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僕の悩みは、「親友と呼べる人がいない」「友だちとは何なのか」ということです。
(※後略)
【叶姉妹の回答】
美香さん:ちょうど良いお姉さん(=恭子さん)の格言があります。「友という存在。感じたことを素直に言ってくれる飾らなさと、自分の価値観を押し付けない態度を持って接してくれる存在が、私の考える友だちというものです。そして、たとえ会えなくても、いつもその愛あふれる心に支えられていると感じることはとても幸せなことです」
恭子さん:(ただし)その方によって「友」の考え方は違います。(この格言は、あくまで)私の考える、私の思う「友」ということ。だから、もっと表面的にもガヤガヤしたい方もいらっしゃるかもしれませんし、その方によって「友」という考えは、また違ってくると思うんですよね。
(最後に)恭子さん:「人は変わっていく」ということが、とても大事なポイントだと思うんですね。小学校5年生だからといって、ずっと成人になってからもお友だちでい(ら)れるかどうかっていうのは、その方の経験してきた変化だとかそういうことによっても変わるでしょうし、それ(=ずっと友だちでい続けること)を期待していることは、反対に難しいことだと思うんですね。
独特の言い回しが読解しづらい箇所もいくつかあるものの(笑)、相も変わらずの心に染み入る素晴らしい “名回答”ではないか。ここでも恭子さんは……じつに重要なことを、二つ語っている。
一つは、人によって「友」という概念は違ってくる……ということ。もう一つは、おたがいの「環境の変化」から、ずっと「友」という関係を維持するのはむずかしい……ということだ。
たとえば、この数年……私のことを「親友」と呼んでくださっている男性がいる。しかし、申し訳ないけれど、私はその男性のことを「親友」とは思ってはいない。単なる「仕事仲間の一人」でしかない。私は彼のことをほとんど知らないし(結婚しているかどうかすら知らない)、これ以上知りたいとも思わない。はたして、彼が私との接点のどこらへんにスポットを当てて「友」の頭に「親」を加えているのかサッパリわからないのだが、この妙な居心地の悪さこそが「友」という概念の相違から生じるチグハグさなんだろう。
もちろん、こういった歪(いびつ)な関係は “逆”──つまり、「私が親友だと思っているヒト」が「私を親友だとは思っていない」ケースも十分あり得るわけで、だから根が慎重な私は迂闊に “知人”のことを「親友」……どころか「友だち」認定すらできなかったりする。私に「コレコレこんなヤツがいる」みたいな話をする際、やたら「オレの親友なんだけど〜」と、まるで慣用句のごとく前置きしてしまうようなヒトとたまに出くわすが、私はそういう楽観的な感性の持ち主が心底からうらやましい。
では、あらためて。「親友」とは……一体どんな「友」のことを言うのだろう?
恭子さんもおっしゃっていたとおり、これもまたあくまで “自分の考え”だけによるものなんだが、私は、
「おたがいの環境の変化という困難を乗り越えてなお継続している、真に損得抜きで付き合える友人」
……のことを「親友」と呼びたい。そこまでの “境地”に達するまでには……最低でも10年以上の年月が必要であり、極論すれば、その揺るぎない関係は
「籍を入れない結婚」
……にも近いのではなかろうか。
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