- 週間ランキング
ネットで「今も魔女狩りが行われている」という見出しを見て、どんなオカルト記事かとニヤニヤしながら覗いてみた。
驚いた。
マジなのだ。
少し調べてみると、魔女狩りは今でも幾つかの国や地域で行われているというので更に驚愕した。
魔女狩りとは、主にヨーロッパで15世紀から18世紀に発生した社会現象で、魔女とされた人が告発され、裁判が開かれ、死刑にもされた。魔“女”とあるが、女性も、そして男性も、更に年齢も問わず、魔術を扱うとみなされた者は一括りに「魔女」として扱われた。
貧しくて教養もなく、身内も少ない人が、世間をひがんで悪しきことを企むなどと目をつけられ魔女に仕立てられる、そんなケースが多かった国もある。“ほうきを持っていたから”、“猫を飼っているから”、そんなイメージだけで捕まるケースも多かったという。誰かが噂を流せばそれが膨らみ、魔女にさせられる時代があった。
魔女の歴史は簡単には説明できない。本当に黒魔術などを行う自称魔女もいただろうが、魔術は現代でも科学では証明できない。オカルトな犯罪者、理不尽な汚名を着せられ死刑を受けた人間は全ヨーロッパだけで推定6万人以上ともされている。
ただし、念を押すがここからは現代の話である
パプアニューギニアの山岳地帯には原始的な生活を送る部族が約800あり、今でも精霊信仰が色濃く残っていて、国人口の80%は魔術を信じている。
特に近年の異常気象を魔女の魔術による仕業とする傾向があり、誰かを“魔女”に仕立て上げ、大勢で拷問、レイプなど残虐な目に合わせ最後には火炙りにするといったケースが増えている。
このような酷い魔女狩りが頻発するようになったのは数年前からで、理由としては、先に言った異常気象や地震などの災害や、エイズや糖尿病など近代的な病気による人々の死も関係しているそうだ。というのも、現代医学を受ける病院も知識も広まっていないため、病気で人が死ぬと魔女に黒魔術をかけられたと思い込み、周囲に疑わしい人物がいないか目を光らせ魔女狩りが始まってしまうとか。
群衆は生死を脅かされる事態を収束させるため魔女狩りを真剣に行っている。しかし、目に見えぬ力が災いをもたらすのは考えにくいという概念が少ないため、魔女狩りの終りが見えない。
また、そんな時勢を狙ってか、誰が魔女かを探す探偵ビジネスまで横行しているそうだ。
タンザニアの人権団体「法と人権センター(LHRC)」は、2012年に、「魔女狩りによって殺された人数は過去10年平均約500人」と公表している。農村には、不妊や貧困、商売の失敗、飢え、地震といった災厄が多く、その背後には魔女がいるとの迷信が根強く残っているという。
狙われやすいのは「赤目の高齢女性」。貧しい村では、調理の燃料に牛糞を使用しているが、これが目を赤く充血させてしまう原因となっている。
ネパールでは、年間数百人の女性が魔女狩りの被害に遭っているそうだ。
狙われるのは貧困層の民。例えば2012年に起こった件を例に挙げると、貧困層の主婦の元に30人程の村人が押しかけ「教師が病気になったのはお前が魔術をかけたからだとろう」と言って連れ去った。女は牛小屋に閉じ込められ、魔女であることを自白しろ、魔術をかけたと認めろと、言われながら殴る蹴るの暴行を受けた。人間の排せつ物を食べろと強制され、ナイフで傷つけられた。
主婦は殺されるよりはましと考えて魔女であることを認めた。こんなことが普通に起こっている。ヒンズー教に基づいた君主制国家から現代的な世俗国家に移行するよう政府も力を入れているが、男性が女性を暴力で抑圧する傾向はまだまだ強いようである。
サウジアラビアでは現在でも合法的に魔女狩りが行われている。イスラム宗教省には魔法部という部署があり魔法に関する電話相談なども受け付けている。内容の信憑性が高い場合は調査し、逮捕、起訴、裁判も行われ、死刑もある。実際に2005年5月に女性霊媒師の死刑が執行され、2009年11月にもレバノンの霊能者が死刑判決を受けている。
これはイスラムの宗教的な意味合いが強く、“人間が魔術などを信じたり不可思議な力を持つと主張するのはアラーへの冒涜”という考えからくるものとされている。
この他にも、カメルーン、ガンビア、コンゴ共和国、ザンビア、ケニア、インド、などアフリカや中東アジア地域の国の、さらに一部の区域で「魔女狩り」は今でも行われているのだそうだ。
いろいろな魔女狩りシーンの顛末を読んだりしたが、ここに書き記すには気が咎めるほど残虐な例が幾つもあった。魔女狩りは、明らかな人為的な犯罪(殺人・窃盗など)ではなく、“なにか良くないこと”に対する人々の嘆きや怒りを、魔女のせいにして収束させるスケープゴートの意味合いが強い。
私たち日本人は「オカルト」と首を傾げてしまうが、実際に行っている人は魔女と魔術の力を信じているから真剣なのである。
魔女狩りの世界観をわかりやすく感じられないか? と思い浮かべてみた。
魔女探しはサスペンスや推理小説の犯人探しと決定的な違いがあった。物語の殺人犯人にはその自覚があるが、魔女狩りは魔女とされる人間にその自覚がない(本当に魔女なら別だが)。潔白なのに“どうして自分が!?”と思うわけである。
魔女狩りの世界観を分かりやすく描いたマンガを思い出した。
『デビルマン』(作・永井豪)
アニメではなくマンガ読み物の「デビルマン」は、魔女狩りならぬ悪魔狩りで人類が滅びるという結末で終わる。デビルマン(人間悪魔)は、理性を持った人間に悪魔が合体を仕掛けると、意識は人間で躰は悪魔に変えられる能力を持つようになり、人類を救うため悪魔と戦うヒーローとなる。
ところがある時、悪魔は無差別に人間と合体を試み、人は次々に奇妙な姿に変わっては人を殺し、食い、世界中を混乱させる。中には人間の姿をしたまま潜む悪魔も出たため、世界が悪魔に怯え恐怖に慄いた。
そして、一人の世界的な学者が高らかに叫んだ。
「悪魔の正体は人間だ!」
「人間の強い願望が自身の体細胞を変化させた!」
「現代社会に不満を持つものを殺せ!」
「悪魔の因子を抹殺すれば悪魔は消える!」
恐ろしい勘違いで人間が狩り出されることになる。人は人を悪魔と疑い殺戮の世界が広がる。
「いま、あなたのとなりにいる人も悪魔にとりつかれた人間かもしれないのです」
「あなたの父の姿をした悪魔、あなたの母の姿をした悪魔」
「あなたの兄弟、あなたの子ども・・・あなたの友人の姿をした悪魔なのです!」
「悪魔はウソがうまいのです!悪魔は演技がうまいのです!」
「さー、さぐって下さい隣の人を、みつけてください悪魔どもを」
「あなたにキバを向いて襲いかかってからでは遅いのです」
「その前に、あなた自身の手で殺すのだ!」
目の前にいる友達や家族でさえ、悪魔と疑ってしまうような世の中になり、ひとたび誰かが悪魔と疑えば“悪魔狩り”が行われ捕らえられてしまう。悪魔かどうか拷問で自白を促すが、悪魔に変わられてしまうと怖いので殺してしまう。でも実際は人間だった。
こうして、自分以外の人間は誰も信じられなくなり、人は人を悪魔と疑って殺し合い、人類は滅亡してしまう。悪魔は何をせずとも人間を混乱させ滅ぼしたわけである。
――――――――――
マンガだし多少大げさかもしれないが、もしかしたら今も魔女狩りが行われている地域では、デビルマンの顛末の世界がリアルに起こっているのかもしれない。人が人を誰も信じられなくなる世界なんてあってほしくない。