1979年にアイドルの登竜門と言われた『スター誕生』(日本テレビ系)に出場し、見事にグランプリを獲得して、アイドルの道を踏み出した柏原芳恵。翌年にはシングルレコード『NO.1』でデビューを果たした。デビューとなった80年は、70年代を駆け抜けた山口百恵の引退もあり、アイドルの転換期と言われた時期である。柏原の同期には、松田聖子・河合奈保子・岩崎良美・田原俊彦などの豪華なメンバーがデビューをして、このメンバーが中心になって、80年代のアイドルブームの火付けとなったと言える。

 デビュー当時14歳だった柏原は、同期の中で最年少だったが、大人びた顔立ちで、若いのにデカパイ(この頃には巨乳という言葉が無かった)だったこともあり、瞬く間に注目されるようになった。当時は同じ大阪出身でデカパイだった河合奈保子と仲が良く、「よしよし」「なおなお」と言い合う仲だった。デカパイという武器があったことで、当時のアイドル雑誌の主流だった『明星』や『平凡』の付録のポスターには、ビキニ姿の柏原が封入されることが多く、当時の中高生の部屋には柏原のビキニ姿のポスターを貼っている人が多かった。ちなみに私は、黄色と白のストライプのビキニを着ている柏原のポスターを貼っていた。

 この頃はあくまでもテレビや雑誌の中の人という感じだったが、柏原を生で観る機会がようやく訪れた。たしか私が中学1年生の時に『カックラキン大放送!!』(日本テレビ系)を調布市グリーンホールに観に行った時に、柏原が7枚目のシングル『ハローグッバイ』を発売した直後だったと記憶している。個人的にこの曲は、私の頭の中で常にループをしていた。歌詞の出だしが「紅茶の美味しい喫茶店〜」なのだが、私の頭の中では「餃子の美味しい喫茶店〜」としてなぜか変換されていた。子供に、こんなくだらない替え歌を作られるほどの知名度になり、歌番組には欠かせない存在になり『ザ・トップテン』(日本テレビ系)に『春なのに』でランクインした時は、これまでに無い人気の高さを見せてくれた。というのも『ザ・トップテン』は、ほぼ毎週のようにどこかの学校の修学旅行生が観覧していたのだが、たしかこの日は5校くらいの学校が来ていたのだ。というのも卒業ソングの『春なのに』がランクインだったこともあり、会場中が学生だらけだったのだ。

 人気はここで止まることなく、当時は浩宮皇太子が柏原の大ファンだったと公言して、2人は出会ってしまった。このまま結婚するのではないかとウワサもされたが、柏原は皇室に入ることなく、そのままアイドル活動を続けていた。

 それが良かったか悪かったかはわからないが、後にとんでもないウワサが飛び込んできた。空港に金属探知機に大人のおもちゃを持って入ろうとしたら引っかかってしまったという。インターネットの無い時代だったが、このウワサは瞬く間に全国に広がった。実際に引っかかったかすら本当かどうかわからないことだが、今でも芸能界の都市伝説として言われ続けている。

 こんなウワサの後に、たまたま『ザ・ベストテン』の出待ちをTBSの玄関前でしていたところ、柏原が出てきたのだ。この時は既に20歳を過ぎて大人の女性という感じだったが、失礼ながらどうしても当時のウワサが頭の中を過ぎってしまい、よからぬ想像をしてしまった。

 こんなウワサが出てしまったが、アイドル歌手として約10年も一線級で活躍した。これまで多くのアイドル歌手がデビューしたが、ここまで途切れなくアイドル歌手活動を続けたのは柏原くらいしかいない。その後はアイドルから女優に転身して、サスペンスドラマを中心に活動をしていたが、最近になって歌手活動も再開しているので、近いうちに生の柏原を観に行きたいと思う。とはいえ数十年経った今でも頭の中では、例の都市伝説を考えながら観ていそうな自分がいそうで怖い気がするが・・・。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

【記事提供:リアルライブ】
情報提供元: リアルライブ