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福砂屋が創業した1624年(寛永元年甲子)は、徳川家光が上洛し、江戸幕府の三代将軍に就任した翌年。“長崎カステラ御三家”として並び称される松翁軒・文明堂と比べても、最も古い歴史を持つのは福砂屋だ。2024年現在の社長・殿村育生氏は16代当主にあたる。
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東京商工リサーチの調査によると、2024年の時点で創業100年を超える企業は、全国で4万5,189社に達する。
うち創業100周年を迎える企業は菓子メーカーの「ブルボン」(新潟県)や空調機のダイキン工業(大阪府)など2,519社。200周年は建築工事の「大和屋」(埼玉)や鞄販売の「エンドー鞄」(兵庫)など6社。
400周年を迎える企業は「福砂屋」と製造部門の「カステラ本家福砂屋」を含め8社。1000周年を迎える「朱宮神仏具店」(山梨県)という例外中の例外はあるが、それに次ぐ創業400周年は異論の唱えようもない歴史ある老舗といえる。
福砂屋400周年ブランドメッセージを元に、「カステラ本家 福砂屋」創業期の歴史を紐解いてみる。
長崎港がポルトガル貿易港として海外へ向け開かれたのは、1571年(元亀2年)のこと。福砂屋によると、長崎へ到着したポルトガル貿易商品は市中の船宿に暮らし、町民との交流も日常のことで、福砂屋の創業以前から、ポルトガル人からカステラの作り方を教わる環境は整っていた。
1624年(寛永元年甲子)に福砂屋が創業したのは、内町が拡張された引地町(現在の長崎県長崎市桜町、興善町付近)。近傍には後にサンタ・マリア教会と呼ばれる小聖堂があった。
伝来当初の南蛮菓子カステラは、長い航海に耐えられる保存食で、二度焼きされた固い食感だった。1625年(寛永2年)に儒学者・医師・軍学者の小瀬甫庵(おぜほあん)が著した「太閤記」には、宣教師たちが「下戸には、かすていら、ぼうる、こんへい糖などの南蛮菓子を与えて布教した」とある。
1633年(寛永10年)以降になると、数度にわたって鎖国令が出され、長崎の出島は日本で唯一、海外とつながる“窓”となった。鎖国が解かれる幕末までの200年以上にわたり、海外からの風を感じられる唯一の街だった長崎で、カステラは日本の風土とともに、和菓子へとおいしく変容したという。
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福砂屋は同社のカステラを、「福砂屋ならではの製法と鍛えぬいて会得した伝統を受け継いできた味わい」だとし、それを支える工夫として「熟練職人による、丁寧な生地づくり」「厳選素材と卵への思い」「ふっくら・しっとりの仕上がりを生み出す“別立法”」「長崎カステラの双目糖(ザラメ糖)の妙法」を挙げる。
「熟練職人による、丁寧な生地づくり」では、卵の手割りに始まり、泡立て、混合、撹拌、釜入れ、焼き上げまで、ひとりの職人が一貫して責任を持ち製造する。時代の逆を行くこのような手間のかけ方が、ふっくら・しっとりとした福砂屋独特の食感、コクのある甘みと風味を生み出すという。
「厳選素材と卵への思い」では、添加物を一切使用しない厳選したシンプルな材料を使用。中でも、卵には格別のこだわりを持ち、生産から品質管理、季節ごとの色や状態のチェック、白身の状態に合わせた攪拌技術など、「あらゆる英知」を注いでいるという。
「ふっくら・しっとりの仕上がりを生み出す“別立法”」は、卵を白身と黄身に分け、まず白身を十分に泡立て、その後に黄身と双目糖を加えさらに撹拌するという手間のかかる製法。福砂屋は別立法を古くから確立し、ふっくら・しっとりとしたカステラを実現しているという。
長崎カステラの特徴のひとつには、カステラの底の方を口にした時に感じるシャリッとしたザラメ糖の食感があり、「長崎カステラの双目糖(ザラメ糖)の妙法」では、材料を撹拌する際、双目糖の角を磨り減らしながら生地になじませ、その一部を底の方に残す。この守り伝えた鍛錬を重ねた手法で、独特の食感やコクのある甘みが出るという。
福砂屋は2024年のメモリアルイヤー始動に際し、「福砂屋400周年記念特設サイト」をオープン。テレビCMも放送し、創業期の歴史や未来への思いを伝えるブランドメッセージを発信している。
合わせて発表した400周年記念ロゴは、福砂屋のアイデンティティでもある登録商標の「蝙蝠(コウモリ)ロゴ」と「400」をシンプルに表現。とりわけ縁起が良いとされている“赤い色”の蝙蝠をイメージし、椿桃(つばいもも、朱色)で彩っている。
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福砂屋の商標「蝙蝠」は明治時代、福砂屋の12代店主・清太郎氏のときに「カステラをもっと長崎を代表する菓子として育てたい」との願いを込めて採用した。
中国では「蝠」と「福」が同音で縁起が良く、慶事・幸運の印とされること、長崎という地域としての、中国との絶える事のない交流の歴史から、「蝙蝠」は自然な形で商標になった。採用の際には、1682年(天和2年)の飢饉の折、福砂屋が米を寄進した唐寺・崇福寺の住職の勧めもあったという。
福砂屋は400周年ブランドメッセージの中で、現在や未来への思いについて、以下の通り述べている。
2024年、働き方も社会のありさまも、全てが目まぐるしいスピードで変化していく時代に、福砂屋は400周年を迎えます。
変わることや新しいことが全て尊いのではなく、自分たちの大切なものをゆっくりと着実に見極めて育てていきます。
一歩一歩確実に、その先に新しい福砂屋の姿があると考えています。伝統は頑なに守るものではありません。
伝統は大切に育てていくもの、私たちは、そう考えています。
福砂屋400周年ブランドメッセージより