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JR大和郡山駅から歩いて5分、近鉄からも10分で行けます。 創建はおよそ1300年前 、孝謙天皇の天平勝宝元年で、疫病が流行する中、境内には薬草が植えられ、東大寺造営時には遷座するご祭神を一時的に預かり、また職人や工人らの宿場になったといいます。古事記、日本書紀に次ぐ古文書の代表、 続日本紀 にその名が記されています。
神門を入ると左側に薬草見本園として名残が残っています。
拝殿の前では狛犬が迎えてくれますが、元明元年(1781)と銘が入っています。聞くと江戸時代作のこれは日本で 2番目に古い狛犬 らしいです。
本殿は大きくはありませんが檜皮葺きの春日造で、桃山時代建立、 奈良県の重要文化財 になっています。
入り口の神門も同時期に建てられていますが、じつは屋根だけはよく見ると 瓦ではなくチタン製 です。チタンという金属はまだ発見されてから年数が経っていませんが、腐食に強く屋根に使っても半永久的に耐久性があり、強いて年数をいうと2000年〜3000年になります。そのためチタンは材料がかなり高額です。
しかも本葺き型という、見た目はいいのですがもっとも高額で手間がかかる工法で、さらに数年前に建て替えたという 手水舎の屋根もチタン になっていました。
こちらの宮司さんは高齢の女性ですが、この先神社の運営は大変だからというので、建物の維持になるべくお金がかからないよう、お金がある今のうちに手を打ったとのこと、大変な見識です。
手水舎の柱は欅で、垂木は扇垂木という特殊で手間のかかるものになっています。小さい建物とはいえ、観光大寺院でもあまり採用できないことです。
https://www.yk-kankou.jp/spotDetail10.html
源九郎稲荷神社は薬園八幡神社から歩いてもすぐ、少し近鉄側にあります。
境内は広いとはいえません。鳥居も大げさではないし、これといった立派な社殿もありません。しかし、質のいい稲荷神社に特有の、 狐さんの雰囲気 があります。これはうまく表現できませんが動物園の逆バージョンみたいなイメージで、境内に入ってきた人間が数匹の狐さんに観察されているような感じです。
歌舞伎の演目に、「 義経千本桜 」というのがあります。これに源九郎狐が登場します。
源九郎稲荷神社の名前の由来は、「源九郎判官義経」が自分の名前を贈ったことによります。というのも、ここの お稲荷さんに義経はピンチを何度か救われた から、ということになっています。
「義経千本桜」では、義経の兄、源頼朝の追っ手から逃れて吉野山に隠れる際、同行していた静御前は女人禁制のため山を下りるのですが、その際に狐が家来の佐藤忠信に化けて静御前のお供を務めた、という話です。
ご祭神は宇迦之御魂神(保食神)、源九郎稲荷大明神。
ご利益は家内安全、商売繁盛、開運招福です。この小さな神社がこれほどの強いパワーを持つのが、源義経と関係があるからなのかはわかりません。
https://gennkurouinari.jimdofree.com/
奈良県は大和の国と呼ばれ、古代は日本国の中心地であったことはいうまでもありません。大和郡山市には筒井順慶が築城した郡山城があります。大和の国は戦国時代は筒井順慶と松永久秀が争いましたが、 今ではどちらも「天晴」と称えられています 。松永久秀は戦国武将としては勇猛でしたが東大寺を焼き討ちするなど蛮行も目立ちました。
戦国、室町、鎌倉、平安、奈良、古代へ、このエリアは 時代を遡る ことができます。穴場で小規模なスポットですが神様の霊力は強い2つの神社がすぐ近くにあり、このあたりはなぜか何度も行きたくなる、不思議な磁場のような力があります。
余暇プランナー
仏像と歴史好きな、社寺建築の仕事をしていたおじさんです。全国の社寺、仏像を見て回り、古代から戦国の時代を空想しています。 空想しすぎて小説を書き、文学賞もらっちゃいました。旅ライターと小説家の2刀流おじさんです。
【奈良】大和郡山の超穴場!すぐ近くの2スポット 薬園八幡神社&源九郎稲荷神社