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この谷中七福神巡りはJR田端駅から上野駅にかけて回るコースが紹介されていることが多いのですが、我が家はいつも上野の不忍弁天堂をスタートし、田端にある東覚寺を最終地点としています。
七福神巡りは御朱印集めも楽しみのひとつですが、「谷中七福神巡り」の御朱印がもらえるのは1月1日〜1月10日のみとなっているため、お気をつけください。
まず不忍弁天堂にてお参り後その期間だけ設けられた販売小屋にて御朱印を集める和紙を購入します。この和紙のタイプでは各寺院でスタンプをいくつか押していただきながら完成していきます。それ以外には御朱印帳に直筆で書いていただくという方法もあります。和紙タイプより少しお値段が高くなりますが、御朱印帳に毛筆で書いてくださるのを目の前で見させていただけるという、厳かな雰囲気と日本のお正月という特別な気分を味わえる貴重な体験になりますのでこちらの方法も大変おすすめです。
我が家では和紙タイプの完成品を1年間飾り、その年の開運と平和を願います。同じように、完成品を壁に飾りたいと思われる方には和紙タイプを推奨いたします。
御朱印の和紙と一緒にいただける七福神巡りのコース地図を見ながら次のお寺を目指します。
コースの所要時間と距離はおおよそ下記の通りです。
不忍弁天堂(弁才天)0.4km/ 7分 →護国院(大黒天)1.2km/ 20分 →長安寺(寿老人0.9km/ 15分 →天王寺(毘沙門天)0.3km/ 5分→修性院(布袋尊)0.9km/ 15分 →青雲寺(恵美寿神)0.2km/ 4分 →東覚寺(福禄寿)1.0km/ 17分
スムーズに行けた時の時間なので、道に迷ったり小さなお子さんがいたりなど状況が変わるともっと時間はかかるかと思います。でもできれば時間を気にせず歩く道のりも楽しんでくださいね。
室町時代に京都で始まり全国に広がったという七福神巡りですが、七つの難が消え去り七つの福が訪れる「七難即滅、七福即生」のご利益があると言われます。また、「七福神」が、現在のような形で定着したのは江戸時代中頃でした。宝船に乗った七福神が浮世絵に描かれたり、お正月には初詣としての七福神詣でが庶民の間で大人気となりました。さて、七福神って、どんな神様なのでしょう。
実は恵比寿神以外はインドや中国など海の向こうからやってきた神々なのです。
現在の七福神は毘沙門天 、大黒天、恵比寿神、福禄寿、弁才天、布袋尊、寿老人の七神とされています。まずはスタート地の上野にある寛永寺の弁才天から見ていきましょう。
https://news.mynavi.jp/article/20220608-2362535/
弁才天は芸術や音楽の神様で、琵琶や弦楽器を持っているのが特徴です。仏教に取り入れられ、 金運、財運、音楽、芸能、学問、縁結び(縁切りも含む)、出世、勝運のご利益 をもたらしてくれる福の神といわれています。また、 弁才天は七福神中、唯―の女神 で、ヒンドゥー教のサラスヴァティという神がモデルになっています。もとはインドの神様という訳ですね。
https://news.mynavi.jp/article/20210529-1880540/
さて、その弁才天が祀られている寛永寺・不忍池辯天堂は東京都台東区の上野恩賜公園にある不忍池の中島にあり、この配置がちょっと興味深いのです。
天海僧正(江戸時代の徳川家康の政治顧問)が、寛永年間(1624年〜1645年)に創建しました。日本三大弁才天である、竹生島宝厳寺を見立てたとされています。また、天海僧正は江戸城から見て鬼門である北東の方角にあたるこの上野の山に、方位学的な吉相を高めるという目的で東叡山寛永寺を配置しました。そして、神田神社(神田明神)を、現在の湯島の地に移して江戸城ー神田明神ー寛永寺が北東のラインの線上に並ぶようにしたのです。江戸城の鬼門封じとして徹底させたという訳です。
また、この寛永寺・不忍池辯天堂がある上野には東京藝術大学があり、美術館や博物館などもたくさん点在しています。まさに弁才天のご利益があり、常に守られていることを象徴しているかのようです。芸能関係の祈願にも大変に人気のある場所です。
さて、2番目に行くのは護国院です。ここに祀られている七福神の大黒天は五穀豊穣や財宝の神様で、特徴的なアイテムとしてはかまどや袋を持っています。財福や五穀豊穣や出世開運、縁結びなどのご利益がある神様といわれています。
インドの人の多くが信仰するヒンドゥー教で特に人気の高い破壊と再生の神 シヴァが大黒天の由来となる神様です。古代インドでは、シヴァ神の姿をかたどつた三面六腎(三つの顔で六つの腕)の像がマハーカーラとして祀られていましたが、マハーは「大きい」カーラは「黒い」ことを表すことから中国ではマハーカーラが「大黒」と訳され大黒天となったのです。中国に大黒天信仰が広められてからは穏やかな表情の仏に変わり、食物神としてひろく信仰されるようになっていきました。
また、その後中国から日本に入ってくる中で、戦の神様としてだけでなく、財をもたらすというご利益でも崇敬を集めるようになります。大黒天が本来は武芸の神であることから中国の大黒天は武装姿のものが多いのですが、日本に入ってきてからは平服姿で打ち出の小槌をもち、左肩に食べ物を入れた袋を背負ったものが多く見られます。また、仏教が広がる中で、神仏習合や神仏混淆という考え方が生まれてきます。それは日本古来の神道と仏教は、宗教は違えど同じ神様だという考え方です。そのため、縁結びや豊穣の神様として知られる、出雲の神である大国主命(オオクニヌシノミコト)を(音読みにすると「ダイコク」となる)同一視するようになるという経緯があります。
https://news.mynavi.jp/article/20210526-1883060/
天台宗の寺である護国院は、寛永7年(1630年)に天海僧正が寛永寺の釈迦堂として建立しました。創建当初は現在の東京国立博物館の右手奥に位置していましたが、宝永6年(1709年)に現在地に移転しています。3代将軍・徳川家光から鎌倉時代の画人・藤原信実(ふじわらののぶざね)筆と伝えられる大黒天の画像が奉納され、以後、護国院の大黒天として有名になりました。護国院での大黒天は、お正月だけでなく、通年通してお参りができます。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0516/
次に訪れるのは寿老人が祀られております長安寺です。ここに祀られている七福神の寿老人(じゅろうじん)は知恵や健康の神様で、不老不死の薬の効果のある薬が入ったひょうたんや杖、不老不死のシンボルとされる桃を持ち、長寿と自然愛を象徴する鹿を連れています。知恵授け・延命長寿・身体健全・富財・福徳円満・家庭円満・厄払いなどのご利益がある神様といわれています。
寿老人は中国出身の神様といわれ、その姿が水墨画に描かれていたのがきっかけで日本に知られるようになりました。寿老人のモデルとなった人が1,000歳や1,500歳だったといわれているため、長寿のご利益の神様といえますが、長寿であるということが、健康で過ごすことのできる期間と考え、厄払いや身体健全といった健康面でのご利益にもつながっていくため、長寿だけでなく、健康面に不安がある方が祈願されるのもおすすめな神様といえます。
また、寿老人には家庭円満や福徳円満といったご利益もあります。家族が長生きし、その人生の中で幸せを見つけていく。そのこと自体を家庭円満、福徳円満と考え感謝していくということは長寿だからこそ成し遂げられる幸福とも考えられます。寿老人の長寿がご利益ということから影響した、生きる上での幸せを考えさせられます。
https://shinto-bukkyo.net/bukkyo/%e5%af%bf%e8%80%81%e4%ba%ba/
このお寺の寿老人は、徳川家康が寄進と伝えられる等身大の寄木彫刻です。左脇には鹿を従え座っておられます。どうして鹿が一緒にいるのだろう?とお参りのたびに思っていましたが、中国の道教では鹿は神聖な生物とされていたからという説や藤原氏との関係など諸説紛々あるようです。
長安寺墓地には、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)の創立にも尽力した明治初期の日本画家である狩野芳崖(かのう ほうがい)と妻・ヨシの墓があります。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0514/
次は毘沙門天(びしゃもんてん)が祀られた天王寺です。武運や勝負運の神様といわれています。宝塔や槍を持っていることが多く、またそれ以外にも様々な特徴のあるものを身にそなえていることがあります。
毘沙門天はインドの神様です。古代インドの「クベーラ」という神様がもとになっており別名を「ヴァイシュラヴァナ」といいます。これを漢字にすると「毘沙羅門」となるため「毘沙門」と呼ばれるようになりました。
古代インドにおいて武人の神様でしたが、日本においては財福の神様や無病息災を願うという意味で毘沙門天を祀っている神社やお寺も多く、また四天王や十二天の一人としても数えられているため大変ご利益の多い神様です。
毘沙門天は像によっては数多くのアイテムを身につけたりしていることが多く、そのひとつひとつを調べてみると大変興味深く面白いことがわかります。
中でも毘沙門天が足の下で踏んでいる「邪鬼」には特に注目していただきたいと思います。
邪鬼の悪さをこらしめるために踏んでいると考えてしまいそうですが、実はこの邪鬼、私達の心の中にあると言われている煩悩なのです。煩悩は108あるといわれ、それらを退治してくれるために踏んでくれているのですね。また、毘沙門天は5千の数を超える夜叉(元来は人を食べる半神半鬼の鬼神。後に仏法の守護神となる)の長でもあり、人気の漫画やアニメを思い出させるような面白い話題が豊富です。虎やムカデを従えていることなどからは、今でも縁起の良い日とされている「虎の日」や金運にも繋がり、興味深い話が満載です。
https://shinto-bukkyo.net/bukkyo/%E5%A4%A9%E9%83%A8/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9/
東京都台東区の谷中墓地の一画にあり、鎌倉時代に開創された由緒あるお寺です。江戸時代に5代将軍徳川綱吉を大檀那として天台宗に改宗し、寺名も現在の天王寺になりました。目黒不動や湯島天神とともに富くじが行われた寺社として有名です。
毘沙門天は、このお寺の毘沙門堂に納められています。伝教大師自刻と伝わる木像です。このお堂は昭和32年にあった放火事件で焼け残った五重塔の木材を使って昭和36年に建てられました。
墓地には朝倉文夫(彫塑家)、牧野富太郎(植物学者)など著名人も多く眠っていらっしゃいます。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0885/
さあだいぶ歩きました。疲れてきたでしょうか。お次は布袋尊が祀られている修性院に行ってみましょう。布袋尊(ほていそん)は笑顔や幸福の神様と言われています。大きな袋や扇子を持っているのが特徴です。
布袋尊は中国に実際にいたお坊さんがモデルとなっています。七福神の中で唯一実在の人物がモデルとしてある神様なのです。
そのお坊さんはいつも笑顔を絶やさず、粗衣でいつも大きな袋を持ち、施しを受けたものを入れていたとか。死の間際に詠んだ詩から、弥勒菩薩の化身と言われるようになり中国では広く信仰されるようになりました。
ここでは布袋尊が多くの人に愛されることによってえられた縁や幸運を授かり、開運などのご利益としてつなげていきましょう。
https://shinto-bukkyo.net/bukkyo/%E5%B8%83%E8%A2%8B%E5%B0%8A/
このお寺にむかって歩いて行くと、ユニークな布袋尊が描かれた桜色の塀が見えてきます。このお寺はもともとは天正元年(1573年)に現在の練馬区の地に創建されましたが、寛文3年(1663年)に現在地に移転しました。修性院の布袋尊は、重量が200kgもあり、本堂に納められた巨大な布袋尊です。口を開いたお姿で笑っておられます。
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ここは修性院からすぐのところにあります。恵比寿神が祀られた青雲寺です。恵比寿神は釣り竿や鯛を持っています。ご利益は、主に大漁豊作、商売繁盛です。
恵比寿神は七福神の中でも唯一日本古来の神様となります。由来はいろいろありますが、大黒天と親子とされることもあり、一緒に祀られていることも多いようです。右手に釣り竿左手に大きな鯛を抱えて座り、片足の膝上に片方の足を乗せているお姿が多く見られます。お顔もいつも笑っておられるのも印象的です。
古事記や日本書紀などの歴史記録に出てこない神様ですが、商売繁盛の神様として親しまれてきました。
主に西の地域では「十日戎(とおかえびす)」という行事もあります。1月10日やその前後の9日、11日にえびす神社で行われるお祭のことで、福笹や熊手が売られるのだそうです。それを家に飾って商売繁盛を祈願します。
また、恵比寿神は鯛を釣り上げた姿をしていることから海や水に関する守り神でもあります。海上、漁業、貿易などでの安全、繁盛などの守り神として信仰されています。
https://shinto-bukkyo.net/shinto/kamisama/%E6%81%B5%E6%AF%94%E5%AF%BF%E6%A7%98/
江戸時代中期の宝暦年間(1751年〜1764年)に堀田正亮の中興(いったん衰えたものを再び盛んにすること)と伝えられています。堀田正亮の法号である青雲院殿をもとに浄居山青雲寺と称しています。
二度焼失しましたが、昭和35年(1960年)に現在の本堂を再建しました。その中に恵比寿天が祀られています。歌川広重の『名所江戸百景』に修性院とともに花見寺として描かれています。
境内には「南総里見八犬伝」の作者として有名な滝沢馬琴硯塚碑(1798年)や滝沢馬琴の筆塚碑(1809年)があります。滝沢馬琴が『南総里見八犬伝』に取り掛かかったのは文化11年(1814年)のため、それよりも前に石碑は建立されています。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0512/
さあ、最後のお寺になりました。ここも見どころがたくさんあるので、是非楽しんでくださいね。
東京都北区のJR田端駅近くにある東覚寺には、福禄寿(ふくろくじゅ)が祀られています。富や長寿の神様と言われ、杖や鶴を持っている事が多いとされています。
福禄寿はその名の通りのご利益があります。
この3つの願いは中国の道教の願いと一致しているため、福禄寿のルーツは道教にあると考えられます。
さて、福禄寿は、寿老人と同じく老人の姿のため、混同されがちです。
寿老人との違いとしてわかりやすいところでいうと、その持ち物にあります。寿老人は桃を持ち、鹿を一緒に従えていることが多いのですが、福禄寿は鶴や亀を連れていることが多いためそれらを目安にされるとよいかと思います。ただ、鹿と鶴が一緒に描かれている絵もあり、それくらい混同していることがあるため、アイテムに関してはあくまで目安としてお考え下さい。
その他にも「招徳人望」や「学業向上」のご利益もあるといわれています。結婚や就活、受験など良縁に恵まれますよう、御祈願ください。
https://shinto-bukkyo.net/bukkyo/%E7%A6%8F%E7%A6%84%E5%AF%BF/
室町中期、延徳3年(1491年)に創建された真言宗豊山派の古寺です。延徳3年(1491年)、神田に創建し、江戸時代初めに現在の地に移りました。
山門には一対の仁王像が立っており、「赤紙仁王」(石造金剛力士立像・北区指定有形民俗文化財)といいます。真っ赤なお札が全面にはられているお姿が圧巻です。自分の体の具合の悪いところと同じ仁王像の体の場所に赤紙を貼ると病が治ると言われています。赤紙は右の「阿」の像から貼り、次に左の「吽」の像を貼ります。
このお寺の福禄寿は、金襴の冠をかぶり杖と宝珠を持っていて、経巻を握っています。
本堂の裏にはお庭があり公開していることがあります。池には美しい立派な鯉も泳ぎ、神々の像が至る所にちりばめられて置かれています。小山には鳥居もありお参りができます。
https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0511/
2023年4月に谷中・上野桜木あたり内で新しくオープンした「Think」は、パンとお菓子を同時に販売するブーランジェリーパティスリーです。
趣のある古民家風建築の中はあたたかな光で満ちていて、感動的な空間が広がっています。パンやお菓子はすべて芸術品のように美しくしばし見惚れてしまうほど。素材と製法にこだわったそのお味はまた格別です。
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131105/13283557/
江戸末期の1864年に創業した千代紙やおもちゃ絵を取り扱ったお店です。
2024年の干支である辰年のポチ袋やえと飴やお正月のお箸など様々な商品が並べてありました。店内は江戸時代にもどったかのような和の雑貨でいっぱい!千代紙も1枚から選べるようになっており、どれを見てもときめきました。日本っていいなあと改めて思わされるお店です。
日本人のご夫婦によって、2008年にオーストラリア・メルボルンで生まれたカフェ・コンセプトストアです。キーワードは"Head, Hand, Heart(考える、創る、伝える)"。店内は心地よい空間が広がり、セレクトショップも展開されていました。店内は天井が高く、元々は倉庫だった場所をリノベーションしたのだそうです。外壁には「CIBI」のコバルトブルーのロゴが。外国のお客様も楽しそうにくつろがれていました。
https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131106/13213733/
七福神という言葉はよく知っていてもどんな神様なのかどんなご利益があるのかわからなかった神様もいたのではないでしょうか。調べてみると様々なご利益があることがわかり、興味深いですね。
煩悩や願望を意識し、自分を見つめ直しながら、今一番叶えたいことを考えてみませんか?日々の感謝の気持ちも忘れずに開運祈願に出かけましょう!一度に7人の神様からご利益がいただけるというなんともありがたい七福神巡りは初詣に最適!是非ともお友達やご家族を誘って行ってみてくださいね。
出典・参考
- 谷中七福神巡りパンフレット
余暇プランナー
アイデアや感動に出会いたくて、東京の街をテクテクわくわく巡っております。 運を味方につけて願いを叶えたい!そんな想いから良縁やご利益を授かることができるパワースポットに興味をもちはじめました。大好きな富士塚には、富士山パワーを秘めた神秘的世界と人々の願いがこんな形になったなんて!というおもしろさを感じています。 知れば知るほど興味深いパワースポットの魅力をお伝えしていきます。
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