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1980年代といえばアイドルが大ブームになり、多くのアイドル歌手がデビューした。しかし私の中では、アイドルはこうであるからとかの固定観念などは無く、他の人はどう思うかとか関係無しに、当時は自分的にはアイドルなんだと思う人が多くいた。その中でも私の気持ちを強烈に引き寄せてくれたのが美保純である。美保は81年に日活ロマンポルノ『制服処女のいたみ』でデビューを果たし、これまでに無いタイプのロマンポルノ女優として注目された。
そんな美保が気になりだしたのは、中学2年生の時に封切りされた『ピンクのカーテン』の時である。美保の素朴な美しさに引かれたのだが、18歳未満は観れない映画だったこともあり、当時はただただ悶々とするだけだった。それでも原作として『漫画ゴラク』で『ピンクのカーテン』が連載していたので、美保を想像しながら毎週のように立ち読みをしていた。
ようやく美保の裸の動画を見ることができたのは83年だった。中学3年生だった私は、まだあまり出回っていなかったビデオデッキを持っている友達から「エロビデオがあるから見に来る?」って誘われた。もちろん2つ返事でOKをして、学校帰りに友達の家に向かった。どんな女性が出ているエロビデオなのか楽しみにしていると、何と美保の作品だった。『ダンシングドール』というタイトルで、とにかく初めて裸で動いている美保を見れた感動は今でも忘れられない。
ポルノ女優としての活動期間は短かったが、確実に中学生だった私に大きな影響を与えてくれた。そんな女神様のような人が、82年に『裏切り人形(ドール)』で歌手デビューを果たした。以降もコンスタントに新曲を出していて、アイドル歌手的な活動をしていた時期もあった。イベントやテレビに出演することも増えていったので、アイドル現場に常に足を運んでいた私にとっては、このアイドル活動は朗報だった。ようやく85年1月に初めて美保と対面することになったのだ。『全日本そっくり大賞』(テレビ東京系)という素人ものまね番組を観覧に行った時のゲストだった、美保のほかに石川秀美もゲストだったので、まず石川の『もっと接近しましょ』を聞いて気持ちを高め、そして美保の新曲『O・KA・TA・ZU・KEの唄』を聞いて、さらにテンションが上がっていった。ちょっとコミカルな感じの曲で、これまで頭に描いていた美保のイメージと違う感じがしたが、中学生の時から色々な意味で憧れていた美保を観れたことに感動してしまった。収録後に美保に「ずっと会いたかったんですよ」と声を掛けると「ありがとう」とお礼を言って微笑みかけてくれた。
この時に美保に会って嬉しくて感動していたのだが、この日が最初で最後になってしまった。以降はポルノ女優のイメージはもちろんのことアイドルとしてのイメージもまったく無くなり、完全に女優として映画やドラマで大活躍となり、手の届かない存在になっていた。今ではテレビで美保を見る程度だが、2013年に放送された『あまちゃん』(NHK)は、個人的にアイドルとしての美保を見れた気がする。小泉今日子・薬師丸ひろ子が出演していて、部屋に飾ってあったポスターは松田聖子、劇中のテレビでセイントフォーが歌っていたり、アイドルの要素が満載であり、そこに美保がいることに大きな意味があった気がする。
最後に会ったのが1985年なので、もう30年も前のことだが、年を重ねた今でも美保の美しさは健在であり、できることなら美保に会いに行きたい気持ちでイッパイだ。とりあえず『5時に夢中!』(MXテレビ)の水曜日レギュラーなので、そこに行けば会える可能性も高いので、近いうちに収録スタジオに訪ねて行こうかと思っています。今でもロマンポルノ時代のことを黒歴史にすることもなく、当時を振り返るトークなどをしているので、私の気持ちをぶつけてみたい。きっと美保は受け止めてくれることだろう。そんな日を楽しみにしたいと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
【記事提供:リアルライブ】