- 週間ランキング
殺生石 のある 賽の河原 (さいのかわら)は国道4号線から“那須街道”(県道17号線)を茶臼岳(ちゃうすだけ)ロープウェイへ向かい、那須湯本の温泉街を抜けしばらく登ったところにあります。湯川沿いに木道が整備され、途中に千体地蔵や教伝(きょうでん)地蔵などが鎮座し、最奥に殺生石があります。
「賽の河原(さいのかわら)」とはあの世(冥土=めいど)に行く途中にある河原で、そこには三途の川(さんずのかわ)があるといわれています。群馬県草津温泉の賽の河原も有名ですね。
殺生石 とはなんとも恐ろしい名前ですね。実際この石の周りには草木が生えておらず、大きな石がゴロゴロしており周囲には卵の腐ったような臭いが漂っています。実はこの石は、中国で紀元前5~3世紀に編纂された物語に登場する “ 九尾狐 (きゅうびきつね)”の伝説が大きく関わっています。
妖怪“ 九尾狐 ”は当時の中国皇帝の妻に乗り移り、 皇帝を操って人民の虐殺など数々の悪行 を繰り返しました。夫人が皇帝に“九尾狐”がついていることを見破ると、北の空へ逃げて行きました。中国の物語ではここで話は終わります。しかし “九尾狐”は中国から日本へ逃げてきた 、というところから日本での物語が再開します。
日本に逃げてきた 九尾狐は、絶世の美女“玉藻前(たまものまえ)”に化け て鳥羽上皇をたぶらかし、人の世を終わらそうと企みます。しかし、陰陽師安倍晴明(あべのせいめい)に見破られ、那須の地に逃げて石になったのです。それでも毒気をまき散らしていましたが、玄翁(げんおう)という和尚さんによって打ち砕かれ、いくつかの破片は全国に飛んで行き、那須の岩は現在の大きさとなり、噴気もほとんどおさまりました。
物語の舞台は平安時代ですが、この日本版“九尾狐の物語”が成立したのは江戸時代のことです。当時、歌舞伎や人形浄瑠璃で大ヒットしました。美女“玉藻前”はゲームのキャラクターなどとしても登場しているのでご存じの方も多いかもしれませんね。
松尾芭蕉は“奥の細道”を歩く途中にこの殺生石を訪れています。その際の様子は「 殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す 」と書かれています。つまり、殺生石から出る毒によって蜂や蝶などが地面を覆い隠すほど重なり合って死んでいたのです。しかし、松尾芭蕉は“九尾狐”には触れていません。日本版“九尾狐”の物語は江戸時代後期に流行したので、芭蕉は知らなかったのかもしれません。
「殺生石、真っ二つ」 というニュースは2022年3月5日の全国ニュースで流れました。地元や「殺生石の九尾の狐伝説」を知る方にとっては驚きのニュースだったようで、SNSには“不吉な予感”とか“封印が解かれた?”といった不安がる(ちょっと面白がっている)投稿が多く寄せられていました。
当日のニュースでは「『九尾の狐伝説」で知られる栃木県那須町湯本の国指定名勝「殺生石」が真っ二つに割れたことが5日、分かった。関係者によると 数年前からひびが入っていたことが確認されており、自然に割れたとみられる 。」(共同通信社配信)と至って冷静。茶臼岳(那須火山)の活動が活発化したというような兆候もなく、何も問題はないそうです。
賽の河原には無数のお地蔵さんが安置されており、それを 千体地蔵 といいます。千体地蔵は意外と新しく、最初の一体が安置されたのは1978年のことでした。それには古くから安置されていた 教伝地蔵 が大きく関わっています。
若い頃に親不孝ばかりしていたという奥州白川の住職、教伝が殺生石の見学に来たときに噴火に巻き込まれ亡くなりました。地元の人が哀れんでお地蔵さんを安置したところ、親不孝の戒めとして参拝する人が絶えなかったといわれています。
これは江戸時代のお話で、その後教伝地蔵の物語は忘れ去られ、お地蔵様もほったらかされていました。1970年代中頃には首がもげ、形も定かでなくなってしまった教伝地蔵ですが、あまりにひどいので地元那須湯本温泉の人たちは作り直すことにしたそう。1978年に修復が終わり、同時に新しい教伝地蔵が隣に安置されました。
あるとき、那須湯本温泉の関係者の集まりで「『教伝地蔵』に寄り添っている小さな脇地蔵を千体になるまで寄進しようじゃないか」という話が持ち上がり、地元の人たちによってお地蔵様が作られるようになりました。2020年現在800体を超えており、寄進募集は続行中とのことです。
[車]東北自動車道那須ICから県道17号線(那須街道)で約20分
[公共交通機関]JR東北本線那須塩原駅下車、那須湯本温泉または那須ロープウェイ山麓駅行きバスで約40分
賽の河原からは豊富な温泉が湧き出ています。温泉の発見は約1300年前といわれており、鹿が傷を癒やしていたという伝説から 鹿の湯 と名付けられました。泉質は単純硫黄泉(硫化水素型)で硫化水素臭(たまごの腐ったような臭い)がする白く濁った酸性の温泉です。温泉は共同浴場「鹿の湯」で使用されているほか、那須湯本温泉に供給されています。
鹿の湯の建物は明治時代、大正時代に建てられた木造建築で、悪くなったところを修理しながら使われています。風呂は男女別の内湯ですが、 温度の異なる湯船 が並んでいます。 男風呂は41℃、42℃、43℃、44℃、46℃、48℃ の6種類、 女風呂には48℃以外の5つの湯船 があり、すべて 源泉掛け流し です。効能は神経痛、打ち身、疲労回復などのほか、特に慢性皮膚病、慢性婦人病、糖尿病、高血圧などに効果があるといわれています。
鹿の湯で推奨している入浴方法は、まず湯船に入る前に大人はおよそ200回頭にかけ湯(かぶり湯)をします。湯船には腰まで1分、胸まで1分、首まで1分入り、首が終わったらまた腰からを繰り返すというものです(短熱浴)。もちろん普通に入ってもいいのですが、1日4回、1回で15分が限度だそうです。
[車]東北自動車道那須ICから県道17号線(那須街道)で約20分
[公共交通機関]JR東北本線那須塩原駅下車、那須湯本温泉または那須ロープウェイ山麓駅行きバスで約40分
余暇プランナー
雑誌などの取材や撮影で日本全国まわっていたら、いつのまにか47都道府県制覇してました。取材して歩く中で必ず行くのが神社。というのも祖父が仏式から神式に変えたため、行事はいつも神社か神主が来て祝詞を上げるという家柄、お寺には縁がなく、どうしても神社に親しみを感じてしまいます。参拝すればやはりお願い事は必須です。でも神様だって得手不得手はあるので、その神社の神様が一番叶えてくれそうなお願いをすることにしています。
【栃木・那須高原】割れてしまった殺生石、その伝説とパワーを探る旅