高齢者施設向けCOVID-19対策に最大58億円の便益に

2025年6月23日
早稲田大学
神奈川県立保健福祉大学
東京大学大学院工学系研究科

 全国規模の下水サーベイランスの金銭的価値を試算
― 高齢者施設向けCOVID-19対策に最大58億円の便益に ―

詳細は早稲田大学HPをご覧ください。

発表のポイント
●感染症対策としての下水サーベイランス(下水中に存在するヒト由来ウイルスを検査・監視すること)には、従来の臨床検査に基づくサーベイランス(ヒトから検体を採取)と比べ、「早い・安い・うまい(上手い)」という3つの便益があります。特に感染症の流行をより早期(1~3週間)に検知できることは、高齢者施設等における臨床スクリーニング検査の実施タイミングの最適化に繋がることが期待できます。
●下水処理場での下水サーベイランスに基づく警報システムに従い、より適切なタイミングで実施されるCOVID-19の臨床スクリーニング検査は、高齢者施設(入居者100人、スタッフ60人)あたり31~226万円、日本全国で5~58億円の純便益を4週間で生むことが分かりました。
●下水サーベイランスの追加的便益を金銭的価値に変換するために開発した本方法論は、世界で先行しており、COVID-19以外の多くの感染症にも応用可能と考えられます。感染者の早期発見・早期治療につながることは、入院率の低下(入院医療費の削減)、死亡率の低下(寿命延長)に寄与します。

COVID-19パンデミック発生以来、欧米先進諸国は感染症対策として下水サーベイランスを大規模に導入してきましたが、日本は大きく遅れています。早稲田大学人間科学学術院および神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科のユウ ヘイキョウ教授らの研究グループは、東京大学大学院工学系研究科の北島正章特任教授らと共同で、日本において全国規模で下水サーベイランスを導入することの是非を検証するため、仮想的な感染症モニタリング・警報システムを導入した場合の便益を推定しました。この仮想的なシステムの純便益として、医療費削減と寿命延長を全国47都道府県別に推定した上で合算したところ、全国規模の純便益はCOVID-19の発生率が高い4週間で5-58億円と推定されました。

【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202506200909-O1-QjY56Qjm

本研究成果は『Science of the Total Environment』(論文名:Economic Evaluation of the City-level Warning System Based on Surveillance at Wastewater Treatment Plants to Recommend Optimal Clinical COVID-19 Screening Tests at Long-term Care Facilities, Japan)にて、2025年6月18日(水)にオンラインで公開されました。

これまでの研究で分かっていたこと
下水サーベイランスとは、下水中に存在するヒト由来のウイルスを検査・監視することで、集団の感染レベルを監視する疫学モニタリングの新たな方法として、COVID-19パンデミックを契機に、欧米先進諸国では大規模に導入されています。一方、従来の疫学モニタリングの方法は、ヒトから検体を採取する臨床検査の結果を集計します。
下水サーベイランスには、従来の臨床検査に基づくサーベイランスと比べ、相対的に「早い・安い・うまい(上手い)」という主に3つの便益があります。すなわち、下水サーベイランスは、感染状況の検知時期が「早く」、対象となる集団全体の感染状況を知るための検査費用が遥かに「安い」という利点があります。また、下水サーベイランスが疫学情報としてより「上手い(正確である)」理由は、臨床検査キットの不足や臨床検査を避ける人の影響を受けないことにあります。
下水サーベイランスを実施する場所としては、特定の施設、下水処理場(典型例として30万人の流域人口を持つ)、国際線航空機のトイレ排水等があります。特定の施設における実証例は、2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピック選手村で実施された下水サーベイランスです。
特定の施設においては、下水サーベイランスの導入を正当化できる条件を経済効率の視点から評価した我々の先行研究(参考:https://www.waseda.jp/top/news/92260)が、2023年に学術雑誌に掲載されました。過去の文献等を検索した限りでは、下水サーベイランスの経済効率を本格的に評価した研究として世界で初めての研究であると思われます。この先行研究は、単独の高齢者施設において下水サーベイランスを実施することは、高齢者施設内で感染者を特定する臨床スクリーニング検査の経済効率を、一定の条件下で改善するということを示しました。また、高齢者施設における臨床スクリーニング検査の経済効率を最大化するためには、高齢者施設が立地する地域の疫学情報が必要であることも示しました。この立地地域(以下「市レベル」)の疫学情報の収集を全国規模で実施するには、多額の費用がかかります。従って、経済効率の高い「市レベルの疫学情報の収集」の方法を検討する必要がありますが、このような研究はこれまでに行われてきませんでした。

今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
「市レベルの疫学情報」の収集方法は2つあります。1つ目は日本でも既に実施されている「臨床検査に基づくサーベイランス」で、この臨床検査は、医療機関を受診する患者さんに対し、感染の有無を診断する目的で実施されています。2つ目は、市を地理的にカバーする「下水処理場で実施する下水サーベイランス」です。個人レベルの感染の有無の診断は、下水サーベイランスでは不可能であるため、臨床検査を代替することはできません。よって診断目的の臨床検査は今後も継続して実施されます。既存の臨床検査に基づくサーベイランスが継続される以上、下水サーベイランスを追加で実施することは、上述のように「早い・安い・上手い」という3つの便益があるとはいえ、屋上屋を架す懸念があります。
本研究の目的は、「市レベルの疫学情報」を収集する際に、下水処理場で実施する下水サーベイランスを追加で実施することが「屋上屋を架す」か否かを、シミュレーション分析を用いて、経済効率の視点から明らかにすることです。シミュレーション分析の政策上の利点は、政策を実施する前に経済効率を推定することで、経済効率の低い政策への支出を事前に止めることができることにあります。下水サーベイランスを追加することで実現できる「COVID-19の感染拡大の早期検知」による追加便益と、それに伴う追加費用の比較を、「投資回収率(Return on investment(ROI))(※)」の推定を通じて行い、ROI(=[追加便益]/[追加費用])の推定値が1を超えた場合に、純便益が生まれ、政策的に正当化できると解釈することができます。さらに本研究では、ROIによる純便益の金額の推定を、一施設、一市(人口100万人)、日本全国レベルで、それぞれ推定しました。
 市内の全ての高齢者施設への警報を出すタイミング(発生率)の閾値を定量的に推定したところ、COVID-19の場合、発生率が人口100万人当りで90人/日以上(医療費削減のみを目指す場合、300人/日以上)であるという結果でした。また、日本全国規模でCOVID-19警報システムに下水サーベイランスを追加した場合に得られる便益・費用と純便益は、下水サーベイランスの追加による感染拡大の早期検知の期間をそれぞれ1、2、3週間と仮定(シナリオ1、2、3)した場合において、全てのシナリオでROIが1を超え、純便益が生まれると推定され、下水サーベイランスの追加は、高い確率で政策的に正当化できると解釈できました(図.1)。純便益の額は、早期検知の期間が短期になるほど減少しますが、早期検知の期間が1、2、3週間である場合、純便益は、4週間でそれぞれ5億円、21億円、58.1億円と推定されます。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202506200909-O3-OJu0t2AN
図.1:日本全国規模でCOVID-19警報システムに下水サーベイランスを追加した場合に得られる便益・費用と純便益 [億円]。例)シナリオ3は、寿命延長による便益(46.6億円;図中の濃い緑色)、医療費削減による便益(19.6億円;薄い緑色)、費用((-)8.1億円;青色)、純便益(=便益(-)費用=[46.6+19.6](-)8.1=58.1億円;図中の赤色のダイヤ印)を示す。

研究の波及効果や社会的影響
下水処理場での下水サーベイランスによる便益・金銭的価値を、標準的な経済効率の指標(例:投資回収率・便益費用比(※))で評価した研究は、我々の先行研究調査によれば、本研究が世界で最初であるため、今回の研究成果は、大きく以下3点において、広範な社会的影響と研究の波及効果が期待されます。
①欧米先進諸国での社会的影響
下水処理場での下水サーベイランスは、COVID-19を対象に、既に米国では1,700か所以上、欧州連合では1,300か所以上(人口15万人以上の都市すべて)で定期的に実施・公表されています。更に、欧米諸国では多くの国でインフルエンザウイルス等他の病原体にも対象を拡大して下水サーベイランスが実装されています。今後、欧米諸国でCOVID-19のリスクが更に低下した際、大規模な下水処理場で下水サーベイランスを維持するべきか否かについて政策議論が起こると予想されます。先行研究が無いがゆえに、本研究の結果は、この政策議論に有用な示唆をもたらすものと期待されます。
②日本国内の社会的影響
下水処理場における下水サーベイランスの整備において、日本は欧米に大きく遅れています。日本国内の下水処理場で下水サーベイランスを継続的に実施し、その結果を随時公表しているのは20自治体未満です。本研究の分析モデルの開発には、日本国内のデータ(例:高齢者施設の入居者とスタッフの数、入院医療費)を多く用いました。そのため、本研究の結果は、日本において全国規模で下水処理場における下水サーベイランスを拡大する政策議論に対し、諸外国での実施事例以上に関連性の高いエビデンスを提供することができます。
③学術的波及効果
下水サーベイランスの追加的便益である「COVID-19の感染拡大の早期検知」を金銭的価値に変換するために本研究が開発した方法論は、COVID-19以外の多くの感染症にも応用可能です。下水サーベイランスの「早期検知」を金銭的価値に変換するため、本研究は「市レベルの疫学情報」を基に、COVID-19の発症率が“ある閾値以上”になると、市役所から市内の全ての高齢者施設に送付される電子メールにおいて、施設内の入所者とスタッフ全員に臨床スクリーニング検査(抗原検査)を勧めるという警報システムを仮定しています。下水サーベイランスを追加することで得られる「追加便益」の計算では、この仮想的な警報システム(現状では臨床検査に基づくサーベイランスを用いていると仮定)の電子メールを送付するタイミングが1週間から3週間早くなると仮定しました。早期の警報に従って、高齢者施設で臨床スクリーニング検査が実施されると、感染者の早期発見・早期治療につながり、最終的に入院率が減少(入院医療費が削減)し、死亡率が減少(寿命の延長)します。なお、下水サーベイランスを追加することで発生する「追加費用」の計算では、全国47都道府県の主要都市を網羅する合計286カ所の下水処理場で下水サーベイランスを実施する費用と、早期警報に伴い追加的に高齢者施設で実施される臨床スクリーニング検査の費用を考慮しました。

今後の課題
本研究は、仮定に基づくシミュレーション分析であり、仮定する発生率、高齢者施設が警報に従う割合、下水サーベイランスの早期検知のタイミング次第で、純便益の金額が変動するということに留意すべきです。例えば、上述の純便益の推定では、市役所からの警報に対し、市内の全高齢者施設のうち20%が従うと想定しましたが、この従う割合が少なくとも1.3%以上であれば、ROIが1を超え純便益が得られるとも想定されました。今後は実証事業を実施することで、より正確な便益の額を計測することが可能になります。現実的には、パイロット事業を複数の自治体で実施し、その結果に基づいて全国展開をすることが課題です。

研究者のコメント
感染症に対する下水サーベイランスの実施規模においては、日本は欧米先進諸国に大きく遅れています。一方、下水サーベイランスに関する日本の技術は世界でも最高レベルです。本研究が報告した高齢者施設で生じる純便益ゆえに、下水サーベイランスは経済的にも正当化されます。本研究が契機となり、日本でも全国規模の下水サーベイランス制度が、社会的なインフラ(社会資本)として継続的に維持されることを期待しています。

用語解説
※ 投資回収率(ROI)・便益費用比
概念的には同じ経済効率指標であり、解釈についても同じもの。あるオプションのROIが1を超えれば、費用削減が実現される。例)ROIが1.50の場合、あるオプションに100万円投資すると、150万円の費用削減、すなわち純額50万円を削減できることを意味する。

論文情報
雑誌名:Science of The Total Environment
論文名:Economic Evaluation of the City-level Warning System Based on Surveillance at Wastewater Treatment Plants to Recommend Optimal Clinical COVID-19 Screening Tests at Long-term Care Facilities, Japan
執筆者名(所属機関名):ユウ ヘイキョウ1※、岩本 遼2、鄭 雄一3、佐々木 朋子、 Peter G. Szilagyi4、北島 正章5 ※責任著者
1.早稲田大学/神奈川県立保健福祉大学
2.塩野義製薬株式会社/株式会社AdvanSentinel
3.神奈川県立保健福祉大学/東京大学
4.カリフォルニア大学ロサンゼルス校
5.東京大学
掲載日時(日本時間):2025年6月18日(水)13:30
掲載URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0048969725012860
DOI:https://doi.org/10.1016/j.scitotenv.2025.179645

研究助成
研究費名:神奈川県立保健福祉大学イノベーション政策研究センターの内部研究費
研究課題名:新型コロナウイルス・パンデミックの公衆衛生対策
研究代表者名(所属機関名):Byung-Kwang Yoo(早稲田大学・神奈川県立保健福祉大学)

情報提供元: PRワイヤー
記事名:「 全国規模の下水サーベイランスの金銭的価値を試算