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蘆山寺(ろざんじ)は正式には 廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ) と言います。創建は天慶年中(938~947年)平安時代の中頃で、比叡山天台宗の座主(ざす:天台宗最高の位)であった 元三大師良源(がんさんだいしりょうげん) が開祖です。
はじめは現在地より北西にある船岡山(ふなおかやま)の南に建てられたのですが、室町時代の応仁の乱(おうにんのらん)で焼失した後、豊臣秀吉の京都大整備の一環で今の場所に移されました。
京都御所のほど近くということもあり、蘆山寺は皇室とのゆかりも深く、江戸時代に起きた天明の大火で失われたお堂の復興を光格天皇が援助したという話も残っています。
蘆山寺のご本尊は阿弥陀如来、脇侍(わきじ:如来の側に仕えている仏)は勢至菩薩(せいしぼさつ)と観音菩薩(かんのんぼさつ)です。
阿弥陀如来像は、臨終を間近にした人を迎えに行く前の姿とされています。一般的には結跏趺坐(けっかふざ:あぐらのような座り方)が多い菩薩ですが、 こちらの両菩薩は珍しく正座をしていて、衣が後ろになびいているなどとてもスピード感のある姿が特徴的です。
最古の長編物語を書いた 紫式部は、現在の蘆山寺がある場所に住んでいた そうです。紫式部の父親がこの地に邸宅を建て、紫式部はその屋敷で育ち、娘の賢子(けんし)を産み育て、59歳頃に亡くなるまで住んでいたと伝わっています。
『源氏物語』のほか、『紫式部日記』などの執筆をしたのもこの地でした。そのため、蘆山寺は世界文学発祥の地と言われていますが、実は蘆山寺が紫式部邸跡だと分かったのは案外最近です。
考古学者の角田文衛(つのだぶんえい)氏が、「蘆山寺が紫式部邸跡である」と考証されたのは、昭和40年(1965)のことでした。その後、境内の「源氏の庭」に「紫式部邸跡」と刻まれた顕彰碑(けんしょうひ)が建てられました。
では蘆山寺境内と見どころを紹介しましょう。
蘆山寺の山門をくぐると真っすぐ奥には、元三大師堂が見えます。通常は非公開ですが、毎月3日の護摩修法時には誰でも参拝できます。
元三大師堂の南を見ると、「入口」と書かれた看板があります。その奥に目をやると紫式部歌碑が見えてきます。この歌碑には、紫式部と娘の賢子:大弐三位(だいにさんみ)の歌が刻まれています。
少し読みにくいのですが、紫式部の歌は次のように書かれています。
「めぐりあひて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月影」
意味は、
「(紫式部が幼馴染に)偶然出会ったのに、ゆっくりと会話をすることもなく雲隠れする月のように、すぐに姿を消してしまうのね」
という感じです。「久しぶりに会ったのに、もう帰るの?もっとおしゃべりしたいのに」と少し寂しがっている紫式部の気持ちが詠まれています。
和歌として詠むと堅苦しいですが、意味を考えてみると、私たちとそう変わらない気持ちを持っているのだなと少し親しみを感じますね。
紫式部歌碑に向かって左手には、本堂があります。ご本尊が安置された部屋の前には「源氏庭(げんじにわ)」が!
決して広くはありませんが、6月頃から9月頃まで桔梗が美しく清楚に咲きそろう素敵な景色を見ることができます。とても静かでじっと座っていると心がホッとするような、いつまでも見ていたいようなお庭です。
通常は非公開ですが、蘆山寺には明智光秀が常に持っていたという仏像があります。大河ドラマ「麒麟(きりん)が来る」が放映されていた時には特別公開が行われていました。
光秀が身に付けていたというだけに、とても小さな仏様ですが、歴史の重さを感じる姿です。
蘆山寺では、秀吉は京の都を守るために築いた堤防 「御土居(おどい)」 の跡を見ることもできます。
「御土居」は、長さが約22.5kmあり、京を中心部を囲うように作られていた土の巨大な堤防です。現在では北野天満宮ほか数か所のみでその一部が残っている程度となっています。
角大師(つのだいし)とは、鬼の姿になった元三大師のことです。これは元三大師良源のある伝説が由来となっています。
世の中に疫病が流行ったある時、疫病神が良源を襲おうとしました。強い霊力を持っていた良源は、試しに小指の先に疫病神を宿したところ、全身に激痛が走り高熱を出します。
そこで疫病神を除こうとした良源は、まるで骨ばかりの疫病神のような鬼の姿になりました。その姿を護符に写し取らせたものをお守りにしたところ、疫病から逃れられたため、多くの信者が護符を求めにやってきたそうです。
この護符は疫病だけでなく、一切の災い(わざわい)から守ってくれました。以来良源は角大師とも呼ばれるようになり、篤い信仰を受けるようになりました。
角大師の護符は、今でも蘆山寺で授与されていますので、ご参拝の際には、ぜひお受けしてくださいね。
蘆山寺の節分会は京都最古とされ、 鬼法楽(おにほうらく)通称鬼踊り と呼ばれています。
鬼法楽も角大師良源の、ある伝説が由来です。
良源が300日の護摩修法に入っていたある日、3匹の鬼が邪魔をしにやってきました。そこで良源は、護摩の宝力そして、独鈷(とっこ)と三鈷(さんこ)という法器で鬼たちを退治し、修行を続けた ということです。
節分当日、松明(たいまつ)と宝剣を持った赤鬼と大斧(おおおの)を持った青鬼、そして大槌(おおつち)を持った黒尾にが大師堂に作られた特設の舞台に現れ、踊りながら堂内へ入ります。
堂内では厄除け開運の護摩修法が行われていますが、鬼たちが踊りながら邪魔をします。しかし、護摩修法の力や追儺師(ついなし:鬼を払う役)や福娘が捲く蓬莱豆(ほうらいまめ)などにより退治され逃げていきます。
その後は、蓬莱豆の豆まきや、鬼のお加持(かじ)などが行われるなど、一日中楽しめます。
https://www.youtube.com/embed/tqco94bn7_U?si=bvONOMVPXFuNovZ5
鬼法楽当日は、この日限りの特別公開として、元三大師良源が使用したと伝わる独鈷と三鈷、降魔面(ごうまめん)も特別開帳もされます。
https://www7a.biglobe.ne.jp/~rozanji/index.html
https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d3267.285689939961!2d135.7653468742142!3d35.02458216576854!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x60010866d3100001%3A0x8be745a5f113264a!2z5bus5bGx5a-6!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1701504156110!5m2!1sja!2sjp
普段はとても静かな蘆山寺も、節分の日だけはとてもにぎやかになります。蘆山寺周辺には京都御所もありますので、鬼踊りを楽しんだ後はゆっくりと御所散策もおすすめです。
底冷えの厳しい寒さの京都の2月ですが、歴史ある楽しい行事は目白押し!しっかりと防寒対策をしたうえで、ぜひ京都の冬をお楽しみください。
出典・参考
- 京都に乾杯 スポット情報蘆山寺
- 蘆山寺リーフレット
- 「京都の寺社505を歩く上巻」 槙野修著 山折哲雄監修 PHP研究所 2007年
余暇プランナー
京都の歴史や文化、町並みをこよなく愛する副業ライターです。 普段は夫と共に弁当宅配店を運営し、お勤めの方にランチをお届けしています。 趣味は読書、映画鑑賞、御朱印集めです。 京都在住と歴史(特に幕末・新選組)好きという強みを生かして、ひと味違った京都の表情や素敵なスポットの情報をお届けしたいと思っています。 ちなみに京都検定2級取得済み、難関の1級はまだまだ先になりそうです。
【京都】紫式部ゆかりの蘆山寺(ろざんじ)は知る人ぞ知る最強の疫病・魔除けスポット!