今年の8月15日で終戦70年目となり、第二次世界大戦(太平洋戦争)にまつわる作品がたくさん制作されているが、1995年は50年という節目でもっと扱いが大きかった。今回、その年制作された『君を忘れない FLY BOYS, FLY!』を扱いたいと思う。

 この作品は、俳優陣にSMAP・木村拓哉、反町隆史、袴田吉彦、松村邦洋、池内万作など、当時注目の若手を集め、直接の上官役として唐沢寿明を抜擢するなど豪華メンバーで「神風特別攻撃隊」という題材に挑んだ注目作だった。まあ、注目作ではあったのだが、色々明後日の方向に冒険をしすぎて、残念な作品になってしまったのだが…。

 同年に終戦記念映画として公開された『きけ、わだつみの声 Last Friends』、『ひめゆりの塔』は完全に「反戦」に主眼を置いたのに対し、この作品は新しいアプローチで特攻隊を描こうという姿勢が随所に見られた。まず松村を飛行機乗り役に抜擢する辺りからしてかなりの異端作だ。もちろん当時から「この時代にデブの軍人がいるなんておかしい」と叩かれていた。まあ、『きけ、わだつみの声 Last Friends』にも、敵陣に向かって織田裕二がラグビーのトライをかけるという「学徒兵の遺書が原作なのにそれはいいの?」というシーンはあるにはあるのだが、この作品は、もっと「それはいいの?」という部分が顕著だ。とにかくサークル活動のような明るさが随所に散りばめられているからだ。

 まあ、そこはそれほど悪いことではないと思う。史実を元にしている部分は特攻隊の部分だけで、後はオリジナル脚本なのだから。反戦に執着しすぎて陰鬱になりがちな日本の戦争映画とは、別のアプローチとして特攻隊員の「非日常の中の日常」を描こうという姿勢は評価できる。問題は、その非日常の日常を際立たせる緊迫感が全くない点だ。

 この作品はとにかく飲酒シーンが多い。しかも取ってつけたように戦況の話をしながら、ちょっと上官とのケンカを挟みつつという感じで、なにをしたいのかよくわからない。もしかすると、映像の向こうでワイワイ騒いでいるので、俳優個々のファンにとってはいいかもしれないが、これはアイドル映画ではなく、戦争映画なのだ。もう少しなんとかならなかったのかとは思う。

 唯一緊迫感を煽るシーンといえば、序盤に上田淳一郎役の木村が、新任地の飛行場に緊急着陸をして、その後、飛行場が敵機の襲撃を受けるシーンくらいだ。そのシーンにしたって、藤岡弘主演で1976年公開の『大空のサムライ』のオマージュなのではと思うほど構図が似ている。具体的にいうと、片輪状態の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が、滑走路に突っ込んで来るところや、機銃掃射を受けた場面で逃げたり、対空機銃で応戦する際のシーン演出などだ。参考にしたかは定かではないが、とにかく似ている。しかも、ただ逃げているだけで、緊迫感というとそれほどでもない。ちなみに、『大空のサムライ』は実在の海軍エースパイロット・坂井三郎の自伝的小説が原作になっており、古さはあるが、かなり完成度の高い作品なのでオススメだ。

 そんな具合に、緩いシーンが終始続き、戦争の過酷さや大戦末期の絶望感というものが、この作品には一切伝わってこない。緩さを交えつつ、締めるところは締めないと、第二次世界大戦末期の特攻隊を題材にする意味がない気がする。また、よくこの作品は役者のチャラいやりとりが批判の対象になっているが、個人的にそこは気にしていない。そういう隊員がいなかったという事実は調べようもないからだ。それ以上に問題なのが、調べられるのに調べてない部分を、恥ずかしげもなく描写している点だ。

 まず訓練飛行のシーンだが、コックピットの風防も開けないで会話をしている。無線で会話しているのではと思うかもしれないが、ゼロ戦の無線機は性能が悪く使えないため、軽量化の為に取り外し、空の上でパイロットは主にハンドサインで意思の疎通をはかっていた。前記した『大空のサムライ』や、2013年に公開された『永遠の0』ではハンドサインを使っているので、それらの作品を観ていれば違和感ありありのはず。無線を積んでいる機体もあったそうだが、この作品ではとても無線で交信しているようには見えない。それこそ「この人達ニュータイプなのかな?」と思ってしまうほどだ。

 他にもある、三浦草太役の反町が、自身の敵機撃墜数を22機と話している部分だ。この戦績は完全にトップエースパイロットクラスだ。それなのになぜ特攻隊に配属されたのだろうか? 『永遠の0』ではエースであった宮部が、自身の強い意向で特攻隊の配属になるが、この作品ではどうも命令されて来たっぽい。おそらく、当時の戦況でもエースパイロットを生存の見込みのない特攻隊に配属するということはほぼないと思う。強く志願したとしても、新鋭機の紫電改か雷電に乗っての本土の防空に当てられるか、訓練生の教官になるはず。もしくは同じ零戦に乗って、米艦隊のピケットライン手前までの、特攻機護衛の任務を与えられることもあり得るが、どんなに扱いづらいパイロットでも、命令で「特攻機に乗れ」とはさすがにならないかと思う。他にも出撃の前に、当時のカメラで自撮りをする隊員など、気になる点は結構あるのだが、まあ仕方ないとしよう。

 この作品は、なにか新しいことをしようという気持ちは全体から伝わってくるのだが、全てがダメな方向に向かってしまった典型だと思う。そもそも特攻隊という、“必死”の戦いに向かう人々を題材に選んでしまったことに問題があったとしか思えない。軽い演技、明るい表現が、全て薄っぺらいという印象になってしまった。有名俳優を揃えて、ひょうひょうとした雰囲気の演技を売りにしたいのだったら、登場人物を全てエースパイロットにして、本土防空の苦しい状況にも、最善を尽くす姿を描いた方が良かったのではないだろうか? “決死”の戦いでも戦争の絶望感や残酷さは十分表現できるとは思うのだが。やはり「特攻隊」というわかりやすい単語がないとダメなのだろうか…。

(斎藤雅道=毎週金曜日に掲載)

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