◆『ブレードランナー』続編の監督に抜擢され注目を集めるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の新作『メッセージ』を観た。ファーストコンタクトもののSF映画で、原作はテッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」。同じ中国系SF作家、ケン・リュウの「紙の動物園」の衝撃が強烈だったので、テッド・チャンの作品にも興味があった。 ハヤカワSF文庫「あなたの人生の物語」の最初に収録されているのは、「バビロンの塔」。上野の東京都美術館でブリューゲルの『バベルの塔』展を観たばかりだったので、この作品も強く印象に残った。映像と絵画と小説のハーモーニーを楽しんだ。

◆他方、まったく小説から「ビジュアル」な世界観が立ち上がってこない作品もあった。「ゼロで割る」という短編だ。各章の扉に数学にまつわる記述がある。「ある数をゼロで割っても、その答えは無限大という数にはならない。その理由は、割り算が掛け算の逆と定義されているからである。」「1は2に等しいという、よく知られた”証明“がある。(中略)その証明のまんなかにこっそりもぐりこんでいるのはゼロによる割り算だ」…こんな具合である。

◆昔はストラテジーレポートで、エドワード=ベル=オルソンの残余利益モデルで理論株価を示したりしていたが、読者から「難し過ぎる」「個人投資家にここまでの理論が必要か」とクレームを受けて、その後は平易な表現につとめてきた。ところが最近、僕の書くものは感覚的なエッセーであって、「科学的な分析」ではない、という批判をもらった。科学的でないと言われたのには驚いた。なぜなら経済が科学だなんて思ったことは一度もないからである。

◆以前、著書で「マクロ経済学、金融、政治学、社会学等では多くの因果関係がいまだ特定できていない」という意思決定理論の第一人者、イツァーク・ギルボア博士の言葉を紹介したことがある。相関関係はあっても因果関係があるとは限らない。ましてそこに普遍的な法則を見出すことはできない。物理学は世の中のありとあらゆる法則を探す学問で、それを記述するのが数学である。経済学や金融理論は、物理や数学とは根本的なところが違うのだ。 物理や数学など自然科学を「科学的」と呼ぶのはいいが、人文科学に対して「科学的」というのは、しっくりこない。

◆「ゼロで割る」の数学に関する記述、最終章はアインシュタインの言葉である。「数学の命題が現実に関するなにかの説明を与えるかぎりにおいて、それらは不確実であり、それらが確実であるかぎり、現実を説明していない」 アインシュタインの言葉が正しいとすれば、数学も物理も、僕が書くレポートも、あまり大きな違いがないかもしれない。数学がゼロで割ることを認めて1は2に等しいことを”証明“するなら、僕がEPSにPERを掛けて株価を求めたって許されるであろう。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆
(出所:6/5配信のマネックス証券「メールマガジン新潮流」より抜粋)




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情報提供元: FISCO
記事名:「 コラム【新潮流2.0】:ゼロで割る(マネックス証券チーフ・ストラテジスト広木隆)