横浜Mの水沼宏太は今季に懸ける覚悟を、ユニホーム名に込めた。昨年までの「KOTA」から「MIZUNUMA」に変更。「30年たってまた水沼がいることを世の中に知ってもらいたい。父と一緒に頑張りたい」 父とは、元日本代表FWでクラブの大先輩でもある貴史さん(62)だ。 Jリーグが幕を開けた1993年5月15日、国立競技場。V川崎(現東京V)―横浜Mの歴史的な一戦で貴史さんはピッチに立ち、当時3歳の息子はスタンドで1勝目に立ち会った。今年7月。改修された国立競技場で行われた清水戦で、横浜Mはクラブ通算500勝に到達。2アシストで貢献した水沼は「運命的な出来事」と表現した。 高精度のクロスに豊富な攻撃アイデア、惜しみのないハードワーク。出場時間が伸びた今季、キャリアハイと言えるほどチームに大きく貢献した。何より32歳はチーム全体を見渡せる精神的な支柱だ。苦しい時は率先して前向きな声を掛ける。貴史さんは「小さい時からみんなで成し遂げることが好き。サッカーに限らず、学校の活動でもそうだった」と明かす。 7月の東アジアE―1選手権でA代表デビュー。Jリーグ発足以降、親子2代で日本代表としてプレーしたのは初めてのことだった。貴史さんは「宏太のパーソナリティーをいろんな人に知ってもらえたのが一番うれしい」。代表でもチーム第一の姿勢が見られたことに目を細める。 「肩を並べるくらい頑張りたい」と話していた息子について、父はこう話す。「もう超えている。みんなからの評価のされ方が違う。それがうれしいんですよ、すごく」「決意、覚悟をシーズン前から感じた。それがピッチで表現できている」。30年目のJ1を制した横浜Mの中心に「MIZUNUMA」がいた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕横浜Mの水沼宏太(右から2人目)と父の貴史さん(右)。J1通算300試合出場の記念セレモニーで=2021年8月28日、横浜市の日産スタジアム(水沼貴史さん提供) 〔写真説明〕オンラインで取材に応じたJ1横浜M、水沼宏太の父、貴史さん=10月6日