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米国では、インフレ率がFRBの想定よりも遅いペースでしか低下してきませんでした。インフレの想定外の粘着性については、「米国の経済成長率がコロナ後に上昇してきているため」とか、「労働市場が構造的に変化したため」、など様々な議論が存在しています。もし、2%よりも高いインフレ率の下でこれまでよりも高めの経済成長率が見通せる状況が生じつつある、つまり、基調的なインフレ率が2%を超える状況が生じつつあるのであれば、FRBが2%に設定しているインフレ目標の水準を、将来的に2%を超える水準に引き上げることが必要になってくるでしょう。しかし、現状では、インフレ目標を変更する機が熟しているとは思えません。パウエル議長が今回の講演で述べた通り、「2%は現時点でも、将来においても我々のインフレ目標」です。これを前提にすると、当面は、労働市場やその他経済構造の変化が基調的なインフレ率の中長期的な上昇をもたらすという見方が強まる場合には、インフレ率を目標の2%に抑止するために、これまで想定されていたよりも高めの政策金利を継続する必要がでてきます。最近の金融先物・スワップ市場では、足元でのインフレの粘着性を踏まえて、これまで想定されていたよりも高めの政策金利がより長い期間にわたって維持される可能性が織り込まれていると考えられます。
しかし、FRBとしては、足元だけではなく、将来のことも考えながら政策を運営していく必要があります。ジャクソンホール会議は、FRBにとって、学術界や世界の中央銀行関係者を集め、将来の金融政策に役立つような知見を学ぶ場と言えるでしょう。今年のジャクソンホール会議のテーマは「グローバル経済における構造的な変化」でしたが、このテーマが選ばれたのは、今後のグローバル経済の成長・インフレにどのような構造変化が生じているかについてFRBが強い関心を抱いているからに他ならないでしょう。FRBにとって特に重要なのは、足元での構造変化が中長期的な観点から、よりインフレ的な世界につながるのか、あるいはそうでないのかという議論でしょう。
ジャクソンホール会議における議論の様子は公開されていませんが、提出された論文やハンドアウトは公開されており、それを見る限り、現在進行中の構造的変化が今後インフレを高める方向に作用することを示唆する議論が比較的多かったように思われます。例えば、「成長に対する構造的な制約」セッションでは、コロナ後の米国において、企業の設立件数の増加や労働市場における流動性の上昇が観察されているという見方を示した参加者がいましたが、この議論は、米国経済が活性化していてインフレ率の基調が上昇する可能性を示唆していると言えます。また、「グローバルな生産ネットワーク」セッションでは、世界的なサプライチェーンの再編が起きようとしているという趣旨の論文が提出される一方、日本銀行の植田総裁は「変曲点にあるグローバリゼーション」セッションで、アジアにおける生産拠点分散化の動きについて議論しました。これらの点はいずれも、グローバル経済がこれまでよりもインフレ的になりやすいことを示唆しているように思われます。他方、ジャクソンホール会議のその他のセッションでは、生産性を高めるための新しいアイディアを創出することがますます難しくなる中で、米国がこれまでの長期的な成長率(2%程度)を維持することが容易ではなくなりつつある点を指摘した論文もありました。これは今後の米国経済がインフレ的ではなく、逆にディスインフレーション的になる可能性を示していると言えるでしょう。
今回のジャクソンホール会議で議論されたこれらのポイントが今後、景気への悪影響をそれほど伴わないような形で現実のインフレ率の上振れにつながるような場合には、FRBが中長期の未来において、より高めのインフレ率を容認する形で、インフレ目標が上方修正される可能性が出てきます。そうなると、米国の長期金利が上振れるリスクが高まります。グローバル経済が構造的な変化に直面する中で、短期的なFRBのスタンスだけではなく、中長期のインフレ観も長期金利に少なからぬ影響をもたらす可能性があり、投資家としてはそうした視点にも目配りしていく必要がありそうです。
※来週は筆者が夏休みのため、次号の発行は9月14日を予定しています。
木下 智夫
グローバル・マーケット・ ストラテジスト
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