉監督から「こうやって過ごせているのも当たり前じゃない。感謝を心に秘めてプレーしよう」と声をかけられた。宜野座は「今の沖縄はすごくきれいですけど、昔は荒れていた。受け継ぐことは大事」と力を込める。

全国最速で始まった今夏の沖縄大会開会式でも戦後80年の言葉が盛り込まれた。今大会のキャッチフレーズ「心をひとつに夢の先まで!」は沖縄の高校生の作品だ。節目を迎えた2025年。沖縄県民の心を1つにして、深紅の大旗が再び沖縄に渡る。【林亮佑】

○…親子で『アレンパ』へ-。阪神田中秀太内野守備走塁コーチの次男、沖縄尚学の彪斗(あやと)内野手(3年)は三塁コーチで優勝に貢献。6回2死二塁では、宜野座の左前打で迷いなく腕を回し勝ち越し点を演出した。父と同じ甲子園のコーチスボックスに立ち「縁がある」と踏みしめた。テレビで観戦していた父は「うれしいです。僕らも(阪神の)優勝旅行に連れて行けるように頑張ります」と親子Vとなるリーグ優勝を誓った。

○…玉城デニー沖縄県知事(65)が甲子園に駆けつけた。指笛が鳴り響く沖縄尚学のアルプス席で、立ち上がって声援を送った。「最後まで気合のこもった素晴らしいゲームだった。今年は戦後80年という節目の年。ここで沖縄の高校球児が優勝したことも、歴史で素晴らしい足跡になる。子どもたちに希望を与えてくれた」と激闘をたたえた。また、小池百合子東京都知事(73)も熱戦を見届けた。

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<沖縄尚学記録メモ>

◆ノーアーチV 沖縄尚学は6試合で本塁打ゼロ。1発を打たないで優勝したのは74年の金属バット採用後、92年西日本短大付(5試合)、03年常総学院(6試合)、24年京都国際(6試合)に次いで4チーム目。4チームのうち地方大会から1発なしは昨年の京都国際に次いで2チーム目。

◆2年生胴上げ投手 最後のマウンドは末吉。2年生の胴上げ投手は22年高橋煌稀(仙台育英)、23年小宅雅己(慶応)、24年西村一毅(京都国際)に次ぎ、48年の学生改革後では初めて4年続いた。

◆兄弟でV 新垣瑞稀内野手(3年)と新垣有絃投手(2年)は兄弟。夏の同一大会で最近の主な例では88年の山本幸秀、淳見(広島商)、91年の元谷哲也、信也(大阪桐蔭)、06年の小沢秀志、賢志(早実)らがいる。異なる年では83、85年の桑田真澄(PL学園)と87年に弟の泉(同)らのケースがある。

◆チーム打率 2割4分1厘(191打数46安打)は74年の金属バット採用後、夏の優勝校では07年佐賀北(2割3分1厘)に次ぎ2番目に低かった。

◆得点 チーム19得点は6試合を戦った優勝校で58年柳井に並ぶ最少。

◆決勝逆転勝ち 夏の決勝で逆転勝ちしたのは19年履正社以来6年ぶり。過去は先制チームが74勝29敗(勝率7割1分8厘)と優勢だった。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【甲子園】沖縄尚学が戦後80年、巡り合わせの年に初V「大会があること自体、平和だから」比嘉監督