ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が、カンボジアと中国との間で、カンボジアのリアム海軍基地使用に関する秘密協定が調印されたことを報じたのは、昨年の7月22日だった。協定の草案を見たとする米国政府と同盟国政府の高官によると、協定には中国の部隊、兵器、艦船に対して海軍基地の3分の1の規模への排他的アクセス権が30年間付与され、その後は10年ごとに自動更新されることが盛り込まれているとされた。当該地区への進入には、カンボジアの関係者であっても中国当局の許可を必要とし、中国が2つの埠頭を建設する予定とも報じられた。カンボジアと中国の両政府はこれらの報道を否定し、カンボジア政府は同基地を報道陣に公開するという異例の措置が取られた。

今年の10月1日、米国の戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International Studies: CSIS)は、衛星画像の分析結果から、カンボジア政府によるリアム海軍基地にある施設の解体が判明したと発表した。解体された施設は、米国の資金提供によって2012年に建設され、オーストラリアが設備を整備したもので、カンボジアの国家海上安全委員会の戦術本部があった。当初、カンボジア政府は、リアム海軍基地の施設を米国の資金提供によって改修することを希望しており、米国もそれに応じることとしていたが、それを断り解体したと見られる。解体工事は、9月5日から10日頃までの間に行われたと推測された。

日本経済新聞の報道においては、リアム海軍基地の拡張工事が中国の国営企業である中国冶金科工集団有限公司によって進められていることを、カンボジア海軍の高官も認めている。現在のリアム海軍基地は水深が浅いため小型船舶しか接岸できないが、工事内容には、大型船舶の接岸を可能にするための浚渫や、新たな5,000トンの乾ドック、横方向にスライドさせて進水させる1,500トンの機械式ドックまで含まれている。CSISは、基地周辺の広大な土地が中国企業によってリゾート地として開発されていることも指摘している。

ジェームズタウン財団が2019年に発表したレポートでは、中国企業「天津優聯投資発展集団」が、リアム海軍基地から北西に約40マイル離れたダラ・サコールで巨大開発事業を進めていたことが報告されている。開発地域は90kmの海岸線を有する沿岸部の139平方マイルという広大な土地で、カンボジアの全海岸線の20%を占めるとされる。リゾート施設に隣接して、国際空港、深水深の港湾、工業団地などが建設される予定であり、投資額は38億ドルに達する。2008年5月に調印された契約によって、99年間のコンセッション方式での運営権が中国企業に与えられている。

リアム海軍基地もダラ・サコールもともにタイ湾に面しており、シハヌークビルや深海深の港を有するコンポン・ソム湾をはさむ要衝に位置している。中国が進めている、一帯一路構想の海上シルクロードの中でも重要な位置にある。何より、領土問題を抱える南シナ海や、マラッカ海峡、ナトゥナ諸島、スンダ海峡などに戦力を投射するうえでは、有効な足掛かりとなることは間違いない。中国があらゆる手段を使ってその利点を手中に収めようとするのは、戦略的にみても妥当性がある。

中国との関係には、カンボジアにもメリットがある。米国が提案したリアム海軍基地の既存施設の補修では大きな機能の向上を見込めないが、中国の拡張工事では港湾能力が著しく向上する。中国からの巨額の投資は、民間施設も含めてカンボジア国内のインフラ整備に大きく貢献する。貿易面でも、中国との関係が強まっている。2014年から2018年にかけて、中国からの輸入額は34億ドルから60億ドルへと76%も増加しているのに対して、米国からの輸入額は4億3,000万ドルから3億7,000万ドルへと14%減少している。カンボジアからの輸出額は米国のほうが多いが、2014年の33億3,000万ドルから37億7,000万ドルへと13%の伸びにとどまっているのに対して、中国向けで5億2,000万ドルから13億5,000万ドルへと160%も拡大している。この間の、カンボジアの輸入総額が1.6倍、輸出総額が1.4倍に伸びていることを踏まえれば、近年の中国への傾斜は顕著だ。

2010年から続いていた米国とカンボジアの合同軍事演習は、2017年に中止された。一方、2016年から始まった中国とカンボジアの合同軍事演習は、2018年、2019年にも実施され、今年も新型コロナウイルスの感染が拡大していた3月に行われた。軍事面でも、中国寄りの傾向が出ていると判断するのは自然だろう。

カンボジア憲法では外国軍基地の受け入れが認められておらず、カンボジア内戦終結時の1991年に締結されたパリ和平協定第8条でも、外国軍隊の国内駐留を禁じられている。しかし、35年の長期にわたって政権を維持してきたフン・セン首相は、反政府的な言論への弾圧を強めている。関係国の外交筋からは、中国軍駐留への道筋として憲法を改正する可能性が否定できないとの見方も示されている。法的な障害もあって、中国の基地受け入れにはまだ時間がかかることが予想される。この間に、米国がカンボジアに対する影響力を回復しなければ、流れを反転させることの困難な状況となる可能性がさらに高まるだろう。

サンタフェ総研上席研究員 米内 修 防衛大学校卒業後、陸上自衛官として勤務。在職間、防衛大学校総合安全保障研究科後期課程を卒業し、独立行政法人大学評価・学位授与機構から博士号(安全保障学)を取得。2020年から現職。主な関心は、国際政治学、国際関係論、国際制度論。



<RS>

情報提供元: FISCO
記事名:「 中国への傾斜が明らかにするカンボジアの戦略的意義【フィスコ世界経済・金融シナリオ分析会議】