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江戸時代に大流行した富士塚というものがありました。あの美しい富士山に登りたい。富士山のパワーにあやかりたい!そんな思いはあっても体力的にも経済的にも難しく、誰彼もとは登れませんでした。また、 死に装束で登るとか女人は禁止 とか、修行の場でもあり、かなり本格的な登山だったのですね。
それならば、 いつでも登って拝めてご利益がいただけるものを近くに作っちゃおう という発想がうまれ、大ブームとなったのです。死ぬか生きるかだったのが、なんともちゃっかりな発想に転換したようにも思えて、おもしろいなあと思ってしまうのですが、その 富士塚が都内にまだまだ現存している ときいて、パワースポット大好き!とばかりにめぐっております。
目黒区には江戸時代にかなりりっぱな富士塚があったようで、歌川広重の浮世絵にもしっかりその姿がのこされております。
現在はその かつて存在していた場所を「目黒元富士塚」「目黒新富士塚」としていて 、山のような形は確認できないのですが、パワーは残されているのではないかと訪れました。
目黒元富士塚にその当時あった石碑などは氷川神社に移動され、目黒新富士塚にあった石碑などはもともとここだったという現在の場所に設置されているようです。
まずはその氷川神社に行ってみたいと思います。
池尻大橋駅から外に出ると目の前には高速道路があり、そのせいで町が少し暗く感じるほど。ここは大都会なのだなあと改めて感じさせます。その道と並行するように氷川神社はありました。
この神社の祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)を主神とし、天照大神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)を合祀しているとのこと。
この氷川神社の境内には神社が3つあります。
です。
「稲荷神社」の創建は定かではなく、御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。 農耕・産業全般の神様です。昔この場所を稲荷山と呼ぶことがあったことから、氷川神社よりも古い創建ではないかと言われているそうです。
「北野神社」の御祭神は菅原道真。学問の神様です。およそ1700年頃の創建で、土の中から菅原道真公の像を発見したことから鎮守と崇め北野神社を創建したと言われています。鎮座地は中目黒駅近くでしたが、明治41年に合祀されました。
「浅間神社」の御祭神は木花咲耶姫。鎮火・安産の神様です。
江戸時代に全国各地で富士山信仰が盛んになったことで作られた富士塚に伴い浅間神社がお祀りされました。目黒には二つの富士塚跡が残されていますが、こちらは上目黒一丁目の目切坂にあった元富士を、明治11年氷川神社に末社として遷したものです。
ここには丸旦講によって造られた「目黒元富士」の石碑があります。
「目黒元富士」は別名「西富士」、「丸旦山」とも。丸旦山というのは目黒村の富士講のマークが丸に旦の字であったことからきています。石が富士山のかたちみたいになっていますね!
この氷川神社では、今まで他の場所でみてきた富士塚のような、ボク石で造られたものは無く、登山道を作って、もとの富士塚を再現している場所があります。 毎年7月1日の山開きの日には、氏子崇敬者と共にこの登山道を登り、浅間神社例大祭が催される のだそうです。
富士塚が実際にあった、元富士と新富士ですが、江戸時代の切り絵図をみたら、当時は富士塚のすぐ近くに「三田用水」という水が流れていたことがわかりました。現在も流れている目黒川も少し離れたところにあります。富士塚は登拝の際みそぎをするため、 川の近くに作られている場合が多い という情報も以前から聞いていたので、気を付けて調べてみると、現在はなくても江戸時代にはすぐ近くに川があったことなどが当時の地図でしっかり確認できることがあり、面白いなあと感じます。
こちらの三田用水に関しましては、かつて、目黒の農業用水として東京都世田谷区北沢から上目黒、中目黒、下目黒、三田の4カ村の田んぼを潤したというもので、 300年近くも、区内を流れ続け、目黒地域の開発に大いに役立った ようです。しかし昭和49年廃止されています
さて、まずは目黒元富士があった場所に行ってみたいと思います!
この坂道を登っていきます。
一番上の登り切ったところになにかあるかなあ。いやあしかし、坂道の勾配が結構きつくて息が上がりました。
この富士塚はこの場所に文化9年(1812年)に造られました。高さは12mだったそうです。明治11年にお宮や鳥居が撤去され、丸旦マークの碑石は氷川神社にうつされました。先ほどの氷川神社にあったものですね。
さて、もう一つの目黒新富士跡にも行ってみたいと思います。
こちらの富士塚は文政2年(1819年)に近藤重蔵という人が邸内に築いたのだそうです。近藤さんは択捉島(えとろふ島)探検で知られる方。この富士塚は近藤富士とも呼ばれていたようです。
近藤さんは邸内に三田用水を引き込んで滝も造ったのだとか。すごいですね。
富士の築山も 信仰心からではなくて鑑賞のためではないか ということを目黒区のサイトから情報いただきました。
この別所坂から上って行ったところが新富士の跡地でした。
それより上に行きましたところ「庚申塚」が。ここでは 豊作、長寿、家内安全を祈るとともに親睦や農作業の情報交換の場ともなり盛んに集まりの場が持たれた のだそうです。
また、気になる看板をみつけました。 発掘された祠と大日如来のこと が書かれています。
「めぐろ歴史資料館」にいくとその全貌を見せてくれるようです。
そこがここ、めぐろ歴史資料館です。
旧目黒二中が2008年に改装されて資料館になったそうです。
旧石器時代から現代の暮らしまでの展示があり、平日は小学生の社会科見学でも賑わっているとか。
富士山が修行の場であったころ、室町時代にいた多くの行者の一人であった「長谷川角行」は、富士山の麓にあった人穴という洞窟にこもり伝説の荒行を積みました。その洞窟を通称「御胎内」と呼びましたが、くぐりぬけることで、 新しい自分に生まれ変わるという意味 がありました。
富士塚をよりリアルにするために富士山と同じく富士塚にも御胎内をつくったところも多く見受けられます。しかし、穴の入り口を表現しただけのものも多かったのです。目黒新富士があった場所でみつかった洞穴は、まるでエジプト王の墓をおもわせるような、下へ階段が続いているつくりになっていました。
地下4mのところで平成3年(1991年)に見つかり、 調査時に遺跡全体を樹脂で型どりし、再生 したそうです。
発掘時、全長6mの横穴の側面にはたくさんの文字らしきものや印がのこされ、また、溶岩の塊や鬼瓦、硯、徳利等が乱雑に転がっていたとか。また、横穴奥の祠直下の床下からは、 水平に埋葬された「大日如来石像」が発見されました。 石像は高さ約60cm。その体の至る所に、金箔が鮮やかに残っていたそうです。
この目黒新富士の御胎内については、 今 もなおたくさんの謎がある といわれています。大日如来石像がどうして寝かされて埋まっていたのかとか、壁画にかかれた文字や絵?などがなにをあらわしているのかとか・・・とてもミステリアスでわくわくしてしまいますね。謎なままであってもこの場所にパワーがあることだけは変わらない!と感じます。
今回お邪魔しました氷川神社の目の前に、高速道路がありましたが、よくみると高速道路とはちがう、なにか巨大なものが見えまして・・・あれはなんだろう?と調べてみたところ、 目黒天空庭園という場所 があることを知りました。
首都高3号渋谷線(地上約35m)と首都高中央環状線(地下約35m)は約70mの高低差があるのですが、これを結ぶため2回転のループ形状で建設されたのが大橋ジャンクションです。ジャンクションの建設にあたり、周辺地域の環境対策として屋上及び壁面緑化事業を行うとともに誰もが利用できる憩いの場を作ろうと考えられ、この公園が誕生しました。目黒区が首都高速道路(株)から道路占用使用許可を受け、都市公園法に基づく立体都市公園として、約7,000㎡の都市緑地を整備したのだそうです。
公園の中にもお邪魔しましたが、草花には名前札が細かくついていて様々な植物が植えられていました。
開園時間も定まっており、禁煙や犬の散歩の登録制などみんなが気持ちよく利用できるルールがきちんとできていると感じました。ここで食事をされたり、宿題をしていると思われるお子さんもお見かけしました。気候のいい時など、適度に日陰もありとてもいい感じです。
パンフレットの地図を拡大してみたのですが、富士山がこんなふうにきれいに見える場所があるのだとか!
それならなんだかここ、富士塚みたいじゃないですか?
これは、江戸時代に造った高台よりも更に高いところから富士山をみれる現代の富士塚だ!そんな風に考えたらこの目黒天空庭園も立派なパワースポットだ!と感じました。
https://www.city.meguro.tokyo.jp/douro/shisetsu/sports/tenku.html
日本初にできたロースタリー店舗で世界では5番目だとか。いつ見ても他のスターバックスとは違う威厳のようなものを感じるのは隈研吾氏設計だからでしょうか。外観も店内も圧倒的な存在感です。3階まであり、本格的なカクテルやコールドブリューを楽しめます。
https://www.starbucks.co.jp/reserve/roastery/
目黒といえば大人のための都会というイメージでしたが、当然ながら歴史ある神社仏閣は存在し、興味深いことをまた知ることができました。
科学的な技術もなにも無く娯楽も今よりずっと少ない人々の暮らしの中では、パワースポットという存在はむしろ今より強く求められ信じられていたのではないでしょうか。富士山信仰やそれにともなう富士塚への思いというのも、想像以上の存在だったのではと考えられます。
また、人間という存在がもっと自然や宇宙に近かったのではないかと考えると、そのパワーを引き寄せる力も今よりもっと強かったようにも思え、興味深いものを感じます。
パワースポットを訪れましたら当時の人々の思いもちょっと想像してみませんか。
より多くの「パワー」を感じられるかもしれません。
出典・参考
- 目黒天空庭園パンフレット
- 現地看板
余暇プランナー
アイデアや感動に出会いたくて、東京の街をテクテクわくわく巡っております。 運を味方につけて願いを叶えたい!そんな想いから良縁やご利益を授かることができるパワースポットに興味をもちはじめました。大好きな富士塚には、富士山パワーを秘めた神秘的世界と人々の願いがこんな形になったなんて!というおもしろさを感じています。 知れば知るほど興味深いパワースポットの魅力をお伝えしていきます。
【目黒富士と目黒天空庭園】3つの氷川神社と過去と現在の富士塚|基本情報