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レジェンドクラスで言えば阪神の吉田義男氏は『牛若丸』、長嶋茂雄氏といえば『ミスタープロ野球』のように唯一無二の異名をもつ選手もいますが、榎本喜一氏や張本勲氏が呼ばれた『安打製造機』はその後、イチロー氏、西武の秋山翔吾選手と受け継がれています。
その選手のプレイスタイルやキャラが代名詞としてわかる異名が付くことは選手冥利に尽きるというもの。今回はそんなレジェンド、近代選手の異名について紹介していこうと思います。
例えばその実績、人気を説明するまでもない「ミスタープロ野球」長嶋茂雄氏のようなその選手のためだけに付いた異名。その後もその名に見合う選手が現れないため止め名のようになっているものを紹介します。
大魔神:佐々木主浩氏
国内外のチームでストッパーを務め通算381セーブを上げた佐々木氏。異名の由来は諸説ありますが新聞記者が絶対的な守護神の意味で「魔神」と名付けのちに「ハマの大魔神」と進化したよう。また見た目が大昔の特撮「大魔神」に似ているからとも。
炎のストッパー:津田恒美氏
広島カープのストッパー。威力のあるストレートを武器にファウルを打った衝撃で現役時代の原辰徳氏の手を骨折させたことも。マウンド上の闘志あふれるピッチングやガッツポーズからこの異名が。その後、津田氏は脳腫瘍をわずらい32歳という若さでこの世を去りました。
8時半の男:宮田征典氏
かつての巨人軍のリリーフエース。登板してくるのが決まって8時半ごろだったことからこの異名がつきました。1960年代当時は先発、中継ぎ、抑えなどの分業が確立していない時代の中、ほぼリリーフに専念した草分け的な投手でした。
他にも『打撃の神様』『赤バット』などの異名を持つ川上哲治氏、『青バット』の大下弘氏などもいますが、現在カラーバットは禁止されているので後継者が現れるのは難しそう。
三振多めの豪快スイングに定評のあった池山隆寛氏の『ブンブン丸』、尽きないスタミナという意味で米田哲也氏の『ガソリンタンク』というのも。
また、グラウンドのプレー以外からの特徴では15年ソフバンのスローガン『熱男』をそのまま体現するようなパフォーマンスをしていたため松田宣浩選手がそう呼ばれるように。西武の中村剛也選手は好きな言葉を「おかわり」と答えたため『おかわり君』と異名がつきました。
続いては各時代でヒットを量産したバッターにつけられる『安打製造機』のような継承されていく異名を紹介。
鉄腕:野口二郎氏、稲尾和久氏、岩瀬仁紀氏、山口鉄也氏
登板過多、さらにそれを数年続けると『鉄腕』と名付けられることが多いよう。野口氏はレジェンド中のレジェンドで1942年には66試合に登板し40勝を上げる活躍。
稲尾氏は『神様、仏様、稲尾様』と呼ばれるほど頼りにされていた投手で61年にはアンタッチャブルレコードとなるであろう42勝をマークしました。
岩瀬氏は中日のフランチャイズプレーヤーで実働19年、1002試合登板407セーブ(ともにプロ野球最多記録)を樹立。山口氏は巨人の育成枠から這い上がったセットアッパーで通算273ホールドを記録しました。
ゴジラ:松井秀喜氏、嶋重宣氏、T―岡田選手
日刊スポーツによると松井氏がそう命名されたのは高校時代。担当記者が「下半身が大きくて犬歯が特徴的なところから」名づけたそう。その後、広島の嶋重宣氏が松井氏と同じ背番号55を付けていたことから、チームカラーと合わせて『赤ゴジラ』。オリックスのT―岡田選手は高校通算『55』本塁打、恵体、豪快なスイングなどから『浪速のゴジラ』と呼ばれました。
怪物:江川卓氏、松坂大輔投手
『昭和の怪物』、江川氏。高校時代は7度のノーヒットノーラン、2度の完全試合、73年春の甲子園では4試合に登板し60奪三振など剛腕を発揮していました。当時放送されたアニメ怪物くんの主人公の耳が大きく特徴的で江川氏も耳が大きかったため『怪物くん』と呼ばれるようになり、いつしか成績などの影響から「くん」がとれ『怪物』となりました。
そして『平成の怪物』、松坂大輔投手。横浜高校時代の98年、甲子園春夏連覇に貢献。夏の大会決勝にいたってはノーヒットノーランで優勝を飾りました。こういった活躍もあり当時から『平成の怪物』と呼ばれるように。
さて、他にも『壁際の魔術師』は高田繁氏、『青い稲妻』は松本匡史氏などまだまだいますが、こうやって見てみるとほとんどがレジェンド。現役選手が少なく感じます。昔は一点の能力に特化した選手が多かったため異名を付けやすかったのかもしれませんね。