ロサンゼルス、ソウルと1980年代に五輪連覇の偉業を遂げた父、仁さんも立った世界選手権の頂点までは、あと一歩だった。それでも、日本柔道界の期待を背負う20歳の斉藤は初陣で躍動した。 東京五輪金メダルのクルパレク(チェコ)、銀のトゥシシビリ(ジョージア)ら強豪が次々と敗れるのを尻目に、着実に勝ち進んだ。「自分はスロースターター」と語る通り、初戦は7分以上を要するも一本勝ち。その後はしっかり相手を組み止め、内股、足車と技の切れが増していった。 母の三恵子さんがスタンドから父の遺影と見守った。苦しい場面で支えになるのは父から教わった技。国士舘大に進学した後、父の教え子の鈴木桂治総監督から指導された基礎は、中学生の頃までたたき込まれたものと同じだった。斉藤は「体に染み込んで初めて無意識に出てくるのが技。それを出せたら勝てる」。脈々と受け継がれてきた柔道を、ここぞの大舞台で輝かせた。 五輪の最重量級では、2008年北京大会を最後に日本勢の金メダルが途絶えている。復権を期待される斉藤の目には、2年後のパリへつながる道筋がはっきりと見えてきただろう。 (タシケント時事) 【時事通信社】 〔写真説明〕男子100キロ超級決勝でキューバ選手と対戦する斉藤立(左)=12日、タシケント 〔写真説明〕男子100キロ超級の斉藤立を、故・仁さんの遺影を手に応援する母の三恵子さん(中央)=12日、タシケント