2018年下半期は、テニスの全米オープンで大坂なおみ選手が日本人選手初優勝を飾り、なまはげなどが世界無形文化遺産に登録されたりと嬉しいニュースがありました。

しかしその一方で、悲しいお別れも……。

前回の上半期に続き、今回は2018年7月以降に亡くなった方々の思い出を振り返りたいと思います。

7月

桂歌丸さん……2日、落語家・桂歌丸さんが慢性閉塞性肺疾患のため81歳で逝去。日本テレビ『笑点』には1966年の放送開始から大喜利メンバーとして出演。06年から5代目司会者に就任し約10年務めあげました。

マサ斎藤さん……14日、プロレスラーのマサ斎藤さんが亡くなりました。75歳でした。1964年、レスリング男子フリースタイルのヘビー級日本代表として東京五輪に出場。その後、プロレスに転向。アントニオ猪木さんとの巌流島の戦いはプロレス史に残る名勝負。近年はパーキンソン病で闘病生活を送っていました。戒名はリングネームの『マサ斎藤』。

8月

津川雅彦さん……4日、心不全のため亡くなりました78歳でした。映画『マルサの女』『ミンボーの女』など伊丹十三監督作品には欠かせない俳優。自身が旅立つ3か月前、愛妻・朝丘雪路さんの逝去にともない行った記者会見で鼻にチューブを付けながらも気丈に臨んだ姿は印象的出した。

菅井きんさん……10日、女優・菅井きんさんが心不全のため亡くなりました。92歳でした。テレビ時代劇『必殺』シリーズで主人公役の藤田まことさんをいびる姑役で人気を集めました。また1984年、伊丹十三監督の初監督作品『お葬式』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。08年には映画初主演を飾りました。

さくらももこさん……15日、漫画家でエッセイストとしても活躍するさくらさんが乳がんのため亡くなりました。53歳でした。代表作の『ちびまる子ちゃん』の単行本累計発行部数は3200万部。1990年にはアニメ化され最高瞬間視聴率39.9%、作詞を手掛けた主題歌『おどるポンポコリン』のCDは160万枚を売り上げる、まさに国民的作品。一方で報道によると10年近く闘病をしていたそうです。

9月

樹木希林さん……15日、全身がんを公表していた希林さんが亡くなりました。75歳でした。女優として『寺内貫太郎一家』『東京タワー』『悪人』など多くの作品に出演する一方、バラエティー番組などで見せる

マイペースでひょうひょうとした語り口も人気でした。また40年以上別に暮らす夫・内田裕也さんとの関係もたびたびクローズアップされました。

山本“KID”徳郁さん……18日、総合格闘家、山本さんが胃がん治療で訪れていたグアムで亡くなりました。41歳でした。山本さんといえば2006年、総合格闘技イベント『HERO‘S』に出場し臨んだ宮田和幸選手戦。ゴング直後に左跳びひざ蹴りでK.O勝利。開始4秒の秒殺でした。しかし18年8月にがんであることを公表、その日からわずか3週間で旅立ちました。

10月

輪島大士さん……8日、大相撲の第54代横綱・輪島さんが亡くなりました。70歳でした。得意の左下手投げから「黄金の左」と呼ばれ優勝14回、ライバルの北の湖と一時代を築きました。引退後はプロレスラーに転身、またタレントとしてもお茶の間の人気者でした。

11月

赤木春恵さん……29日、ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』『金八先生』などに出演した女優・赤木さんが心不全のため逝去。94歳でした。2013年、88歳の時に映画で初主演。これが「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録に登録されました。

12月

ハン・ヘギョンさん……15日、扇風機おばさんとして韓国や日本のメディアでとりあげられたヘギョンさんが逝去。57歳でした。若い頃、歌手として活動している最中、美しくなりたいと整形手術。いつしか闇医者の施術を受けたり自身で食用油などを注入するようになると顔が通常の人の3倍に膨れ上がってしましました。その後、多くの支援者が現れ再建手術などを試みました。

今年も多くの芸能人、有名人とのお別れがありました。しかしこの様に彼らの功績や作品はいつまでも語り継がれていくでしょう。今回、紹介しきれなかった方々に対しても慎んでお悔やみ申し上げます。

合掌。

サンケイスポーツ特別版 「追悼 星野仙一」
Fujisan.co.jpより
情報提供元: マガジンサミット
記事名:「 【追悼】功績で振り返る『今年のお別れ』 ~2018年下半期~