河野太郎防衛相が10月28日、東京都内で開催された自身の政治資金パーティで、



 



「私はよく地元で雨男と言われた。私が防衛相になってから、すでに台風は三つ」



 



……と発言したことが問題になろうとしている(※翌日29日には本人みずからが陳謝したとのこと)。災害派遣された自衛隊員らの苦労をねぎらう話の導入文句であったらしく、会場からは笑いも起こったという。



 



 



なぜ、私が「問題になっている」ではなく「問題になろうとしている」なんて不自然な日本語をチョイスしたのかと言えば、問題になるかどうか、よくわからないからである。



 



同案件を報じたネット版の『KYODO』は、



 




「相次いだ台風や大雨で多数の死者が出ただけに、発言は軽率だとの批判を浴びる可能性がある」




 



……との見解をつけ加えている。ただ、前出の発言の直後に、河野防衛相は「そのたびに、災害派遣、自衛隊の隊員が出てくれております」「あらゆるところで頑張ってもらっている。隊員の処遇の改善をきちんとやらないといけない」とつなぐかたちで語っていたという話も漏れ聞こえてくる。



 



 



「軽率だとの批判を浴びる可能性がある」とは、なんとも狡猾な表現ではないか。「批判を浴びる気もするけど、浴びない気もしますよ〜」と、どっちに転んでも大丈夫なように逃げ道をつくり、最終ジャッジは「読者の皆さまにお任せしますm(_ _)m」という目論見だと推察する。



 



最終ジャッジを読者の皆さまにお任せするのは、別にかまわない。でも、お任せするなら「簡潔で読みやすい原稿を」みたいな大義名分を後ろ盾にして、“燃えやすい部分”だけをトリミングするのはやめてほしい。文字数を増やしてでも、その文脈を最初から最後まで、全文を……とまではムチャ振りしないが、せめて“それなり”に紹介すべきなのではなかろうか?



 



 



もし、問題になろうとしている発言後の「つなぎ」が本当であれば、



 



「私はよく地元で雨男と言われた。私が防衛相になってから、すでに台風は三つ。

 そのたびに、災害派遣、自衛隊の隊員が出てくれております。

 あらゆるところで頑張ってもらっている。隊員の処遇の改善をきちんとやらないといけない」



 



……ってことになる。あえて指摘するなら「私はよく地元で雨男と言われた」の前フリは、ちょっぴり不謹慎な匂いもただよわなくはない。“余計な一言”なのかもしれないが、とくにそこまで大きな問題に発展するたぐいのものだとも思わない。これを「不謹慎」とするなら、パーティに参加してここで笑ってしまった人たちも同罪だ。



 



 



私が昨日citrusにアップしたコラム『ハロウィンでの恫喝「ジロジロ見てんじゃねえよ!」の理不尽さ』にも、こうした危うさを誘う箇所が一つある。



 



「(女性が)そんな太もも晒した半裸に近い格好をしていたら、痴漢めいた被害に合うのも、ある程度は覚悟すべきではないのか」



 



……といったくだりである。この一文だけを、文中のロジックをないがしろに切り取られてYahoo!ニュースのトップにでも掲載された日にゃあ、「痴漢擁護論者」として私が愛する日本国中の全女性から総攻撃を食らってしまうことだろう。



 



どうか、怠慢や悪意からくる安易な「ワードトリミング」だけはカンベンしてください! コイツは政治家や芸能人だけじゃなく、我々文筆家にとっても切なる願いだったりする。


情報提供元: citrus
記事名:「 河野防衛相の「私は雨男」発言に潜むワードトリミングの恐ろしさ