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「2019年はF1に乗らない」と宣言したフェルナンド・アロンソ(マクラーレン)は、皮肉にも、自分が乗ることのない2019年型F1マシンの開発に取り組んでいる。本来なら優勝を目指したり、表彰台を目指したり、10位以内で完走してポイント獲得を目指したりするはずのF1グランプリの現場で。
「(第12戦)ハンガリーGP以降は金曜日のセッションで、来年のクルマが正しい方向に向かっているかどうか確かめるためのテストをしている」
そう話したのは、第17戦日本GP(10月7日決勝)が行われた鈴鹿サーキット(三重県)でのことだった。日本GPを予選18番手、決勝14位で終えたアロンソはその週、WEC(世界耐久選手権)富士6時間レースに参戦するため、富士スピードウェイ(静岡県)に移動した。
その前に東京に立ち寄り、ファンイベントをこなしている。 10月11日木曜日に富士スピードウェイに移動した。「疲れてない?」と聞くと、「少し疲れている」と返してきた。「昨日は東京でトヨタのファンイベントがあったからね。今朝はここに来るために早起きをして、すでにピットストップの練習を済ませた。昨日と今日はとても忙しい。でも、クルマに乗り込むのは楽しみだよ」
■「今年のクルマが速くないことがわかった」
タフさを印象づけた。F1の話に戻る。なぜ、来年のクルマの開発を、本来なら予選や決勝に向けたセットアップ調整に使うはずの金曜日に行っているのだろうか。
「シーズンの早い段階で、今年のクルマが速くないことがわかったからだ。それを解決するには問題が大きすぎた。だから、チームは来年のクルマの開発に集中することに決めた。残りのレースはとても難しいだろう。今後も僕らはとてもスローだよ」
一見すると、マクラーレンはシーズンが終盤戦に入っても、空力パーツのアップデートを行っているように見える。だがそれらのパーツはアロンソに言わせれば「古い」パーツで、そのパーツのどこが問題かを確かめるためのテストを行っているのだという。2019年のマシン開発で今年のような間違いを犯さないために。
10月28日に決勝レースを迎える第19戦メキシコGPを含めて、F1はまだ3レース残っている。でもアロンソは、自分が運転するマクラーレンはスローだと断言した。本人がそう言っているのだから、好成績は期待薄だ。
「それでもドライバーズチャンピオンシップでは8位か9位にいるし(実際には第17戦日本GP終了時点で20人中の10位)。人々が思うほど、悪くはない。個人的には、ベストのレベルを保っていると思う」
腕が鈍ってきたから、「2019年はF1に乗らない」と宣言したわけではないのだ。
「F1で同じクルマに乗って誰かに負けるようなことがあれば、他のシリーズに移ろうなどと考えることはない。なぜなら、僕にはまだ改善すべきことがあるからだ。でも、いまのF1はそういう状況ではない」
自分はまだベストのレベルを保っているとの自負がある。でも、道具の差はいかんともしがたく、ベストを尽くしてもグリッド後方に沈み、入賞もままならない状況だ。そういう状況に嫌気が差し、「F1には乗らない」ことにしたのだろう。
■WECは“柔軟”に対応しなければならない
ドライバー人生の目標のひとつとしていたル・マン24時間レースの制覇は、今年、トヨタのマシンに乗って達成した。トヨタは直近では、2012年からWECの一戦に含まれるル・マン24時間に参戦している。アロンソは後からチームに合流した格好。ひとりが1台のマシンを専有するF1は自分好みのセッティングに仕上げられるが、WEC/ル・マンの場合はそうはいかない。3人のドライバーが交代で運転するからだ。
「例えば、あるドライバーにとって好みのセッティングがあったとしても、残りのふたりが満足するとは限らない。妥協が必要とされる場合がある。レースは長い(ル・マンなら24時間、富士なら6時間)ので、温度や路面状況の変化に柔軟に対応しなければならない。ドライビングスタイルにしてもそうだし、クルマもそうだ。そこがおもしろい」
アロンソはWECの特殊性をそう説いた。新入りとしてチームに合流したアロンソは、「オレはF1チャンピオンだぜ」「だから、オレのセッティングに合わせな」と肩で風を切るような態度でミーティングには臨まなかった。意見を求められると、彼の答えはいつも「オールオーケー」だった。
「本当に大丈夫なのか?」とエンジニアは心配になったというが、アロンソは安定して、速いタイムを叩き出した。残りのふたりが施したセッティングに、柔軟に対応したのだ。
「もしかして、今年の富士6時間が日本での最後のレースになる?」の質問に、アロンソはこう答えた。
「WECもF1もつづけられなくなったら、そうなるだろうね。でも、そうなるとは思っていない。僕はまた、日本に来てレースをすることになると思う」
速さは失っていないし、柔軟性も謙虚さも失っていないようだ。