海外モータースポーツへの本格参戦に際し、世界ラリー選手権(WRC)のフィールドを選択した富士重工業。独創的な技術で勝負する同社は、1992年になると新しいホモロゲーションモデルを市場に放った――。今回は新世代ハードトップセダンのインプレッサをベースに開発した「WRX」グレードの第1世代(1992~2000年)で一席。



 







【Vol.85 第1世代・スバル・インプレッサWRX】



 



富士重工業(現SUBARU)は軽自動車のヴィヴィオから小型車のレガシィへのスムーズな上級移行の形成を目指し、1992年10月に新しい中間車となる「インプレッサ(IMPREZA)」発表、翌11月に発売する。シリーズ展開はサッシュレス4ドアのセダン(GC型)およびスポーツセダンのWRX(GC8型)とコンパクトなラゲッジを備えたスポーツワゴン(GF型)で構成した。



 



 



■走りの性能を徹底的に磨いた最強スポーツセダンのWRX



 





WRXの第1世代は1992年に登場した。リアスポイラー、サイド&リアアンダースカート、大径フォグランプがシリーズ最強の存在感を主張する




シリーズの最強版で、かつWRCグループAのホモロゲーションモデルとなるWRXは、ロードカーバージョンのWRXとコンペティション仕様のWRXタイプRAを設定する。搭載エンジンには大容量高速型の水冷ターボチャージャーやダイレクトプッシュ式バルブ駆動、5ベアリングクランクシャフト、クローズドデッキシリンダーブロックなどを組み込んだオールアルミ合金製のEJ20型1994cc水平対向4気筒DOHC16Vインタークーラーターボを採用。パワー&トルクは240ps/31.0kg・mを発生した。組み合わせるトランスミッションには、油圧レリーズ式プルタイプのクラッチを導入したうえでギア比を最適化した5速MTをセット。駆動機構にはビスカスLSD付センターデフ式フルタイム4WDを採用し、リアにもビスカスLSDを装備する。フロントをL型ロワアームのストラット、リアをデュアルリンクのストラットで構成したサスペンションはアームやブッシュ類を強化するとともに、ダンパーおよびスプリングにハードタイプを装着。ボディは曲げとねじれともに剛性を引き上げ、同時にアルミ製フロントフードを導入するなどして効果的に軽量化を図った。ボディサイズは全長4340×全幅1690×全高1405mm/ホイールベース2520mmに設定する。制動機構にはフロントにローター厚24mm/制動有効半径228mmの2ポットベンチレーテッドディスクを、リアに同18mm/230mmのベンチレーテッドディスクをセット。専用の内外装パーツとしてリアスポイラーやサイド&リアアンダースカート、大径フォグランプ、205/55R15タイヤ+6JJ×15軽量アルミホイール、ナルディ製本革巻きステアリング&シフトノブ、バケットシートなども装備した。





富士重工業が大きな期待を込めて市場に送り出した新しい中間車の高性能グレードのWRX系は、走りを重視するスバリストたちから絶大な支持を集める。この勢いを維持しようと、開発陣は精力的にWRXの改良とラインアップの拡充を図っていく。1993年10月の一部改良(Bタイプ)ではスポーツワゴンにも高性能モデルのWRXグレードを設定。このときターボエンジンとATが組み合わされ、駆動機構にはVTD-4WDを採用した。



 



 



■STiバージョンの登場



 





WRX専用装備として、ナルディのステアリング&シフトノブ、バケットシートを用意




WRC制覇を目指した富士重工業の開発陣、さらに同社のモータースポーツ部門であるSTI(スバルテクニカインターナショナル)は、WRXの改良を矢継ぎ早に実施していく。まず1994年1月には、ハイパフォーマンスモデルの「WRX STi」がデビュー。EJ20ターボエンジンはファインチューニングが敢行され、鍛造ピストンや専用ECU、軽量化したハイドロリックラッシュアジャスター、インタークーラーウォータースプレイ&専用ノズルなどを採用した。さらに排気系にはSTi/フジツボ製のΦ101.6mm大径マフラーを組み込む。得られたパワー&トルクは250ps/31.5kg・m。加速性能とアクセルレスポンスも従来ユニットを大きく凌いだ。さらに1994年10月になるとインプレッサのマイナーチェンジ(Cタイプ)が実施され、セダンWRX系のEJ20ターボエンジンの最高出力は260psにまで引き上がる。また翌月には、競技用ベース車のWRX-RA STiが登場。専用タイプのECUにシリンダーヘッド、ナトリウム封入排気バルブおよび中空吸気バルブ、ダクト部強化型インタークーラーなどで武装し、ターボの過給圧も高めたEJ20ターボは、275psの強力パワーを発生した。





WRXの進化は、まだまだ続く。1995年8月にはWRX STiのバージョンⅡがデビュー。1996年9月になると“全性能モデルチェンジ”と称したインプレッサのビッグマイナーチェンジ(Dタイプ)が行われ、同時にWRX STiはバージョンⅢに発展した。全性能モデルチェンジを遂げたWRX系には、“BOXER MASTER-4”と名づけた新しいターボ付きEJ20型エンジンが搭載される。ターボチャージャーの大型化やインタークーラーのサイズアップおよびコアの水平置き化、新ピストンの採用、過給圧アップに対応したメタルガスケットの装着などを実施し、パワー&トルクはついに280ps/33.5kg・mに達した。また、WRX STiバージョンⅢは専用大容量タービンの採用や最大過給圧の引き上げなどによって最大トルクが35.0kg・mにアップ。足回りのセッティング変更も行い、操縦安定性を向上させた。さらに1997年9月には、一部改良を実施してEタイプに移行。WRX STiはバージョンⅣとなり、EJ20ターボエンジンの最大トルクは36.0kg・mにまで引き上がった。



 



 



■WRカーのロードバージョンを設定



 



400台限定、500万円で売り出された「22B-STi Version」はわずか2日で完売


WRCは1997年シーズンに従来のグループAからWRカーに移行する。このシーズン、マニュファクチャラーズチャンピオンに輝いたのは、インプレッサWRCで参戦したスバル・ワールドラリーチームだった。一方でスバリストたちからは、ちょっとした不満の声も聞かれた。インプレッサWRCと直結するロードバージョンがない――。その意見は、もちろん富士重工業およびSTIの耳に入っていた。最終的に富士重工業は、STI主導でインプレッサWRCのロードバージョンを開発する旨を決断。しかも、徹底して高性能化を図る方針を打ち出した。





まずボディに関しては、2ドアクーペ用をベースに大型のブリスターフェンダーを装備してワイド化を図る。組み付けには高田工業の協力を仰ぎ、同社のラインにおいて半ば手作業で溶接を行った。ボディカラーには、インプレッサWRC専用色のソニックブルーマイカを採用する。内包するインテリアでは、シートやドアトリムをボディ色とコーディネートしたブルー系で、インパネをインプレッサWRCと同イメージのマットブラックタイプでまとめた。搭載エンジンはEJ20系のボアを92.0→96.9mmに拡大したうえで、各部のセッティングを変更したEJ22改(2212cc水平対向4気筒DOHC16Vインタークーラーターボ)を採用する。パワー&トルクは280ps/37.0kg・mを発生。サスペンションには専用チューニングのビルシュタイン製倒立式ダンパーとアイバッハ製コイルスプリングをセットした。



 



インプレッサWRCのロードバージョンは、「22B-STi Version」のネーミングを冠して1998年3月に市場デビューを果たす。販売台数は400台限定。車両価格は500万円と高価だったが、その人気は凄まじく、わずか2日で完売した。



 



 



■モデル末期にSTIコンプリートカーのS201を発売



 



1998年9月にはマイナーチェンジが行われ、Fタイプへと切り替わる。搭載エンジンは新設計のシリンダーブロックおよびヘッドを採用した“BOXER PHASE Ⅱ”に換装。WRX系には新タイプの倒立式ストラットサスペンションをセットした。WRX STiはバージョンⅤへと進化。WRカータイプの大型リアスポイラーやスポーツABSなどを新規に設定した。さらに1999年9月になると、一部改良でGタイプに移行する。WRX系では空力特性の向上を狙った外装の仕様変更や新16インチアルミホイールの設定などを実施。バージョンⅥとなったWRX STiは、リアスポイラーの翼断面形状の刷新やリアクォーターガラスの薄板化による軽量化、クラッチスタートシステムの採用(MT車)などを行った。2000年4月にはGC8型インプレッサをベースにSTIがコンプリートで仕立てた「S201 STI version」が300台限定で発売される。搭載エンジンは専用スポーツECUを組み込むと同時に吸排気系を変更したEJ20ターボで、パワー&トルクは300ps/36.0kg・mを発生。専用装備として車高調整式強化サスペンションやリア・フルピローラテラルリンクおよびトレーリングリンク、フロントヘリカルLSD、エアロバンパー、ダブルウィングリアスポイラーなどを設定した。





2000年8月になるとインプレッサはついに全面改良を実施し、2代目となるGD/GG型系に移行する。じっくりと手間をかけて進化していった初代のGC/GF型系。とくにラリーのベース車となったGC8型のWRXシリーズは、1990年代の高性能スポーツセダンの代表格に昇華したのである。



 



 



■WRCにおいて3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得



 



インプレッサはWRCで快進撃を続け、グループAカーとWRカーの両カテゴリーでチャンピオンマシンに昇りつめた




最後に、第1世代のインプレッサWRXのWRCにおける戦績を紹介しよう。インプレッサWRXがWRCのグループAに参戦したのは、1993年8月開催の1000湖ラリーから。ここでA.バタネン選手がいきなり2位に入るという好成績を成し遂げる。1994年シーズンではC.マクレー選手とC.サインツ選手、R.バーンズ選手らがメインドライバーに起用され、シーズン3勝、マニュファクチャラーズ2位を達成した。そして1995年シーズンでは前年と同様にC.マクレー選手やC.サインツ選手、R.バーンズ選手らがステアリングを握り、シーズン5勝でマニュファクチャラーズタイトルを獲得。さらに、C.マクレー選手がドライバーズチャンピオンに輝いた。1996年シーズンになるとC.マクレー選手やK.エリクソン選手、P.リアッティ選手などを擁し、年間3勝をあげて2年連続のマニュファクチャラーズタイトルの栄冠に輝く。また、改造範囲を最小限に抑えたグループNでもインプレッサWRXは大活躍した。



 





1997年シーズンになると、トップカテゴリーはWRカーに移行する。この新舞台にスバル・ワールドラリーチームは、新開発のインプレッサWRCで参戦した。戦績は見事なもので、第1戦のモンテカルロでP.リアッティ選手が、第2戦のスウェディッシュでK.エリクソン選手が、第3戦のサファリでC.マクレー選手が、第6戦のツール・ド・コルスでC.マクレー選手が、第9戦のニュージーランドでK.エリクソン選手が、第12戦のサンレモと第13戦のオーストラリア、第14戦のRACでC.マクレー選手が優勝を果たし、年間8勝の好成績でマニュファクチャラーズチャンピオンに輝いた。ちなみに、スバル・ワールドラリーチームが同タイトルを獲得したのは、この年で3年連続。つまり、インプレッサはグループAカーとWRカーの両カテゴリーでチャンピオンマシンに昇りつめたのである。


情報提供元: citrus
記事名:「 【中年名車図鑑|第1世代・スバル・インプレッサWRX】スバリストたちに愛され、育てられた高性能スポーツセダン