花巻東対東洋大姫路 6回裏、花巻東2番手で登板する金野(撮影・加藤哉)

<全国高校野球選手権:東洋大姫路8-4花巻東>◇15日◇2回戦◇甲子園

花巻東の背番号1、金野快投手(3年)が悔やむ。4点ビハインドの6回に、2番手で登板し3失点。終盤に追い上げたチームは4点差で敗れた。

「あの3失点がなかったら、終盤もイケイケのチャンスになっていたかもしれないのに…申し訳ない気持ちです」

MAX142キロの直球はこの日、137キロ止まり。「自滅して置きに行くしかなくなってしまって」。置きに行った球が甘くなる悪循環で3失点。「みんなの期待を背負って、でもみんなにいいところを見せられずに終わってしまって」。苦しいマウンドで高校野球の終わりを迎えた。

入学時点で136キロだった金野が、高校野球の最後を137キロで終えた。入学前は県外の強豪校からも誘われるスーパー中学生であり、その3年前はスーパー小学生でもあった。

小学6年生だった19年5月3日、岩手・釜石市の山あいにある自宅の周りが騒がしくなった。

早朝3時半から数十人が行列を作り、それはやがて数百人に膨らんで5時間半後の試合開始を待った。

高校生史上最速163キロを投げた大船渡・佐々木朗希投手が、釜石で投げる-。全国の高校野球ファンが金野少年の“近所”に駆けつけた。

「僕は少年野球の試合で朗希投手の試合は行っていないんですが、でもすごい騒ぎになったことは聞きました」

ただ金野も当時、すでに周囲より頭1つ大きく、力強いボールを投げていた。野球教室で訪れた工藤公康氏から「直すところがない」とべた褒めされた。同じ三陸出身。早くも“朗希2世”とうわさになっていた。

日刊スポーツで記事にした。花巻シニアで活躍した中学時代も佐々木朗希関連の連載で記事にした。だからか、花巻東に入学した時には-。

「他のみんなからも『知ってる』って言われて。それで少しテングみたいな感じになってしまったことはあります」

悔し涙が苦笑いに変わる。「だからなのか、なかなか伸びずに野球辞めようかと逃げ出したくなることもあって。その中で同学年のみんなが支えてくれて、苦しい時に言葉かけてくれて。それがあったから自分もここまで来られました。みんなに甲子園に連れてきてもらえました」と周囲に感謝する。

中学野球を終えた時、金野は「高校で150キロを出したいです」と目標を口にしていた。結果は142キロ。甲子園では137キロ。遠く及ばなかった。

大谷翔平や佐々木…同じ岩手出身の彼らは、高校時代に160キロを出している。高校3年間を終えた今、それをどう感じるか。

「生まれ持った才能もあると思いますけど、きっと人とは違う並外れた努力があったんだと思います」

そう話す。やり切ったけれど野球は辞めない。大学野球を目指す。

「最終目標はプロとか、それこそアメリカの地で野球をやるのが夢です。大学4年間でもっと大きくなって、そういう夢に近づきたいです」

あきらめない、粘り強くコツコツと-。それもまた、岩手から羽ばたいた好投手たちのパーソナリティーだ。【金子真仁】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【甲子園】朗希2世と呼ばれたかつての「スーパー小学生」が高校野球終える 花巻東・金野快投手