石坂敬一さんお別れの会がいとなまれた


 日本の音楽史に数々の実績を残した音楽ディレクターでユニバーサルミュージック元会長も務めた石坂敬一(享年71)さんの『お別れの会』が8日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれ約2300人が参列した。


 石坂さんは1968年に東芝音楽工業(後の東芝EMI)に入社。洋楽ディレクターとして、ビートルズをはじめとした、Tレック数、エルトン・ジョンら名だたるロックスターを担当。81年からは邦楽本部長としてBOOWY、松任谷由実、長渕剛、矢沢永吉らを担当したことで知られる。2007年から4年間、一般社団法人日本レコード協会の会長を務め、レコード業界のリーダーとして手腕を振るった。


 祭壇には直径3.2メートルの巨大なレコード盤に日本レコード協会の会長時代に撮影されたという遺影が映し出され、会場には石坂さんが青春時代に影響を受けたエルヴィス・プレスリーから始まり、時代を追ってディレクターとしてかかわった楽曲が流れた。戒名は「功顕院音樹敬楽居士霊位」。「音樹」とは中国の故事の言葉で、木々の葉が重なり合って風になびいて揺れている時に音楽を奏でる、という意味となり、石坂さんが音楽に生きた人生だったことから授与された。会には弔事を読んだ音楽評論家の湯川れい子氏、富澤一誠氏、長渕剛をはじめ、青山テルマ、AI、SUGIZO、平尾昌晃らが参列した。


 青山とAIは2人で報道陣の取材に応じた。2人とも石坂さんとは会った回数こそ多くなかったそうだが、それだけに印象が強かったようで、青山は「あらためてすごい方だなって。一緒に仕事できたのは誇りです。言葉数は少ない方ですけど、優しい方というのは表情だけでも分かって」というと、AIは「どっちかというと、失礼かもしれないけど、厳しい方だなと思っていたんです。見られると悪いことしたかな?っていうのを感じてしまって」と、青山とは正反対な印象。それでも、AIはデビュー当時にピアノがある部屋を利用していた際に、石坂さんが入ってきて「怒られると思ったら『ああ、AIさん!頑張っているね』と言ってくれて」と、温かな思い出もあったそうだ。


 1年前に石坂さんと会ったのが最後になったという平尾は「いまでもまだ信じられないぐらいなんです。石坂さん!って言ったら応えてくれそうな……」と、声を落としつつ「これからもいい歌を書いて石坂さんに喜んでもらいますと言ってきました」と、誓いを新た。さらに「歌手でもない作詞家でも作曲家でもないのに誰よりも音楽のことを知っていて、僕らはいつも勉強していました。いろんなことを教えていただきました」と、故人を悼みつつ「『ステージでいくら飾ってもいいから歌を書いたり、歌を歌う時は気取っちゃだめだよ。普段着でいいんだよ』と言われました」と、石坂さんから贈られた忘れえぬメッセージを披露していた。


 20年前にソロデビューしたときに石坂さんに面倒を見てもらい、昨年石坂さんと会ったというSUGIZOは、「あまりにも早い……。でも、運命的な出会いをして感謝しています」と、お悔やみを。「一言『格好いい』。いいセンスで、無表情でものすごく眼光が鋭くて、でもその奥に少年のような姿があって。石坂さんの美学や哲学を勉強させてもらいました。飲んだら雄弁になられるんですけど、シラフだと緊張してしまって。音楽の話になると永遠と話しをしたり『世の中でのし上がっていくためには帝王学を学ばないといけない』と。すごかったなと思うのが、誰よりも美学を感じるアーティスト性を持ちながら、ビジネスや日本社会で生き残っていくすべを知っていた」と、思い出を口にしていた。



 


長渕剛


SUGIZO


AI、青山テルマ

情報提供元: News Lounge