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映画化が決定し、週刊少年ジャンプにて連載中の人気漫画「呪術廻戦」。この漫画にも名前が登場する、かつて日本で実際に存在していた人物「菅原道真」。福岡県太宰府の太宰府天満宮に祀られ、学問の神として有名ではありますが「日本三大怨霊」の1人として恐れられてきました。今回はそんな「日本三大怨霊」について、その恐ろしい言い伝えをまとめてみました!
世の中では説明のつかない事件や事故、偶然とは思えないタイミングで大災害に見舞われることがあります。そのような恐ろしい出来事を「呪い」と口にする人もおり、怨霊と言われる悪霊の仕業であるとも言われています。
古い時代から特に恐れられてきた怨霊が日本には3人います。「菅原道真(すがわらのみちざね)」「平将門(たいらのまさかど)」「崇徳天皇(すとくてんのう)」です。「日本三大怨霊」と恐れられ数々の伝説を残しています。今回は彼らがどう恐れられてきたのか、その歴史を見ていきましょう。
福岡県太宰府天満宮に祀られ、学問の神として有名な菅原道真。今では神として多くの人に崇められてはいますが、怨霊の神としても有名な話です。
平安時代、後醍醐天皇の元で右大臣にまでのぼりつめた菅原道真。しかし、左大臣である藤原時平の策略により、無実の罪をきせられ道真は今の福岡県太宰府に左遷されます。その2年後、道真は死んでしまいます。
都では、道真の死後、生前道真の左遷にかかわった人たちが次々に謎の死を遂げます。時平は39歳で突然死、後醍醐天皇とその息子までが病で倒れ、宮廷内では次々に雷が落ち複数の貴族が亡くなったと言われています。
これらの災害が、偶然にも思えないことから菅原道真の祟りだと恐れられるようになりました。この呪いの連鎖を止めるために建てられたのが京都の北野天満宮です。道真の魂が祀られています。時の経過とともに怨霊の力も弱まり、いつしか学問の神として多くの人に崇められるようになったわけです。
平将門の乱という戦いで平貞守と藤原秀郷に討ち取られた平将門の首は京へと送られ、都の河原にて晒されることになりました。
しかし、この首の周囲では奇妙な出来事が多く発生。数日間目が見開いたままであったり、夜中に突然歯ぎしりをしたり、といった噂が絶えず、都では平将門の祟りと恐れられました。
そして、将門の首が体を求めて関東へ飛んで行ったという伝説も残されています。その首が飛んで行った先が今の東京都千代田区大手町の将門塚です。
これだけではありません、将門塚では関東大震災後、大蔵省の仮設施設を作ったところ当時の大蔵大臣をはじめ、複数の関係者が亡くなりました。また、戦後GHQが将門塚を取り壊そうとしたところ事故が発生し死者もでました。この場所に関する事件は偶然とは思えないために、将門塚の開発計画はなくなり、今でも将門の首が祀られている神聖な場所になります。
保元の乱という皇位断承争いで後白河天皇と対立。戦いに敗れた崇徳天皇は現在の香川県に左遷されました。そこで出家し、仏教を深く信仰し5つの写本を書き上げます。それを京都の寺に納めてほしいと願い出たものの朝廷に追い返された崇徳天皇は激怒し「妖怪に生まれ変わって無念を晴らす」といい死ぬまで髪や爪を伸ばし続け、最後には鬼のような風貌になってしまったとか。
そんな崇徳天皇の死後、朝廷の周りでは数々の事件が起き、後白河天皇の身内が次々と亡くなりました。この一連の流れから、崇徳天皇の祟りと恐れられました。その後も後白河天皇が死ぬまで災いは続いたと言われています。
どうでしたか? 日本三大怨霊を詳しく見ていくと、本人の死後に起きた災いはどれも偶然とは思えませんよね。世界中で起きている事故や災害、もしかしたら何者かによる祟りなのかもしれませんね。