◆仮想通貨がブームである。ビットコインは大暴落し、いまだに底打ちが見えず取引も低迷しているのに、何を言うかと思われるだろう。仮想通貨が流行しているというのは小説の世界の話である。直近の芥川賞を受賞した「ニムロッド」も、第10回日経小説大賞に選ばれた「狂歌」も、ともに仮想通貨が材料として使われている。

◆「ニムロッド」を一言で表すなら、「空虚」を描いた小説だと言える。「空虚」を描くのは難しい。だって、なにもないのだから描きようがない。そこで、「空虚」のメタファーとしての道具が並べられる。仮想通貨のマイニング、バベルの塔、駄目な飛行機、感情と関係なく流れ落ちる涙、乾いた男女関係。 ドーナッツの真ん中にある穴は「何もない」けど、確かに穴としては「ある」。「何もない穴」はその周りにドーナッツの身の部分があって初めて出現し存在する。「ニムロッド」は、ドーナッツの身の代わりに言葉を紡いで、人間の営みの空虚さという穴を作ってみせた小説だ。

◆日経小説大賞の「狂歌」は「ニムロッド」の正反対。男女の恋愛、性欲、業といった「ねっとりしたもの」を濃密な文章で綴った作品だ。「狂歌」でも、仮想通貨が重要な舞台装置になる。こちらは空虚どころか、「強烈な身体感覚で欲望というものを追求している」(選者の高樹のぶ子・評)。リアルでフィジカルな「狂歌」と、バーチャルでデジタルな「ニムロッド」。こう表現すれば正反対だと言った意味が伝わるだろうか。

◆このふたつの作品において、仮想通貨は一方で「空虚」のメタファーとして、他方では「人間の強欲」のメタファーとして使われているところが興味深い。文学界の評価が正しいとすれば、仮想通貨を媒体としてこんな等式が成り立つ。空虚=仮想通貨=人間の強欲。ゆえに人間の強欲は虚しい。マーケットも、ビジネスも、そして経済全体をも突き動かしていくのは詰まるところ人間の欲望であろう。それが虚しいものだとしたら、人間の営為はすべて虚しいことになる。悲しいことだが、おそらくその通りなのだろう。

◆それは皆が、あえて口には出さなくても薄々感じてきたことだ。「ニムロッド」も「狂歌」も、その悲しい事実を少し浮かれ気味の現代に、突きつけてみせたところが受賞につながった理由であろう。それを描く重要なツールとして仮想通貨が使われたのは、ブロックチェーンという超現代的なテクノロジーの産物ながら、仮想通貨が人間の営為の本質と極めて強く結びついているからである。権威ある文学賞がそう認めたのだから、間違いはあるまい。仮想通貨は人間の強欲の象徴であり、それゆえ空虚なものであると。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆
(出所:3/18配信のマネックス証券「メールマガジン新潮流」より抜粋)




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情報提供元: FISCO
記事名:「 コラム【新潮流2.0】:文学と仮想通貨(マネックス証券チーフ・ストラテジスト広木隆)