『マネーポストWEB』によると、「男女の草食化」や「マッチングアプリの浸透」を背景とする「若者の合コン離れ」が昨今、急速に進みつつある……らしい。



 



SMBCコンシューマーファイナンスが、去年12月に発表した「20代の金銭感覚についての意識調査2018」によれば、20代の47.1%が「合コン離れ」を自覚していると回答。関心がなく、必要だと感じないものとして、「合コン」が「固定電話」「ゴルフ」に次ぐ3位にランクインしたという。過半数近くにもわたる回答者が「合コン」を不要だと断じる理由とは、以下のようなものである。



 




(前略)(合コンに)たまに誘われる時は、いかにも別の参加者が直前でキャンセルしたとわかる数合わせ要員として。直前に誘われ、かつ女性側にも親しい人がいないと、積極的に輪の中に入ることも出来ず、ただつまらない時間を過ごす羽目に……。(後略)




 




予約の取りづらい有名店で個室を確保するという万全の準備をしたにも関わらず、女性側の参加者がいかにもやる気なし。男性側が仕切るのが当たり前と感じている女性を相手に、次の料理の注文や、空いているグラスがないかと常に気を配らないといけない。あと支払いに、男性7000円、女性3000円などの傾斜をつけないといけない理由も理解できない。過去には楽しい合コンもありましたが、その確率を考えると、気の合う仲間とゲームでもやっている方がよほどコスパが良いというスタンスに至りました。




 




がつがつと出会いを求め、その場で品定めし合っているイメージが嫌。行ってから当たりだのハズレだのが判明するのも時間の無駄だと思うし、終わってから後悔するのも不毛。なので、「合コン」という冠ではなく、趣味のグルメが楽しめる時など、出会いとはまた別の参加理由がある場合だけ参加します。(後略)




 



私もじつはと言えば、原稿中では「先日、参加した合コンに〜」などと便宜上(やむを得ずw)「合コン」なる単語を多用しがちではあるものの、「合コン」はもはや不要と考える者の一人だったりする。より正確な表現をするならば、



 



「合コン的な行為ではなく『合コン』というワード自体がただよわせるフォーマルなイメージがもはや時代とマッチしていない」



 



……といったところだろう。



 



男女が混合する飲みや食事の席やイベントは、イマドキの若い世代のあいだでも頻繁に開催されているのは間違いない。ただ、そこに「合コン」の“名目”がくっついた途端、たちまち「男女の人数をピッタリ同数に合わせなきゃ…」「個室取らなきゃ…」「なにがなんでも参加メンバー内でカップルを成立させなきゃ…」「せめてLINE交換くらいはやらなきゃ…」「ワリカンにしたら女性側にセコいと嫌われそう…」「自己紹介タイムはお約束!」……あたりの義務感、縛りみたいなものが生じてしまう。



 



別に、男5人女2人の大バコ席でもかまわないじゃないか。カップルにならなくても友だちになれたら十分じゃないか。どうでもいい相手と無理やりLINE交換するのはかえって不自然じゃないか。ちゃんと働いている初対面の女性からは同額のお金を徴収しても問題ないじゃないか。その人の素性だって、興味がある相手にだけ直接こっそり聞けばそれで済むじゃないか──総じれば、「合コン」じゃなくて「飲み会」「食事会」「異業種交流会」「BBQパーティ」でいいじゃないか……ってことである(※「異業種交流会」は異なった意味で嫌だけど)。



 



「合コン」というワードがここまで一般化する少し前の1960年代ごろ、「合同ハイキング」(略して「合ハイ」!)なんて造語がちまたで短期間、流行した記憶がおぼろげにある。しかし、「出会いを求める男女が山や川の大自然に囲まれながら、健全に親交を温めるイベント」は次第に下火となり、いつの間にか「死語」の枠へと追いやられていった。



 



かつては一世を風靡した、あまりに秀逸すぎる造語「合コン」(正式名称「合同コンパ」)ではあるけれど、どんな言葉にも賞味期限ってやつは存在するわけで、そろそろ「長い間ご苦労さまでした」と、お役御免の引導を渡してあげる時期に差しかかっているのではなかろうか?


情報提供元: citrus
記事名:「 若者離れも当然!? 「合コン」は、もはや時代にマッチしないシステムとなり果てた