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浅間神社 とは「 あさまじんじゃ 」「 せんげんじんじゃ 」と読み、 富士山を神格化した富士山信仰に基づいて「浅間」を社名とする神社 です。
富士山を神格化した浅間大神である「木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)」をご祭神 としています。
浅間神社は現在 全国に約1,300社 あり、 総本宮は静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」 です。
浅間神社の起源は奈良時代 まで遡ります。その頃富士山の活動が活発になり、度々噴火しては周辺の住民は大変な被害を受けていました。 噴火は富士山の神様である浅間大神の怒りが原因 と考えられました。
その 神様の怒りを鎮めるために、社殿を建てて神様を祀ることになったのが浅間神社の始まり で、その時に坂之上田村麻呂によって築かれたのが「富士山本宮浅間大社」です。
富士山が世界文化遺産に登録されたのは、この「 富士山信仰 」があったことも理由の一つといわれています。
富士山信仰とは文字通り、 富士山を神格化し崇拝する山岳信仰 のことです。
古来より人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れて、その噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。平安時代後期になると富士山の噴火活動も沈静化していき、その頃の富士山は山岳信仰と密教等が習合した「 修験道 」の道場となりました。これが富士山信仰の始まりです。
室町時代~戦国時代になると一般庶民も登拝するようになり、新たな富士山信仰が生まれました。
江戸時代中頃には「 富士講(ふじこう) 」が関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士巡礼を行うようになりました。
明治になると女人禁制だった富士山も女性の登山が解禁となり、現在では国内外から多くの登山客が訪れるようになりました。
富士山信仰のことを「浅間」と呼ぶ理由に疑問を抱く方もいるのではないでしょうか。
その理由は 「浅間(あさま)」とは火山を意味する言葉で、富士山も昔は「浅間」と呼ばれていた からです。
「富士山」と呼ばれるようになったのは後世になってからで、「福慈岳」「不二山」など呼ばれていたなど諸説あります。
富士山は、富士山を愛する人々の思いが結集され 2013年に「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産への登録が決定 されました。
その際、富士山本体だけでなく 「信仰の対象」「芸術の源泉」 となった価値を具体的に証明できる文化資産もあわせて登録されました。この資産を 「構成資産」 と呼びます。
構成資産には富士山と関わりを持つ周辺神社や登山道、富士五湖をはじめとする湖沼、風穴や溶岩樹型など全部で25の構成遺産が登録されました。
そのなかでも今回記事で取り上げている「浅間神社」は全部で8つあります。
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は富士山の南麓にある静岡県富士宮市にあり、 全国に1,300余りある浅間神社の総本宮 です。
富士山の度重なる噴火を鎮めようと建立されたのが浅間神社の起源ですが、その始まりとなる神社です。 創建は約2000年前 にもなります。
西暦806年に坂上田村麻呂が現在の地へ社殿を作ったのが始まりといわれており、この地が選ばれたのは豊富な湧き水がある土地(湧玉池)が噴火を鎮めると考えられたからです。
武士の時代に入ると、源頼朝、武田信玄、徳川家康と名だたる武将たちから崇敬をされるようになりました。
現在の楼門・拝殿・本殿は、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が造営したものです。拝殿の脇にある大きな枝垂桜は武田信玄が寄進した桜の二世で「信玄桜」と呼ばれています。また源頼朝が冨士の巻狩に際して奉納した流鏑馬は現在まで続く伝統ある神事です。
江戸時代に入ると「富士講」と呼ばれる富士山信仰によって多くの庶民が富士登山を行うようになり、富士山本郡浅間大社は富士登山の起点として大変な賑わいを見せるようになりました。明治時代には官幣大社に列せられています。
また奥宮は富士山の山頂にあります。 富士山の8合目から山頂までの広大な敷地は、富士山本宮浅間大社の社有地 です。
楼門をくぐると朱塗りの美しい拝殿とその奥に本殿が見えてきます。これらは1604年に徳川家康によって造営されたものです。
本殿は、社殿の上に社殿を載せた 「浅間造(せんげんづくり)」と呼ばれる二階建ての特殊な構造 になっており、国の重要文化財に指定されています。
本殿の脇にある富士山の湧水をたくわえた美しい池です。 富士山からの伏流水が直接湧き出ていて、その湧水量は1日30万t にもなります。年間を通して水温は13℃を保っています。
その美しさから国の天然記念物に指定され、平成の名水百選にも選ばれています。
静岡県富士宮市宮町1-1
https://fujinomiya.gr.jp/guide/175/
北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は富士山の北麓にある山梨県富士吉田市にあり、 富士山の北側の登山口(吉田口)の起点 でもあります。
1900年以上の歴史 があり、日本武尊が東方遠征の折に富士山を遥拝しこの地に祠を立てて祀ったのが始まりとされています。
毎年7月1日には「お山開き」、8月末には日本三奇祭の「吉田の火祭り」 が行われ、富士山の短い夏山の時期を盛り上げています。
歴史ある境内には本殿をはじめ、境内にある11棟の建造物が国の重要文化財に指定されています。
本殿は1615年に徳川家康の家臣・鳥居成次によって建立され、1734年に村上光清を中心とした富士講中によって修復されたもので、拝殿も彼らによって1739年に造営されました。
本殿では 「木花開耶姫命(このはなさくやひめ)」と夫神様の「彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)」、父神様の「大山祇神(おおやまつみ)」の3柱 が祀られています。
欄間や虹梁上には獅子、龍などの彫刻や天狗の大きなお面などの見どころがあります。
本殿・拝殿までの長い参道は 樹齢200年~800年にもなる巨大な杉や檜の木が立ち並び、さらに参道脇には石灯籠が延々と並んでいて、神聖な空間へ誘われるような気分 になります。
参道の一番奥では 「富士山大鳥居」 が出迎えてくれます。 高さ18mの巨大な鳥居は木造としては日本最大級 です。この大鳥居をくぐると拝殿・本殿が姿を見せます。
神社の境内には樹齢何百年という木々が数多くありますが、その中でも拝殿の左右にある御神木 「富士太郎杉」 と 「夫婦檜」 は歴史の雄大さを感じさせてくれます。
「富士太郎杉」は樹齢1000年を超え、幹回り10m、高さ40mを超える杉の木で、目の前に立つとそのあまりの迫力に圧倒されます。
「夫婦檜」は根元で2本の檜が繋がっていて、地上で2つに分かれたあと樹高12m付近で再びつながるというユニークな形をしていることが「夫婦檜」の名前の由来にもなっています。
山梨県富士吉田市上吉田5558
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は静岡県富士宮市にある神社で、富士宮市街地から6kmほど富士山方面に向かった場所にあります。実は 富士宮浅間大社は本来この場所にあり、神社としては1900年の歴史 があります。
神社といえば立派な社殿が建っていると思いがちですが、この 神社には建物がありません。
境内にあるのは、南北約15m、東西約8mの石組みの空間で、そこには 富士山を直接拝むことができる「遥拝所」 があります。
かつて村人たちが社殿を造ることを試みたのですが、何度も風に吹き飛ばされてしまい、結局造ることができずに現在に至っています。
本殿がないので跡地?と思ってしまいますが、富士山自体を神として拝む古の富士山信仰を体感できる神社です。
静岡県富士宮市山宮740
https://fujinomiya.gr.jp/guide/1159/
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は静岡県富士宮市にあり、かつては 村山登山道の起点となった神社 です。
12世紀ごろに富士山の噴火が沈静化すると人々は富士山中で修業をするようになり、これが発展して14世紀ごろには富士山における 修験道 が始まりました。その 中心地となったのが村山浅間神社 です。
修験道は明治5年(1872年)に禁止されましたが、村山の法印の活動は1940年代まで続けられていました。
また明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまでは「興法寺」という寺院があり、中心的な建物である 「富士山興法寺大日堂」 が現存しています。
そのほか境内には護摩壇、水垢離場(修験者たちが身を清めた場所)などかつて修験道の中心地であった当時をしのばせる遺構を見ることができます。
静岡県富士宮市村山1151
※山宮浅間神社と村山浅間神社は車で約10分
https://fujinomiya.gr.jp/guide/1163/
須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ)は富士山の南東麓にある静岡県裾野市にある神社で、かつては 須山口登山道の起点となった神社 です。
ここから富士山山頂を目指した登山者が、ここで禊を行って登山の安全を祈願しました。
社殿では日本武尊が創建したといわれ、1524年には存在していたことが確認されています。1707年の宝永噴火で登山道や社殿は大きな被害を受けており、現在の本殿は1823年に再建されたものです。
1883年には御殿場口登山道が拓かれたことにより、須山口からの登山者は減少し現在に至ります。
境内一帯は樹齢400年~500年以上といわれる巨大な杉に囲まれていて、神聖な雰囲気が昔と変わらず残っています。
静岡県裾野市須山722
https://www.fujisan-jinja.com/shizuoka/suyama_sengen/index.php
東口本宮冨士浅間神社(ひがしぐちほんぐふじせんげんじんじゃ)は富士山の南東側にある静岡県小山町にあり、 富士登山の東口である須走口の起点となる神社 です。
歴史はは古く、807年に創建され 約1200年の歴史 があります。
平安時代に起こった噴火で恐れおののく住民たちのために、当時の国司や郡司といった役人たちが鎮火祭を行ったところ噴火が収まりました。その 鎮火祭が行われた跡地に神様をお祀りしたことが、神社の創建 といわれています。
境内には江戸時代の遺構がそのまま残った社殿や神門、約80基残されている富士講の石碑など富士山信仰の歴史を感じる史跡も多く見ることができます。
またハルニレの木や根上がりのモミの木などの文化財や数多くの野鳥が生息していて、四季折々の自然の風景を楽しむことができます。
静岡県駿東郡小山町須走126
https://higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は山梨県富士河口湖町にあり、富士五湖の一つである河口湖の北岸にある神社です。 864年に起こった富士山の大噴火を鎮めるため、翌年に浅間大神を祀り建立されました。
境内で最も注目されるのは御神木でもある 「7本杉」 で、 樹齢は1200年以上にもなる大木 です。 7本のうち2本並んだ杉は「縁結びの杉」として人気のスポットです。
参道の中央には「波多志神」という朝鮮から渡来した氏族を祀る小祠が建っています。
また、神社の敷地内で徒歩30分ほど歩いたところに 「天空の鳥居」 があり、近年人気急上昇のスポットがあります。そこは 富士山の遥拝所 になっていて、富士山の目の前に鳥居が立っているだけの風景なのですが、それがとても神秘的でパワースポットとして注目されています。
近年インスタ映えとして注目されていますが、神社としてはそのような目的で建立したものではないとのことなので十分に配慮して参拝しましょう。
山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は本宮を 富士山最古の神社として、699年に富士山の二合目に創建された と伝えられています。
現在、 河口湖畔に建てられた神社は里宮 で、富士山二合目という厳しい自然環境にさらされ続けて腐敗が進行してしまった本宮は、保存のために里宮の境内に遷祀されています。
武田信玄をはじめとする武田家三代に渡って庇護を受けた武田家ゆかりの神社 で、信玄の安産祈願文を始めとする古文書が社宝として神社内に保管されています。
現在の本殿は1612年に徳川家康の家臣で領主であった鳥居成次によって造営され、以降改修も4回行われています。
山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
https://fujiomurosengenjinja.jp/
富士山は古来より人々に崇拝されてきた神聖な山です。
富士山自体が独立峰であり、その美しい山容から国内外の多くの人々に愛され続けていることがよくわかり、日本屈指のパワースポットであることも疑いようがありません。
神の山でもある富士山を御神体とする浅間神社を参拝すれば、きっと富士山の雄大な力を授かることでしょう。
今度の休みは富士山のパワーを授かりに、浅間神社へ参拝してみてはいかがでしょうか。
余暇プランナー
元旅行会社勤務で今は山の中の観光施設で働きながら旅ライターを行っています。元々旅行好きで大学も地理学専攻と根っからの地理マニアです。大自然の絶景と寺社仏閣などの歴史建築が大好きで、連休などあればすぐに車中泊で出かけてしまいます。その他登山やランニングなどとにかく家に引きこもっていることが苦手で、常に自然の中で過ごしていることが私の癒しになっています。
【山梨県・静岡県】富士山が御神体・富士山周辺の「浅間神社」8つをご紹介