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晴明神社は、平安時代に活躍した 陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明(あべのせいめい) がご祭神です。晴明が亡くなった2年後の寛弘4年(1007年)晴明屋敷跡に社殿が設けられました。
当時の晴明神社は今よりも数倍の広さがありましたが、応仁の乱や豊臣秀吉による都市改革、たびたび起こった戦により次第に規模が縮小し、社殿も荒れ放題という時期があったそうです。
近代になって氏子による境内整備が行われ、メディアの影響が大きくなった近年には全国にその名が知られるようになりました。
陰陽師の仕事を簡単にいうと、 暦を作り、吉凶を占うこと です。陰陽師たちは毎夜詳しく天体観測を行い、それに基づき、陰陽道という学問を基礎とした占いやお祓いを行っていました。
陰陽師には、陰陽寮という朝廷の役所に勤める国家公務員のような立場の人と、国に属さない陰陽師が存在していました。安倍晴明は陰陽寮に勤める陰陽師で、天皇の側近として仕えながら貴族からの依頼などにも応じていたと伝わっています。
晴明神社の位置、つまり晴明の屋敷は平安時代の御所から見て東北の鬼門(きもん:災いや鬼はこの方角からやってくると考えられている)にあることからも、 御所・天皇を守る陰陽師として高い信頼を受けていた ことがわかります。
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安倍晴明が生まれたのは、延喜21年(921年)のことです。出自について詳しいことはわかっていませんが、一般には摂津国(せっつのくに)阿倍野が出身地といわれています。父親は安倍益材(あべのはるき)とされていますが、 母親は「葛葉(くずは)」という妖狐 だという伝説があります。
晴明は幼いころから凄まじい見鬼の才(けんきのさい:霊やあやかしを見る能力)があったそうで、当時の京で陰陽師のトップといわれた賀茂忠行・保憲(かものただゆき・やすのり)父子に弟子入りし、厳しい修行を積みました。
晴明が歴史上に登場するのは彼が40歳のころと少し遅咲きでしたが、晴明についての伝説はとてもたくさん残っています。
少年だったころの晴明が、師匠の賀茂忠行のお供をして京の町を歩いていたある夜のこと。向こうから 百鬼夜行(鬼やあやかしが集団で歩き回ること) がやってきました。晴明が忠行に報告すると、忠行は鬼から自分たちの姿が見えないような術をかけたため、晴明たちは無事に通り過ぎることができました。
晴明の有能さが知れ渡った時期のお話です。晴明が仁和寺を訪れていた時のこと、たまたま同席していた公家たちが晴明に人を殺すことができるか尋ねました。
晴明は「人を殺すことも、虫を殺すこともできますが、生き返る術はできないので、無駄な殺生はしたくない」と拒否しましたが、そこで公家たちは庭にいたカエルを殺すように命じました。そこで晴明は仕方なく術をかけます。
カエルに葉を乗せ呪文を唱えると、カエルはその葉に押しつぶされて死んでしまったといいます。それを見た公家たちは、晴明の恐ろしい力に震え上がったそうです。
晴明は藤原道長にも頼りにされていた陰陽師で、道長が呪いをかけられていることを見抜き、見事にその呪いを払ったこともあるそうです。呪いをかけたのは、晴明のライバルであった 民間の陰陽師・蘆屋道満(あしやどうまん) だといわれています。
野村萬斎さんが晴明を演じた映画『陰陽師』では、道満を真田広之さんが演じていました。
晴明神社は境内全体にパワーがあふれていますが、特別にパワーを感じることができる場所がいくつかあります。境内の見どころと共におすすめのパワースポットを紹介します。
堀川通りに面した一の鳥居は石造りで、額には 金色の晴明桔梗:五芒星(ごぼうせい) が掲げられています。一般的に鳥居には、神社名やご祭神の名が記されていることが多いのですが、晴明神社の一の鳥居は全国でも珍しく社紋の扁額(へんがく)となっています。
一の鳥居をくぐるとすぐ左にあるのが旧一条戻橋(いちじょうもどりばし)です。一条戻橋は、堀川通りにかかる橋ですが、現在の橋は平成7年(1995年)にかけ替えられたため、先代の橋に使用されていた欄干を使用して戻橋が境内に再現されました。戻橋の側に座っているのは、晴明が使役していたとされる 式神像 です。
京都では、今も「戻る」ことを嫌って嫁入りやお葬式の際には一条戻橋を渡らないという慣習が残っています。
二の鳥居の手前の参道に立っているのが日月柱(にちげつちゅう)です。柱の上には南が「日」、北は「月」が配置され陰陽を表しています。
二の鳥居をくぐってすぐあるのが四神門(しじんもん)で、 晴明が住んでいたころ、来客があるとこの四神門がひとりでに開き、客が帰るとひとりでに閉まったそうです。 石柱の上には、四方の守り神である四神が掲げられています。
四神…青龍(せいりゅう:東)/朱雀(すざく:南)/白虎(びゃっこ:西)/玄武(げんぶ:北)
四神門の右手には、晴明が念力によって湧き出させたという晴明井(せいめいい)があります。 病気平癒のご利益 があるとされ、今も飲み水として利用できます。水が湧き出るところはその年の恵方を向いていて、毎年立春に向きが変えられています。
晴明神社の一番奥に鎮座しているのが安倍晴明がお祀りされている本殿で、もちろん最もパワーのあるところです。現在の本殿は、明治38年(1905年)に再建されたもので、手前には夜空を観測している晴明の像、本殿の南側には 晴明の伝説を紹介した顕彰板、晴明桔梗のモチーフでもある桔梗が咲く(6月中旬~9月中旬ごろ)桔梗苑 があります。
本殿の手前右には、厄除桃があります。陰陽道では 桃は魔除け・厄除けの果物 とされています。この厄除桃をなでれば厄が去り、すっきりと清々しい心持ちになれるでしょう。
また、厄除桃の隣には、樹齢300年のご神木である楠があります。 こちらのご神木は触れることができる ので、ぜひ両手をあてて樹のパワーを感じてください。
境内には、晴明桔梗とも呼ばれる五芒星がたくさん見られます。 陰陽道において五芒星は、最強の魔除けのしるしとされています。境内にある五芒星を探してぜひそのパワーをいただいてください。
京都ナンバーの車には、よく五芒星のシールが貼ってあります。その正体は晴明神社の魔除けステッカーです。この魔除けステッカー、京都では城南宮の交通安全お札と共に2大交通安全お守りといわれています。
簡単にできる魔除けなので、とってもおすすめですよ。
晴明神社近くにあるとっておきの町屋カフェを紹介します。静かでとてもいい雰囲気のお店なので、お帰りの際にでも立ち寄ってみてください。
町屋紅茶館 卯晴は路地裏の町屋を改装した可愛らしいカフェで、こだわりの紅茶が揃っています。料理は自然食材・無農薬にこだわった体に優しいメニューがたくさん!
町屋の雰囲気を生かした素敵な癒し空間がうれしいお店です。
参考・出典
- 京都の寺社505を歩く上巻 槙野修著 山折哲雄監修 PHP研究所 2007年
- 重ね地図で読み解く京都の「魔界」 小松和彦監修 宝島 2019年
- 京都・異界をたずねて 蔵田敏明 淡交社 2012年
余暇プランナー
京都の歴史や文化、町並みをこよなく愛する副業ライターです。 普段は夫と共に弁当宅配店を運営し、お勤めの方にランチをお届けしています。 趣味は読書、映画鑑賞、御朱印集めです。 京都在住と歴史(特に幕末・新選組)好きという強みを生かして、ひと味違った京都の表情や素敵なスポットの情報をお届けしたいと思っています。 ちなみに京都検定2級取得済み、難関の1級はまだまだ先になりそうです。
【京都】晴明神社の五芒星パワーがすごい!陰陽師・安倍晴明がお祀りされているパワースポットをご紹介