今回の録音で使用されたティンパニは、有賀誠門の所有する2種の楽器である。このティンパニの特徴は、楽器のヘッド(打面となる皮膜の部分)に、本皮を使用していることである。本作品で指定された奏法に応えるには、現在主流となっているプラスティックのヘッドを持つ楽器ではなく、本皮の楽器が必要であるという有賀誠門たっての希望でこの楽器の使用が決定した。その理由は、皮による温かな音色だけではなく、プラスティックヘッドだと、表面に引っかかりがなく滑ってしまうが、皮を使うと、ザラザラとして、手で打ったり爪を使った叩き方が効果を発揮しやすいことを踏まえてであった。 この楽器のもう一つの特徴は、「手締め式のティンパニ」であることだ。現代のティンパニは足ペダルによって皮の張力を張ったり緩めたりすることで音程を変化させるが、ここで使用したティンパニは、楽器自体が回転することで皮の張力を変化させる。チューニングボルトを手で締め、楽器を回転させることによって音程を調節するのである。 なお、使用された2種類のうちの片方は、NHK交響楽団の前身である新交響楽団で使用されていたものである(当時のティンパニ奏者は、『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』の初演奏者である小森宗太郎もいた)。ティンパニが現役を退き、倉庫に眠っていたのを、有賀誠門が払い受けた。この楽器がどのようにして日本にたどり着いたのかは不明だが、楽器を作ったのはイギリスで活躍したドイツ人音楽で発明家のJohann Stumpff(1769-1846)であり、1815年頃に作成したモデルと推測されている。 もう片方は、ヴァイオリン奏者で東京音楽学校の外国人教師であったアウグスト・ ユンケル(独 1868-1944)が、1904年に東京音楽学校に寄贈したものである。ユンケルはベルリンフィルのコンサートマスターなど歴任して来日、東京音楽学校でオーケストラを編成して多くの弟子を育てた。つまりこの楽器は日本のオーケストラ黎明期に使用されたのと形容できる。 釜の胴体には「PRESENTED TO TOKYO ACADEMY OF MUSIC BY PROF. A JUNKER 1904」と刻印されており、後の調査で皮を押さえる枠の裏側から主に西洋でしか使われなかった塗料が確認され外来の楽器であることが証明された。戦後、東京音楽学校が東京藝術大学に統合されてからも使用され、指揮者の故岩城宏之が打楽器科に在籍時代にも演奏していたとされる。その後、新型のペダルティンパニが輸入されてからは現役を退き、倉庫に眠っているのを有賀誠門が見つけて、払い下げを受けた。有賀は東京藝術大学退官後も自宅で保管してきたが、その愛弟子である仙台フィルハーモニー管弦楽団ティンパニ奏者の竹内将也が保管を委託され、現在、仙台フィルの演奏会 などでも使用されている。現代の楽器に比べて釜の径が小さく、皮を張る為のネジは7本ついている。楽器を支える木製の四脚や木製の蓋もついており、歴史を語る貴重な楽器である。 今回の録音だけのために、有賀誠門、竹内将也、両氏と、仙台フィルハーモニー管弦楽団の協力によって仙台から東京へ輸送して、レコーディングを行った。日本の洋楽史と共に生き、今も重厚な響きを奏でる楽器と、先人への深い感謝の思いと共に本稿を執筆した(西耕一)。